未公開映画祭(4) 「サーフワイズ ~ユートピアを目指した放浪大家族~」2010年12月08日 23時29分23秒

だんだん大変なことがわかってきました。
39本の映画を1月の下旬までに観賞しなければなりませんが、
観賞できない日を引いていくとほぼ毎日1本見なければならない。
そして、全てをこのようにブログにUPしていくと、
大体、2月の上旬まではほぼこのネタでひっぱることになります。

さて、そんなのっぴきならぬ事情はさておき、今日もゆくゆく。


あなたは働かなくてもいい生活を目指したことはあるだろうか。
裕福によるものではなく、金銭からは距離をおく考えで。
それを一人ではなく、家族で試みたことはあるだろうか。
今回はそれを実践しようとした実在の大家族の物語。


「サーフワイズ ~ユートピアを目指した放浪大家族~」
原題: Surfwise: The Amazing True Odyssey of Paskowitz Family

■作品紹介
http://www.mikoukai.net/032_surwise.html
監督: ダグ・プレイ
2007年  アメリカ (93min)


ドク・バスコウィッツはスタンフォード大学を卒業した医師でありながら、
1956年のある日、資本主義と決別する放浪の道を選ぶ。
そして彼は生活の場となるキャンピングカーを用意し、
愛する妻とめぐり合い9人の子供をもうけてともに働かずに、
少年の頃からのめり込んでいたサーフィンに日々を費やす。
子供たちにも学校には行くなと教え、自然界の営みを実践する。
動物が実践しているのだから人間もそれに従えば健康体になるはずだと。

子供達にもサーフィンを教え、大会に出場すれば上位を家族で独占した。
バスコウィッツ家はサーフィンの世界では有名になっていった。
一家は人気があり、物質に頼らない生活を追求する父も尊敬を集めていた。

僕はサーフィンのことは全くわかりませんが、現在のバスコウィッツ家は
サーフィンの世界ではトップクラス、キャンプでは上流階級の子供も指導し、
ハリウッドでのサーフィンに関するアドバイザーでも活躍し、
音楽やモデルなど芸能関係でも知られているのだそうでうす。


一見、一般人からは理想的な生活を送っているように見えます。
しかし、子供達が成長し成人に近づく頃、徐々に理想郷に陰が差し始めます。
生活は経済的には豊かではなかったがドクはその向上は求めませんでした。
しかし、子供達は閉じ込められたわけではなかったし、
外部から持ちかけられた接触もあり徐々に外の世界を知り始める。

外で美味いものを食べたら、家のシリアルには戻れない
というように、子供達は資本主義から得られる恩恵に傾いていく。
ちなみに、そのシリアルもスーパーで売っているようなコーンシリアルではなく、
多種類の穀物を混ぜたオリジナルのシリアルらしい。
子供達はそれぞれに離れていき、社会と関わって生きるようになっていく。


あなたが仕事を捨てて自然とともに生きるとすれば、どこに行くだろうか。
幸か不幸か、ドク・バスコウィッツ氏は波を求めて海岸線を旅しました。
そしてサーファーキャンプ運営に着手するようになります。

家族の離別をもって失敗とするならば、もし彼らが自然の中といっても
人里離れた山の中で、砂漠の真ん中で生活をしていたら違っていたと思います。
俗世からの接触が図りづらいところで隔絶されて生きていたら。
彼らが外部に接触しやすく、また、接触され易い環境にいたことは不幸だったと思う。
サーファーキャンプの運営という、世捨て人にはない権利関係の発生が生まれる。
それが第一の失敗。

資本主義と決別し金銭を嫌うという父・ドクの思想は一見すると厳格ですが、
そのような目に触れ声をかけられという微妙な距離にある生活環境においては、
ならば、俗世の誘惑に駆られまいとする鋼鉄の意志を
子供達に植え付けるまでには至りませんでした。
それが第二の失敗。

そして、外の世界に出て行った子供達が資本主義と馴染めるかといえば、
ミュージシャンやサーファーやモデルとしての成功があっても、
契約関係の知識が無いために心無き人々に騙されたりしてしまい、
この社会で生きていく処世術は全く教えられていないことに気づく。
これが第三の失敗。


だからといって、すぐに可哀想とも感じられないのがこの映画の複雑なところ。
不思議な気持ちになる映画です。
家族の、いやドク・バスコウィッツの理念は、失敗なのか成功なのか。
子供達は一旦は距離も心もばらばらになりましたが、
映画の最後では皆が集まり、仲直りを試みていきます。

普通の家族も結婚や就職を機に別々のコミュニティを形成し、徐々に離れていく。
しかし、バスコウィッツ家には他の家族とは明らかに異なる"思想"があり、
父と母と兄弟から離れて暮らすことはその思想からの解放も意味している。

兄弟の中にはその思想に長年苦しめられ翻弄された者もおり、
長男ディヴィッドは恨み節を籠めた歌を披露する。
だからと言って、今でも恨んでいるかと思えば完全にそうとも言い切れない。
四男イジーは言う「理解不能だけど愛してやまない父」。

子供たちは教養と知識の違いに気づくことはなかったとドクは言う。
そこに父と子の微妙な思想の確執がうっすらと覗く。
その父も、自分の世界で完結してしまい他に広める人かできなかった。


この映画は終盤、不思議な色を放っていく。
いままで翻弄されてきた子供達が意識的にか無意識的にか、
父と同じような言葉を語り始める。それが到達すべき次元であるように。
家族とはそういうものだといえば実に単純だけども、しかし、
翻弄され解放され新しい世界を見て、初めて分かることもある。


人間が物事を理解するには多くの場合、"そうではないもの"との比較においてです。
父は若い頃に生きた医師の世界よりも放浪の世界を選択した、
子供たちは最初から放浪の世界に生まれそこから離れることで、
放浪に生きた世界を再度見つめることができたのではないか。
子供達には今ようやく見え始めたのではないでしょうか。


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