本を贈る2011年05月14日 23時50分33秒

被災地の避難所に漫画本や小説を送るプロジェクトに参加することにし、
所有の漫画をダンボールに纏めました。総数3箱。

世間的に言えば、所謂、僕は収集癖のある方だったのですが、
この震災でそれらが崩れ果てた部屋の状況をみたときから、
食べ物や電池やロウソクを家中からかき集めたときから、
"これだけ集めても今は何の役にもたたない"と感じ、
その病から解き放たれるような感覚になりました。

ただ、震災から時間が経ってきて余裕もストレスもでてくると、
やはり本は食べるために必要かはわからないけども、
"生きていくため"には必要なものだと再認識するようになってきます。

考えは戻ってはきたものの、僕自身はもう収集癖が薄れたため、
手放すことに関しては以前ほどの抵抗はなくなりました。
絶版本などは歴史として保管する使命を感じて持っていますけども。

そんなわけもあって、今回の支援のために本を提供することに。
あるいは、こういうときのために取っておく運命だったのかもしれません。

また自分で読みたくなったら買いなおせば良いのです。
別に初版本などに拘りませんし、コミックレンタルでも良いです。
自分の心の本棚に残れば良いと思います。


心がけたのは、要らない本を整理するのではなく、
まず、読んだら元気や希望が出てくる様な本を"選ぶ"こと。
次に、ストーリー漫画は全巻揃えて提供すること。抜けは無し。

ドラゴンボール全巻などを提供しましたが、
やっぱりドラえもんも贈りたい!と思い立って買いに行きました。
自分が持っているドラえもんは全巻あるけれども、
表紙はボロボロどころか背から真っ二つに分断されているのもあるので。

どう受取るかは、読んだ個人個人の事情が違うので、
実際に読んでもらうまでは正直わかりません。
でも、少なくとも僕自身は読んで心に感じるものを贈りました。

これらの本がほんの僅かでも、受取った皆様の、
前に進めるきっかけになることを願っています。

沈む太陽を引き上げるのか2010年12月04日 17時30分08秒

キネマ旬報連載の鬼塚大輔先生のコラムによると、
毎回毎回興味津々になる本をご紹介くださいますが、
(惜しむらくはほとんどが原書、つまり日本語ではない。)
マイケル・アダムスなる映画雑誌編集と映画批評を生業としている方が、

「Showgirls, Teen Wolves and Astro Zombies: AFilm Critic's Year-Long
Quest to Find The Worst Movie Ever Made」


なる本を出版したそうで、その書名の訳は

「ショーガール、ティーン、オオカミ、宇宙、ゾンビ・・・
これまでに製作された最悪の映画を見つけるための映画批評家の一年間の探索」


と、だいたいそんな感じになり、なんだか否応無しに口の中に
アドレナリンの味が充満してくるような気がしませんか。しませんね。普通。
しかし、してしまう人達がいるから世の中面白いというか始末が悪い。
というかそれは僕。

Showgirls, Teen Wolves, and Astro Zombies
Showgirls, Teen Wolves, and Astro Zombies


先生によるとこの本は、数百本の"ヒドイ"と言われた作品を一年間かけて鑑賞し、
系統的徹底的な調査を経た上で"史上最悪の映画"を選ぶ試みを記録した本だそうで、
日本でも色々な方が"最悪映画"特集を出されているのをお見かけしますが、
いかにも映画の未来を憂いてるようでいてその実、執筆者達の鬱憤晴らしになり、
これでOK出していいのかなあ、むしろ"最悪本"を出してしまっているんじゃないかナア、
という本とは一線を画するような気がしますが、読んでみないと何ともいえない。
誰か翻訳をお願い致します。その際はどうかゲテモノ装丁にしないでください。

何しろこの本を読めば、いままでは最悪は「世界崩壊の序曲」だろうとか、
某大作を最悪と言う大衆の恣意的で無駄な情報で真実が見えなくなった世界に、
"真に究極の最悪映画"がわかるかもという希望の光(?)が指すかもしれない。
あくまでアダムス氏個人の調査に基づく、なのですが。

マイケル・アダムス氏は奇しくもオーストラリアで仕事をしているそうで、
そうなると、先日のオーストラリア映画大暴走の国にいる人なら、
"そういう作品"を見る目も確かなのかもしれないよ、と勝手な妄想を膨らます。

海の向こうにそんな尊敬すべき偉業を成し遂げた人がいるならば、
変な映画を観たい病にかかる映画ファンの一人である僕にとっては同志であります。


さて、VHS映画観賞シリーズは別にヒドイ映画を集中して観るではなく、
DVD・BD以降の波間に藻屑と消えていきそうな作品を引き上げるもの。
名もなき地上の星のような・・・・いやいや、地上の星は輝いていたのだから違うか。
埃を被っている作品の埃を払って、本当に埃を被るべきなのか観てみるとか。

しかしながら必然的にというか、ヒドイからDVD化されないんだろうなあ、
とかパッケージから明らかに思えるものを敢えてというか率先して選んでいます。

それでも、ヒドイならばヒドイなりの書き方というものがあり、
"そんなヒドイなら観てみたいぞ"と思わせるほどの興味津々になる文章、
褒めてないけど少なくともその「評」は面白いという文章を読みたい。
あるいはここをこうすれば名作ならずとも平均点以上は行ったろうになあと、
次に繋がるような文章ぐらい読みたいもので、ただこき下ろすだけでは、
ただ執筆者が相手を貶めて自分を慰める錯覚した行為に過ぎない。


なんていうことを書きながら、自分では語彙も知識も不足してますが、
ならばせめて持てるだけの映画への愛をあらん限り籠めていこうというつもり。

光あるところ闇あり。闇あるところ光あり。
愛あるならば全て呑みこむべし。

どこかのトミー・リー・ジョーンズ先生の仰るように
ロクでもなくも愛すべきものを目指し。今日もまた。

謙虚な巨人 ~「ポール・ニューマン/アメリカン・ドリーマーの栄光」を読む2010年07月27日 23時41分35秒

ポール・ニューマン アメリカン・ドリーマーの栄光
ポール・ニューマン アメリカン・ドリーマーの栄光

昨年暮れにキネマ旬報社より刊行された、
「ポール・ニューマン/アメリカン・ドリーマーの栄光」を
最近になってやっと、会社の昼休みなどでちびりちびりと読んでいます。


ちびりちびりなどと言うとお気に入りのボトルを毎晩少しだけ、
という感じでなかなか味わい深い気がする。

それくらい、この本は読んでいて不思議に心地よいです。


著者のショーン・レヴィはポール・ニューマンと話したことは無いそうな。
伝記を書きたいとニューマンサイドに打診したところ、断られた。
その断り方がまた良い。私達はもう十分すぎる栄誉を受けているから、と。
などと書いていると、この本をあとがき・謝辞から読んでいるとバレる。

ともあれ、映画評論家のショーン・レヴィは、
ポール・ニューマンについて語るために、
ニューマンが答えた膨大な量のインタビュー記事等をひたすら研究する。

文体には、ニューマンを優しく見つめる愛情がこめられている。
穏やかなガーデンを斜景に見るウッドデッキの揺り椅子で、
ニューマン自身や友人達が、著者が思い出を辿るような、
時間がゆったりと流れる感覚で語られていきます。

ニューマンがそうであったように、
著者も謙虚に、一つ一つ丁寧に言葉を選んでいます。
例えば、どうしても下層階級を話に出すような場合でも、
彼らはそれなりに理由があり…というように、
はっきりしないところはそのままに、
後はあなた自身で慮れ、と暗に留めていく。

まだまだ序盤なので、今後また新たな側面を見つけるかもしれませんが、
その姿勢は僕の中にニューマンの爪の垢とともに落としこんで行きたいものです。

Loading