二度目の年明け2012年03月11日 23時11分33秒

昨日は、震災関連イベントに行き、震災関連の本を買いました。
でも、帰りにケーキセットを食べました。

今日は、14時46分には会社で仕事中。
手を止めることができない仕事ではありましたが、
ひっそりと黙祷をしました。
昨年の今日に食べそびれた昼食はしっかりとれました。

今日は、1年を経過したことをかみ締め、
両親のもとへ早くとにかく早く帰ろうと過ごしていました。
冷たい雪が甦った様に降っていましたが信号は点いていました。

今日は、この文章を打っているときは、
電気も通じており、お茶も飲めるし、ヒーターも点いています。
でも、敢えてお風呂に入りません。

今日は、この一年で出会った人たちを思い出し感謝しています。
でも、昨日届いた映画のDVDを観て笑いました。


今年は自分の心の中で、年明けが二度あったように思えます。
今日はまた、年明けのような気がしました。

明日は、また。

フラッシュバックのなかで2011年12月28日 23時34分51秒

2011年ももう残すところあと3日になりました。

仙台で生きている人間として、今年が一生のなかで
忘れられない年になることは間違いないでしょう。

昔、ある人が「僕らの青年期はたとえ娯楽であっても、
戦争あるいは反戦についての影がつきまとっていた」
と言っていましたが、そんな具合で、今後さまざまなところで
震災から端を発する何かが感じられるのだと思います。

さて、一年を振り返ってやはり震災について考えざるを得ない、
ということとはまた別の次元で、震災の記憶は甦ってきます。

12月に入り、仙台では既に何度か雪が降っていますが、
その寒波のなかを歩いていると3月のことが思い出されます。
それも思考というよりも肌の感覚が甦るという方が近い。
今頃の気温や空気感が、丁度、3月のそれに似ているのです。

TUTAYAの前を通れば、店内の散乱したDVDの山が、
生協の前では寒空の下の行列とガラガラの商品棚が、
コンビニではエビドリアしかなかったことが思い出されます。

ツルハドラックでカップ麺と水を並んで買ったときのことは忘れがたい。
店舗によるもののツルハは大抵、化粧品コーナーの面積は広い。
いまでは平常を取りもどしているものの、その買出しのときは、
化粧品コーナーは片付けられもせずロープで立ち入り禁止で、
女優が微笑む広告が破れて天井から垂れ下がったまま。

皆、それらには見向きもせずもくもくと食料品やラップや
ウェットティッシュなどをカゴに詰めこみ、
少なくとも明るくはない表情で行列を作って並ぶ。
その店内にはBGMではなく、原発の状況を伝えるラジオの音声が響く。

幸いにして僕は夜にうなされることはありませんが、
そういう話は最近また耳に入ってくるようになってきたし、
僕も3日目ほど続いた眠れぬ夜の感覚はまだ新しい。

今、テレビでは今年の一大事を忘れまいと震災関連番組がまた増えています。
それはそれで意味はあると思うのですが、こちらはこちらで、
上記のような、当時のフラッシュバックに襲われています。
そこに既に東京とこちらの感覚のズレが見え隠れしている気がします。

忘れかけている人に対してだけ放送できないかな
とも思うこともたまにあるわけです。

南三陸町戸倉 「波伝谷に生きる人びと」 上映会その22011年12月04日 23時31分22秒

南三陸町戸倉地区波伝谷、早朝。
現地のお母さん達とボランティアの皆さんで、
上映会に来てくれる方に振舞う、昼食のお握りづくりが始まりました。

昔、家庭科の授業でお握りだけで高い評価を頂いたことが懐かしい。
今回は400個ほど、大量につくるので、ひとりがご飯をわけ、
ひとりが具材を入れる穴をあけ、ひとりがオカカをつめ・・・
という風に流れ作業でテキパキとどんどんできあがっていく。

お母さん達は毎日の熟練の技の結晶を披露する場ですが、
ボランティアの"男手"による無骨でいびつなお握りも混ざりあう。
しかし、そうした和気藹々とした雰囲気のなかでつくられ、
色々な形が並んだお握りは、それ自体がみんなの顔に見えてくる。
そして、そのお握りがみんなに少しの力とほっとする気持ちをくれるわけです。

さて、「波伝谷に生きる人びと」上映会会場は、
志津川自然の家という施設で、この施設は、
通常は学生の野外活動などで使用するものであったことから、
キャンプ場、炊事や宿泊設備、体育館等々が揃っていました。
そのため震災直後は避難所として、周辺の多くの人達の助けになりました。
また、現在では自然の家から見下ろせる場所にも仮設住宅が建っています。

ここは周辺で最も広く、最も集い易い場所であるため、
上映会場として選ばれたわけですが、結果としては、
現地の方々にとってもボランティアの方々にとっても、
縁のある場所だということでもこれ以上はない場所だったでしょう。

その上映は、朝の9時30分から夕方17時までの一大イベントです。
三章立ての映画は、二章まで完成している状態で三章を鋭意製作中という、
未完の段階での上映会となりましたが、それでも、
1日目の季節はずれな暴雨と暴風が直撃したなかで約70人の方々が、
2日目には雨が過ぎた後の青天の虹の下、約40人の方々が来てくださいました。

さらに、先のお握りづくりに留まらず、来場者案内、お茶だしのお世話、
会場設営や物資運搬等々のため、遠くは沖縄や福岡から集って頂いた、
ボランティアの皆様の気持ちと奮闘にはただただ頭の下がる思いです。
この人達は自分のできることなら何であっても体が動いていく。
その力がなければできなかったことが数多くあるはずです。
己を捨てて人のために。ごく普通のことができるのが、普通の人との違いだ。

生活を営んだ故郷のかつての綺麗な姿を懐かしんでいる方、
ボランティアの皆さんとの再会を喜んでいる方、それぞれの顔がある。
被災地での上映会というものをいくつかは見てきましたが、
この日の上映会はそのような特殊な一面を持っていました。

作品自体は今後、さらなる研磨を重ねていく必要がありますが、
僅かな時間触れた波伝谷と、この2日間で開かれた上映会には、
他に勝る何かも持っていることは感じられたと思います。

映像の可能性というものの他に、それを取り巻く環境の力、
例えばそこで触れ合う人達、片手に持つ食べ物、共通の体験、
そういうものが力を生み出していく可能性を、改めて見た気がします。

映画を作るということと、映画を見せるということ。
ボランティアの皆様、協賛企業の皆様、現地でご協力頂いた皆様、
この映画を見てもらうために集まった多くの力に敬意を籠め、
我妻監督が今年度中に完成させる第三章、洗練を目指す一章二章、
そして波伝谷の再生に期待と応援の気持ちを籠めて・・・。

このブログを捧ぐ。

--------------------------------------------------------
<作品紹介>
『波伝谷に生きる人びと―第1部―ENTER THE PLENTIFUL WORLD ! 』
監督:我妻和樹

〇第1章「波伝谷への道」(225分)
 南三陸の生業の変遷や漁業の現状、また地域に残るさまざまな社会組織、
親族間、海の仕事を通しての人間関係など、カメラはこの地に生きる人び
との日常を映しながら、複雑な背景と多様な人間関係が織り成す、波伝谷
という一つの地域社会の現在を描く。

〇第2章「光を求めて」(120分)
 波伝谷で水産会社を営む主人公。幼い頃から自分のルーツに翻弄され、
海の事業においても人間関係においても葛藤し続けてきた彼の、母親の納
骨の一日をめぐって、家族・親族のあり方と一人の漁業者の生き様を描く。

〇第3章「その先へ」(現在、鋭意制作中)
 最終的に津波で波伝谷が壊滅するまでの、三年間の撮影過程と自分自身
(監督)の変化を振り返り、震災以前からすでに限界にきていた地域社会の
現状と、ドキュメンタリー作家として未熟で覚悟の足りない自分自身を描く。
---------------------------------------------------------
・『波伝谷に生きる人びと』上映実行委員会

次回の現地上映会は、2011年12月24日(土)・クリスマスイブに、
同じく志津川自然の家にて行います。
上映に関するお問い合わせ、ご連絡はコメント欄でも承ります。
Loading