青森・弘前へ つちだま様2011年05月11日 23時47分24秒

もうこちらでは蛙の合唱が始まっていますね。
自然はお構いなしに営みを続けているのでしょうか。

青森の話をもちっとしますとね、観光地ではわりとよくあることですが、
街なかで奇妙なオブジェを唐突に見つけることがあります。

青森駅を降りると以前の記事のワ・ラッセやA-FACTORYや、
アスパムとか近代的な観光スポットがあるのですが、
青森市の駅前アーケード街はこんな感じで、そこに・・・。


土偶です。遮光器土偶です。

しかもこんな小さめに!
観光MAPに乗っているのにないぞー?と探し回ってたらこんなに小さいとは!


別の形の土偶もあります。板状土偶。
確かに付近に三内丸山遺跡もあるのでアピールするのでしょうけども、
(駅前の食堂のカウンター脇にも唐突に置かれていたりします。)
どうせならもう少し大きめにアピールしたほうがいいのでは。
ここが控えめな東北人の気質ですか?(←違うと思う。)
でも、小さいけど数は多めに置かれているのですね。

どちらの土偶が好きかといえば断然、遮光器土偶ですな。
なんといっても自分用の土偶レプリカを買ってしまってますから。
この土偶は亀ヶ岡遺跡出土だったはずですが。


ナゼか八甲田丸の中にもあるのでした。しかも二体。
これについて施設の方に聞いておけばよかったとも思いますが、
しかし、青函連絡船のことを聞きなさいよも思います。
古典的な円盤の上に乗っていてまさに宇宙人です。
アンテナまで付いてますし。

やっぱりこの遮光器土偶と言えば、宇宙人説が出てきますよねー。
昔、学研の学習の付録漫画だったと思いますが、
やはり宇宙人説に則って描かれてたのがあったと思います。
学研がいいのかいと思いますが、まあ、その辺は「ムー」ということで。

この土偶の正体は結局なんなのかわからないのがロマンではないでしょうか。
しかもデザイン的にも秀逸な美しさですしね。
むこうでは遮光器土偶の"シャコちゃん"と普通に呼んでいるようです。

さて、JRの木造駅ほど衝撃的な遮光器土偶はないと思います。
でかい!これは一度、絶対に行きたい!

戸隠 忍法資料館・民俗館 ~寄り道篇2010年11月12日 23時20分04秒

戸隠神社奥社から降りてきてバス時間まで間があるので小休止。
こちらの「なおすけ」さんで、くまざさソフトクリームを頂きました。
なんだかやけにキャピキャピした(死語)売り子さんでした(笑)。

うっすら緑色のソフト。
抹茶に近い味がしますとの解説通り、後味はほんのりお茶風味。
クマザサは健康食品やお茶にも使用されています。

道路沿いの「奥社の茶屋」さんでは「そばソフトクリーム」もありました。
戸隠と言えば蕎麦処。さすがですねえ。

僕はこちらの栗ソフトが気になってしかたないのですが、くまざソフトを食したばかり。
よってここはポンポンが痛くならない様にじっとガマンの子。

ハウスの前のベンチでソフト休憩をしている間、隣の上品なマダムとお話になりました。
会社を退社して国内海外を問わず旅をしているとのこと。
団体ではなく1人でも参加できるツアーを狙って旅行しているのだそうです。
良いですねー。1人でも動けるフットワークの軽い人は好きです。


駆け足になるのですがバス停のすぐ脇にあるのでせっかくだからと
戸隠民俗館と忍法資料館を覗くことにしました。

江戸時代の倉を使用した戸隠民俗館では、
この地方での生活に使われていた品々が展示されています。
あらためてこれを目の当たりにすると、山間部での暮らしの厳しさを感じます。
日光でもそうでしたが、美しくも厳しい自然に囲まれて暮らすこと、
また、暮らさなければならなかったこと、様々な歴史があるのだと思います。

これは珍しいものだそうで、洗面用の湯沸かし器だそうです。
給湯器の無い時代のものなのでしょうか。

忍法資料館の方は二階が資料館、一階は見学可能な座敷になっています。
戸隠流忍術の初代は木曽義仲の家臣だったと言いますから源平の時代。
そこから現在まで続いているのだそうです。

お馴染みの鎖帷子、蒔きびし、手裏剣等々、
忍具や、実際の修行の様子を収めた写真が展示されています。
他でも見てきましたが、なんだか初めて実感のある資料を見た気がします。

結構リアルにできているので油断していると驚く忍者人形。

名残惜しいですが、からくり屋敷の中はタイムアップで見られませんでした。
表には外人さんの団体が詰め掛けていましたよ。
やっぱりニンジャ・ゲイシャ・フジヤマは健在なのかしら?

隣には手裏剣を投げられる道場もあります。
山を宿泊処まで降りていったところには、
よりエンターテイメントなチビッコ忍者村もありますよ!
ニンニン!

■忍者の里チビッ子忍者村
 http://www.ninjamura.com/

長野路へ ~善光寺参り2010年11月07日 23時17分00秒

さすらい河永・旅情篇~シリーズ・日本を訪ねて~
今回の静流河深は長野―戸隠からお送りいたします。

2週間前に宇都宮に行ってきたばかりの僕を待っていたのは、長野行きの旅。
この旅は以前から予定していたものではなく、元々母が友人と行く予定だった旅が、
諸事情あって友人が行けなくなったので急遽、切符その他が勿体無いので
長野には初めて行く僕が代わりに同行することになったということの次第。


さて、長野駅に着いた我々は昼食を済ませると早速、善光寺に向かいます。
長野駅から善光寺までは中央通で続く一本道、
バスで100円の10分程度で到着するということで迷わず乗車。
なにしろ、着いたのは12時半頃なのです。

善光寺大門前というバス停で降りるとそこは直ぐ入り口。
なんだかあまりにあっさり着いてしまった気がしますが、
直ぐにその巨大さを知ることになるのです。

何を隠そう、僕は長野に行きたい願望はあったものの、
どちらかと言えば最初は諏訪大社に行きたかったので、
善光寺は全くチェックしていなかったのでありました。


そんなわけで、不遜にもただの「寺」としか思っていなかったわけですが、
周辺に史跡名所はあるわ、仲見世のお土産・食べ処はあるわ、
すぐに見たい行きたい!がいっぱい!になるなる。
加えてこの日は日曜日で快晴というお日柄も良くかなりの賑わい。
ある種のテーマパークを連想、伊勢神宮のお伊勢参りの感覚を思い出したのでした。


まずは仁王門に向って歩を進めます。
見上げれば蒼く済んだ空、見下ろせば陽を浴びて輝く石畳。
この参道脇に白蓮坊という宿坊があり、
近くに小さな地蔵様とむじなの像がありました。
むじなの伝説自体は昔から伝わっているそうですが、
像の方は近年に作られたものということでピカピカ。
なんとなく見た顔だと思えば、作は「せんとくん」の籔内佐斗司さんなのだそうで。

■むじな地蔵
  http://www16.plala.or.jp/syukubou/mujina.html


巨大な仁王像の仁王門を潜り抜けるとそこはまさに門前町の風情の仲見世通。
おやき、おまんじゅう、甘酒等々、食べ歩きも楽しそうです。
ここまで来ると僕の気分も早々とワンダーランドです。
また、通脇には延命地蔵尊があります。そこにはかつては本尊壇があったそうです。
今この地蔵様の後ろには松屋旅館という旅館が建っています。
善光寺に最も近い旅館とのこと。そりゃ、もう善光寺みたいな場所ですものね。


なおも山門に向って進むと広場に出ます。
これは案内所にある、牛に引かれて~を表した巨大な牛の像。

これは六体の地蔵様、「六地蔵」。
六という数字は仏教の六道。右端のお地蔵様だけ片足を出しているのは、
早く助けたいとの気持ちの表れなのだとか。

山門の上を鳩(たぶん)の群れが飛んでいます。
その光景に思わず「ロートロートロート♪ロ~ト製薬~♪」を歌います(古)。
しかし、本当に鳥達の飛翔が映える良き空です。
山門楼上の「善光寺」という額には、漢字の書体に鳩の姿を模している
「鳩字」という字が使われているのは、飛んでる鳩が知ってか知らずか。

この山門の上には入場料500円で上ることができました。
予想以上に良い眺めで長野市内を遠くまで見渡すことができます。
内部には文殊菩薩、四天王像などがあり、
それぞれの謂れや歴史、深いお話を頂けました。


巨大なる山門をくぐると、いよいよまた巨大なる本堂。
ここはもちろん本尊(既に秘仏)を拝むのですが、
他にも、身体を撫でた箇所が病気の厄除けになる「びんずる様」、
(撫でられすぎたためなのかツルツルになっています。)
閻魔様、ぬれ仏、そして「お戒壇巡り」。

これは本堂の地下に下りて進んで上がってくるというものですが、
ただそれだけではなく、「明かり一つ無い真暗な闇」を進んで行くのです。
その暗闇といったら想像以上、漆黒・暗黒あらゆる黒の表現をもってしても足りない闇。
そこは"あの世"の世界と説明を受けます。そして、本尊の真下あたりに、
極楽浄土の入り口があり、その錠前を触ることができれば生まれ変われる、と。

さて、もちろんその戒壇めぐりに挑むわけですが、
これが行列が出来ていて連なったまま入っていき、皆口々に喋ったり、
関西弁のおっちゃんがかかって来た携帯電話にがなりたてるので緊張感激減。
それに途中でよく渋滞するので、前の人後ろの人が分かります。

しかしそれでいて、入り口出口の光も届かぬほどになると、
だんだん方向感覚が分からなくなってきて不安がこみ上げてきます。
暗闇が母体内の記憶を呼び覚まし安堵を与えるという説もありますが、
少なくともここで感じた暗闇には黄泉があるならこんな感覚かと思わせます。

そんな闇の中を無事に潜り抜けることができたのは、周りの皆がいたから。
そう考えればあの行列渋滞の戒壇巡りも、それはそれで学ぶものがあるのでは。
チリ落盤事故の生還の如く、やはり生きるためには「皆」を感じられることが重要だと思います。

戒壇めぐりを終えて外に出ると、もう日が陰っていました。
その傾いた陽に照らされた本堂と木々達の姿もまた神秘的です。
こうして何百年も陽が上り陽が沈んできたのですね。

本堂の北西には美しい外観の日本忠霊殿・霊廟/史料館があり、
そこにダライ・ラマから贈られた仏像と、
チベット僧達が描いた「砂の曼荼羅」が展示されていました。
それは見ないと!だって砂の曼荼羅大好きだもの。特に崩すところが。
長い長い時間をかけて描ききった瞬間に、一気に崩す。その潔さ。
ベルナルド・ベルトリッチ監督の「リトル・ブッタ」の砂曼荼羅を崩すラストシーンを見るために、
映画「リトル・ブッタ」を今まで5回見た男、それが僕です。


日が沈み、善光寺の今日の終わりが近づきました。
光りが消え行く名残惜しさとともに、この後、門前町の賑わいへと戻るのでした。

■信州 善光寺
  http://www.zenkoji.jp/

Loading