「金正日花/キムジョンギリア」2010年12月28日 23時32分36秒

北朝鮮について脱北者たちのインタビューを取り上げて
アメリカで製作されたという点では初のものというドキュメンタリー
「金正日花/キムジョンギリア」についてのこと。

■「松嶋×町山 未公開映画祭」作品紹介
 http://www.mikoukai.net/007_kimjongilia.html
原題:Kimjongilia
2009年 アメリカ・韓国・フランス (75分)
監督:N.C.ヘイキン

日本でTVのどこのチャンネルを回しても北朝鮮のことを
放送していたのはいつの頃だっただろうか。
日本の国民に"あの国は危険だ"という認識が浸透はしたものの、
今振り返ればどうもあの時代はとにかく取り上げれば良かった
北朝鮮"ブーム"だった様に思えてなりません。
あの北朝鮮オタクの教授は元気か?そんなくだらないことを考える。

今では北が韓国にミサイルをぶち込もうとも、
歌舞伎役者の事件がそれより先に報道される時代になってしまいました。
不毛なブームはさっさと去っていって構いませんが、
何か肝心なところが抜け落ちていないだろうか?
今この瞬間も北の国の国民も日本の被害者も戦っていることを。

アメリカではブッシュ・ジュニア大統領の2002年の一般教書演説における
「悪の枢軸発言」以降、国内で北朝鮮がクローズアップされてきたそうです。
現段階では直接的に戦闘状態には無いとはいえ、
周辺国に影響を与えた朝鮮戦争にて自国が関わった地域に関して、
それまであまり関心が無かったのはやや無責任の様な気がしないでもない。

この映画には脱北者の脱出までの道のり、本国での過酷な経験の他、
僅かに挿入されるのみですが飢餓でやせ細った赤ん坊や子供たち、
そして、前統治者の金日成を崇拝する国民の凄まじさが映されます。

絢爛な花々で飾られた巨大な遺影を囲む極彩色の光、
その死に嘆き悲しむ大勢という言葉で足りない程の群衆からは、
金正日の時代以前から、完璧なまでの教育が施されていたことに、
改めてこの国の根深い病を思い知らされます。

脱北者の生々しい証言はテレビで報じられる以上に緊張に満ちており、
中国に脱出した者を待つさらに恐怖に怯える日々には背筋が凍ります。
中国から脱北者を韓国に逃がそうとするが断念する実際の映像は、
観ているこちらも息を殺さねばならぬほど重く不安で悲痛な思いが伝わってきます。

この映像がなぜ未公開映画作品となったのか理由はわかりませんが、
もし、北朝鮮の話題はもう古いという考えがあったならば、嘆かわしい。
今、この映像を公開する価値は十分にあるのではないでしょうか。

そんな折、宮城県ではフォーラム仙台でこの映画が近日公開される。
やっと公開する気になったかと思いきや、未公開映画祭の劇場公開企画でした。
だから、扱いはあくまで「日本未公開作品」であります。
公開されるけど未公開作品。ややこしい。

ただ、僕は少しこのドキュメンタリーの構成には気になるところがあります。
この映画、やや脚色が強いのが気になるのです。
オープニングからして、北朝鮮のイラストアニメーションに、
北の音楽、ロシア音楽がバックに流れるもので、
さあ、あの極東の妙な国の話が始まるぞこれから、という具合。

随所に統計データなどを紹介するテロップが挿入されるのですが、
ほぼそのタイミングで、意味不明の踊りを踊る交通整理の制服女性の姿が、
何度も何度も現れ(妙に艶かしいのですが)奇妙な空気を作り出す。

アニメーションを取り入れたり、虚構の映像を織り交ぜることで、
時にとっつき易く仕上げたり、作品にエンターテイメント性を持たせることは、
これはアメリカのドキュメンタリーの多くが持っている要素で、
マイケル・ムーアやモーガン・スパーロックらが得意とし、
作品によってはそれが必要不可欠なものではあるのですが、
この映画に関しては、そういった一切の手入れを廃して構成すべきではないか。

監督がその危険性を映画作りで訴えていくことは今後もやっていくべきです。
しかし、事実を伝えていくには、過ぎた表現はかえって邪魔にもなる。
作品をショウの様に見せてしまい、重い事実に反して印象を軽くしてしまう。
言葉が十分に重さを伴っているのだから、それ以上の余計な小技は必要ない。
考えようによっては礼に反するかもしれない。と考えるのは東洋的なのでしょうか。


金正日花 ~46歳の誕生日に日本から贈られた花~
愛と平和と知恵と正義を表しているという。
その言葉の意味、贈ったことの意味を問い続けなければなりません。
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