震災後の石巻市中瀬の現在 ここから2011年05月19日 23時49分19秒

岡田劇場への支援をこのブログで呼びかけさせて頂いておりますが、
5月15日の記事としてアップしたところ、皆様からお申し出を頂き、
大変心強いお言葉に日々感激しております。

でも僕が感激してばかりいてはいけませんね。
岡田劇場さんが上映活動を復活できるまで、頑張ります。
皆様からのお知らせも、きちんとお伝えさせて頂いております。

自分がここに書き記す言葉を大切にしなければならないと感じています。
テキトウに描いていた過去の記事が恥かしい限りです・・・。
ただ、現地に言って話を聞くと、ふざけても良い?不謹慎なこと言っても良い?
と被災された皆様も言いそうでなければ気が持たないと言います。
この先、力を抜く記事も書きますが清涼剤やガス抜きとして何卒ご容赦ください。


さて、これまで様々な思いで迷っていましたが、
岡田劇場さんへの協力をさせて頂くにあたりまして、
少しでも現実を把握するために、石巻が郷里の人間として、
先日、中瀬に行きました。

国道45号線から少しなかに入り、昔から行きなれた萬画館への道を進みます。
途中、トイレのために大型店に入りましたが、この日は気温が高いせいか、
なんとも言えない匂いが街に漂っていました。

もともとかつては、石巻の港の方にあった缶詰やすり身などの加工工場の匂いが、
港を見下ろす日和山の神社あたりに上ると風向き次第で漂ってきたのですが、
この近年は設備等の向上でそれも少なくなっていました。
それがこの震災でまた、多くのものが混じりあった匂いがする様になっています。
もちろん、それが加工品の匂いだけではないことは確かだと思います。

まちづくりまんぼうプロジェクトで盛り上げようとしていた、
石巻駅周辺の商店街は、さらに大きな打撃を受けています。
この辺りまで来ると未だ復旧しない信号機などもあり、
警察の手旗信号も増えてきました。
ですがこの対応すら、最近までほとんど手が回らなかったということです。

そして、中瀬に通じる海岸沿い通に出ると景色が霞んで見えました。
昔、親戚揃って食事した料亭も、採用試験を受けた会社も、もう。
ここまで進むにはこれまで以上に、厳粛な気持ちでいなければなりません。


中瀬の橋を渡り、石ノ森萬画館前につきました。
聖ハリストス教会は十字架が残っています。

この先を海の方に向うと、かつて萬画館に来たときにいつも止めていた
コンクリに綱を張って木箱の料金箱を置いたスペースがあったのですが、
そこかということがかろうじて分かる様な有様です。

傍に建っていた海のレストハウスは、
「あんなところにあるのか」というところに見えます。
緑美しく、アニソンライブも開催されて賑わった公園はまだ戻らず。
しかし、石ノ森萬画館は確かにありました。




閉館されていますが、玄関前には全国からメッセージが寄せられています。

こんなに大きかっただろうか・・・と、見上げれて改めて感じます。

萬画館の文字、「萬」が今も欠けています。

そして、岡田劇場は、確かになにもありませんでした。
隣の別の建物はありますが、劇場は柱一本さえ立っていません。
ボロボロの木や畳はありますが、それが劇場のものかは僕は分かりません。
辺りには千切れた古い本類も散らばっており、もしかしたらと思いますが、
それがここに止まれるものだろうかとも思います。

すぐ横に架かる橋沿いから牡鹿半島(東)側風景。
ここでは出てくる言葉も少なくなってきます。
何も語る言葉がありません。
ただ、その光景を目に焼きつけ胸に刻み忘れないと誓うのみです。



しかし、僕らはもう知っています。
岡田劇場さんも、石ノ森萬画館も、こうなっても立ち上がろうとしているのです。
僕らだけが眠っているわけには行きません。
改めて、そう思います。

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