閉じた空 「ジーザス・キャンプ ~アメリカを動かすキリスト教原理主義」2010年12月22日 22時27分38秒

「ジーザス・キャンプ ~アメリカを動かすキリスト教原理主義」
についてのこと。

■「松嶋×町山 未公開映画祭」作品紹介ページ
  http://www.mikoukai.net/001_jesus_camp.html

原題:Jesus Caamp
監督:ハイディ・ユーイング、レイチェル・グラディ
2006年 アメリカ (89分)

これまた宗教を扱ったドキュメンタリー映画であるわけですが、
この映画には明確な主人公は不在で撮影者が強く介入することはなく、
キリスト教福音派のサマーキャンプを記録していきます。

そのキャンプはキリスト教原理主義と呼ばれる信仰を子供達に教え込む。
日本でカトリック幼稚園に入園させるレベルとはわけが違います。
(かくいう僕もカトリック幼稚園に通った時期があったのですが。)
福音派と呼ばれる人達の教育、それは聖書に書いてあることが真実、
それに従って生きる様にしなさい、普通の学校は嘘を教えている、
子供の玩具や児童の読む本にもキリスト教的ではない音楽にも
悪魔の誘惑が潜んでいる、そんな調子で徹底的に染めていく。

キャンプのリーダー、フィッシャー女史にかかればハリー・ポッターは
魔法使いなので悪魔の手先であり神に裁かれる存在。
大勢の子供達が宙に両手を広げ、"ジーザス"と神に祈っている。
トリップではなく、祈りに集中しているのだという。
傍から見ればあまりに狂信者的な香漂う世界だけに、
「君、ハリーに似てるね」と言われた子供が虐められないかゾクッとする。

全体を漂うのは閉じた世界という印象です。
キリスト教、それ以外の世界は無い、認めない。
まるで時間の流れも外界からの移動も鎖されたドームのような世界。
キリスト教も聖書も、本来はあまねく広く、
開かれたものだと思うのですが、なんだろうかこの息苦しさは。
しかし、それを超えると素晴らしき世界が訪れるというのだろうか。

アメリカをキリスト教の手に取戻せ!と声高に叫ぶ。
「レリジュラス」で観た建国の父達の懐疑的な言葉が蘇ってくる。
取戻せ、とはもともとキリスト教徒のものだったというのだろうか。
国とは誰のものだろう?誰のものである必要があるのか?
他者を認めず、武器を取り戦うことも厭わない姿勢を教え込んでいく。
フィッシャー女史と話した地方ラジオのDJはこう言う。
「話を聞けば聞くほどにイカれてるとしか思えない」

現在のアメリカでは福音派が支持したブッシュが色々やらかしたために、
福音派の支持も低下しているといいます。しかし、彼らは存在する。
トップの人々はスキャンダル続きで失脚しているそうです。
それは笑い話にはなりますが、ジーザス・キャンプは依然続くはず。
教育を受けた子供達の未来には何が待っているのか。
腐敗した政府をイエスの名の下に叩き壊す、と教え込まれた、
皆、10歳前後の少年少女たちは従順に方針を守っている。
宗教よりも教育について考えさせられる映画です。

「レリジュラス ~世界宗教おちょくりツアー~」
「イエスのショッピング ~買い物やめろ教会の伝道~」
と3日間、キリスト教とそれを取り巻く状況に関連した映画を観賞しましたが、
登場人物・撮影者ともに、それぞれに主張と独自の物の見方を持っています。
キリスト教と言ってもこんなに違うのかと改めて考えます。

それ一本の映画でも観たことの無い世界を見られますが、
相互に関連付けることで一本で見えない側面も見えてきます。
宗教に限らないことですが、1つの見方に囚われることなく
広くこの世界を見ていかなければなりません。

ビル・マーとビリー神父は其々にどんな反応をするのだろうか?
アメリカは知れば知るほどに多くのものが掘り出されていきます。
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