目覚めるための毒 「レリジュラス ~世界宗教おちょくりツアー~」 ― 2010年12月21日 23時49分05秒
ビル・マー主演で贈る宗教ドキュメンタリー
「レリジュラス ~世界宗教おちょくりツアー~」
についてのこと。
■「松嶋×町山 未公開映画祭」作品紹介
http://www.mikoukai.net/010_religulous.html
原題: Religulous
2008年 アメリカ (101分)
監督: ラリー・チャールズ
監督が「ボラット」で、製作総指揮に「ボーリング・フォー・コロンバイン」に
関わったチャールズ・シスケルが名を連ねている。
となると、そこからスタイルはなんとなく見えてきます。
ビル・マー(ビル・マーレイではない)はアメリカのHBOで
冠番組も持つ、毒舌スタイルのコメディアン・司会者。
彼がキリスト教、ユダヤ教、イスラム教、モルモン教教会、
一般信者、議員、学者、神父、役者等々に突撃取材、
バチカン、エルサレムにまで乗り込んで、宗教に対する疑問をぶつけ、
矛盾点をついてつっこみ笑い飛ばしてく。
聖書のアダムとイヴのくだりには、ヘビが禁断の実を食べるように誘惑する
という記述がありますが、ビル・マーはこれを拾って以下の様な具合です。
「しゃべるヘビがいると思っている議員が政治を動かす?」
そんなわけで邦題には「おちょくり」と付加されているわけですが、
しかし、ビル・マーの知識が豊富で頭の回転が早く、
聖書などの本をよく読み込んでいるというのはよく分かります。
彼はただの無礼者ではなく優れたコメディアンだと思います。
コメディアンは頭が良くて語彙が豊富でなければ本来務まらないと思う。
少なくとも知識はなくとも回転は速くないと相手への切り返しはできないし、
相手を鵜呑みにせずに疑問を常に抱き、主観も客観も使い分けらければ、
相手の矛盾や隙をついてツッコミを入れることも茶化すこともできない。
ましてや、そのネタが政治や宗教となると生半可なスタンスではできない。
観客相手に捲くし立てるだけならまだしも、専門家を相手に
タイマンの言葉のボクシングをかますのならばなおのこと。
頭が良いのは分かったとして、品性が人の好みを左右するわけですが、
この映画一本ではビル・マーのそれが分かりません。
ひとまず、ボラットほど下品なわけではなく上品でもないけども、
知性的であることは感じさられせます。
彼の巧みな話術から引き出される、神父、政治家、信者の皆さんの
素顔の片鱗はよく言えば無垢であり、悪く言えば自分の頭で考えない。
"信じる"というのは僕は生まれてからの後天的なものだと思うのですが、
彼らは口では信じるといってもほぼ先天的に限りなく近いほど、
言ってみれば自分が生まれた肌の色や国と同様に、
神の存在、その奇跡、信仰の尊さを自然に思っています。
彼らはビルの一言で虚を突かれた様に絶句する。
単にストレートな無礼さに閉口しているのかもしれませんが。
無論、各宗教は同一内で細かく分派し多種多様ですが、
そういう人達が作るものというのはかなり興味深い。
映画ではケンタッキー州にある「創造説博物館」なるものが紹介されます。
ここでは聖書が事実を記述しているという考えに基づいて、
進化論に沿った地球の歴史ではなく、人間は創造されたもの、
恐竜と人間が共存している様子などが、
真実を語るものとして展示されているそうです。
そして、職員の人達もそれを信じて疑わず、
むしろそれを真のものとして広めようとしている。
総工費は2700万ドルとのこと。
また、安息日、特にユダヤ教では労働は何もしてはいけないという日。
厳格に守る人々は、安息日でも使える機械を開発・考案するよう、
イスラエル・エルサレムに「科学及び慣例法研究所」なるものがあるそうな。
もはや何のためにそこまでするのか分からない。
一方、アメリカ建国の父達が宗教に懐疑的で、
T・ジェファーソンがわざわざ
聖書から奇跡や神秘に関する記述を削除し、
独自の聖書を編纂したというのは初めて知る話で、
それらの事実を知ることでもこの映画は面白い。
バチカンの神父ですらも進化論を真っ向から否定はしない。
科学と聖書は切り離して考えるべきだと。
始祖はどうあれ、人間の手から手へ渡っていくにつれ、
政治も経済も会社も組織も垢がつきあらぬ方向へずれていく。宗教も。
そんな反対派の発言とインタビューも交差させながらの編集が上手い。
どちらかというと、おちょくりはこの編集の方と言うべき。
あちこち思いっきり噴出してしまったのだけども。
ときとしてビル・マーや、ラリー・チャールズの様なものの見方をするのも、
毒は毒なりに、何かから覚ましてくれる効用があるのではと思う。
「レリジュラス ~世界宗教おちょくりツアー~」
についてのこと。
■「松嶋×町山 未公開映画祭」作品紹介
http://www.mikoukai.net/010_religulous.html
原題: Religulous
2008年 アメリカ (101分)
監督: ラリー・チャールズ
監督が「ボラット」で、製作総指揮に「ボーリング・フォー・コロンバイン」に
関わったチャールズ・シスケルが名を連ねている。
となると、そこからスタイルはなんとなく見えてきます。
![]() ボラット 栄光ナル国家 カザフスタンのための アメリカ文化学習 |
![]() ボウリング・フォー・コロンバイン |
ビル・マー(ビル・マーレイではない)はアメリカのHBOで
冠番組も持つ、毒舌スタイルのコメディアン・司会者。
彼がキリスト教、ユダヤ教、イスラム教、モルモン教教会、
一般信者、議員、学者、神父、役者等々に突撃取材、
バチカン、エルサレムにまで乗り込んで、宗教に対する疑問をぶつけ、
矛盾点をついてつっこみ笑い飛ばしてく。
聖書のアダムとイヴのくだりには、ヘビが禁断の実を食べるように誘惑する
という記述がありますが、ビル・マーはこれを拾って以下の様な具合です。
「しゃべるヘビがいると思っている議員が政治を動かす?」
そんなわけで邦題には「おちょくり」と付加されているわけですが、
しかし、ビル・マーの知識が豊富で頭の回転が早く、
聖書などの本をよく読み込んでいるというのはよく分かります。
彼はただの無礼者ではなく優れたコメディアンだと思います。
コメディアンは頭が良くて語彙が豊富でなければ本来務まらないと思う。
少なくとも知識はなくとも回転は速くないと相手への切り返しはできないし、
相手を鵜呑みにせずに疑問を常に抱き、主観も客観も使い分けらければ、
相手の矛盾や隙をついてツッコミを入れることも茶化すこともできない。
ましてや、そのネタが政治や宗教となると生半可なスタンスではできない。
観客相手に捲くし立てるだけならまだしも、専門家を相手に
タイマンの言葉のボクシングをかますのならばなおのこと。
頭が良いのは分かったとして、品性が人の好みを左右するわけですが、
この映画一本ではビル・マーのそれが分かりません。
ひとまず、ボラットほど下品なわけではなく上品でもないけども、
知性的であることは感じさられせます。
彼の巧みな話術から引き出される、神父、政治家、信者の皆さんの
素顔の片鱗はよく言えば無垢であり、悪く言えば自分の頭で考えない。
"信じる"というのは僕は生まれてからの後天的なものだと思うのですが、
彼らは口では信じるといってもほぼ先天的に限りなく近いほど、
言ってみれば自分が生まれた肌の色や国と同様に、
神の存在、その奇跡、信仰の尊さを自然に思っています。
彼らはビルの一言で虚を突かれた様に絶句する。
単にストレートな無礼さに閉口しているのかもしれませんが。
無論、各宗教は同一内で細かく分派し多種多様ですが、
そういう人達が作るものというのはかなり興味深い。
映画ではケンタッキー州にある「創造説博物館」なるものが紹介されます。
ここでは聖書が事実を記述しているという考えに基づいて、
進化論に沿った地球の歴史ではなく、人間は創造されたもの、
恐竜と人間が共存している様子などが、
真実を語るものとして展示されているそうです。
そして、職員の人達もそれを信じて疑わず、
むしろそれを真のものとして広めようとしている。
総工費は2700万ドルとのこと。
また、安息日、特にユダヤ教では労働は何もしてはいけないという日。
厳格に守る人々は、安息日でも使える機械を開発・考案するよう、
イスラエル・エルサレムに「科学及び慣例法研究所」なるものがあるそうな。
もはや何のためにそこまでするのか分からない。
一方、アメリカ建国の父達が宗教に懐疑的で、
T・ジェファーソンがわざわざ
聖書から奇跡や神秘に関する記述を削除し、
独自の聖書を編纂したというのは初めて知る話で、
それらの事実を知ることでもこの映画は面白い。
バチカンの神父ですらも進化論を真っ向から否定はしない。
科学と聖書は切り離して考えるべきだと。
始祖はどうあれ、人間の手から手へ渡っていくにつれ、
政治も経済も会社も組織も垢がつきあらぬ方向へずれていく。宗教も。
そんな反対派の発言とインタビューも交差させながらの編集が上手い。
どちらかというと、おちょくりはこの編集の方と言うべき。
あちこち思いっきり噴出してしまったのだけども。
ときとしてビル・マーや、ラリー・チャールズの様なものの見方をするのも、
毒は毒なりに、何かから覚ましてくれる効用があるのではと思う。
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