小さな繋がりが呼び合って ― 2011年04月07日 23時51分30秒
現在、Youtubeなどの動画配信サイトで映像が、ブログでは画像が、
それぞれ震災に関しての個人発信のものが着々とUPされています。
それぞれ震災に関しての個人発信のものが着々とUPされています。
僕のこのブログでも震災後の模様を迷いながらも発信し、
マスコミ関連のサイト以外でのその配信については賛否がありますが、
少なくとも僕自身はそれによって得た情報で救われたこともあります。
マスコミ関連のサイト以外でのその配信については賛否がありますが、
少なくとも僕自身はそれによって得た情報で救われたこともあります。
僕は腎臓病を持っていますが、その発病は二歳半のときまで遡ります。
大人でも大変ですが、幼児のときも大変です。
僕自身は覚えていませんが、命の危険な状態に陥ったこともあったそうです。
そのときに親身に尽くしてくれたお医者さんがいました。
病気が落ち着いた後も経過観察が必要で、
定期的な通院が30数年後の今でも続いていますが、
病院で診察を受けるほかに、誕生日や入学のお祝いを贈ってくれたり、
本当に人生のなかで"恩師"と言える人の一人です。
病気が落ち着いた後も経過観察が必要で、
定期的な通院が30数年後の今でも続いていますが、
病院で診察を受けるほかに、誕生日や入学のお祝いを贈ってくれたり、
本当に人生のなかで"恩師"と言える人の一人です。
その先生は20年程前に病院を引退してお父さんの診療所を継いだのですが、
その実家というのが、気仙沼だったのです。
既にご承知の通り、津波によって凄まじい被害を受けた町です。
随分昔にその町を訪ねたときの記憶を辿り、
以前に受取った小包の伝票を見てみると、かなり海に近いところでした。
以前に受取った小包の伝票を見てみると、かなり海に近いところでした。
伝票の電話番号に電話をしてみると呼び出し音はなりますが相手は出ません。
今でもお医者さんのはずなので、もしかすると寝る間も惜しんで、
負傷者を助けているのかもしれないと希望を抱いていたのですが、
テレビの映像をみるたびにやはり心配が重く募ってきます。
今でもお医者さんのはずなので、もしかすると寝る間も惜しんで、
負傷者を助けているのかもしれないと希望を抱いていたのですが、
テレビの映像をみるたびにやはり心配が重く募ってきます。
毎朝、新聞の亡くなった方・行方不明の方の欄を見ては、
見つからないことに安堵しつつも。
そんなとき、僕は不謹慎ということばかりのことではなく複雑な心境で、
見ることさえ躊躇い、敢えて見ないようにしていた震災に関する動画を、
たまたま見る機会があり、そのなかの震災後の気仙沼の様子を映した動画に、
その先生の診療所がこれもたまたま映っていたのでした。
多くの建物が流されたなか、診療所は無事だった。
胸の苦しくなる映像の中に、僅かな希望が見えてきました。
胸の苦しくなる映像の中に、僅かな希望が見えてきました。
そして情報を辿っていくと数日後、
ご本人も無事であることが確認することができました。
そのときは本当に歓声をあげていました。
永く永くつかえていたものがひとつ取れた様にほっとしました。
ご本人も無事であることが確認することができました。
そのときは本当に歓声をあげていました。
永く永くつかえていたものがひとつ取れた様にほっとしました。
映像はその場に起きている事実も伝えられることもあれば、
その場に宿る感情も伴って伝えることもあります。
多くの画像・動画から沈痛な想いが伝わってきて、
少なくとも撮影者は、見物人だけではないのだと思います。
どこの誰が発信したかはわからない動画ですが、
伝えなくてはならないことがある、忘れてはならないものがある、
正しいかどうかは発信する側さえ迷っていると思いますが、
小さなきっかけとなることがあると思います。
その動画をUPして頂いた方に感謝しています。
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