震災後のキネマ旬報2011年04月05日 23時00分12秒

4月5日火曜日

日曜日の光景が頭から離れないなか、会社から帰宅すると
到着が遅れていた定期購読の映画雑誌・キネマ旬報が届いていました。
本来の到着日が3月20日前後だった4月上旬号と、
予定通りの4月5日に到着した4月上旬号とのセットです。

キネマ旬報は、ゆうメールで配達されるのでそれらを含めての
発送体制の建て直しが軌道に乗ったということでしょう。
封筒には、東北の被災地の人に宛てた文書が添えられていました。

4月上旬号に関しては3月11日以前に原稿は完成していたのでしょう。
平穏無事な日常の本誌となっていました。

やはり気になったのは次の4月下旬号です。
これには震災に触れた内容があります。
ただし震災一色というわけではありません。当然ですが。
一部のコラム・エッセイは震災後に原稿を書いたか、
あるいは完成していた別の原稿を差替えたのだと思います。

通常の映画批評・紹介記事は当然ながら震災について触れることはありません。
それらの記事が多いので(それも当然ですが)、その間に1ページ2ページの、
震災について触れたものが挟まる形で、全体としては歪な印象ではあります。

震災についてのページは、まず本誌全体としての
「東日本大震災の被災者の皆様に謹んでお見舞い申し上げます」という言葉は、
巻末に挿入され、編集後記で編集部からの言葉が同様に書かれています。

世界の映画ニュースの項では毎回、アメリカやヨーロッパや韓国など諸外国と、
日本の映画に関する話題を報じていますが、日本の欄だけは震災に触れている。
主に、震災やその後の節電が映画の興行や公開予定に与えた影響について、
データと少しの考察を交えて報じられています。
外国のニュースに関しては現地からのタイムラグがあるのでしょう。
おそらく次号以降はセレブの支援活動なども報じられるのではないでしょうか。

コラムとエッセイに関して。
全頁を読んではいませんが見つけた限りでは、
石上三登志、山根貞男、大高宏雄、掛尾良夫、香川照之(敬称略)が、
自身のページのなかで震災について触れています。
山根氏は震災に数行触れ、観賞した映画について書いています。

大高氏は、言葉を扱う自分ができることとその意味について書いた上で、
震災後の映画の状況に触れ、興行成績や公開延期について
映画を見る見せる側のこの状況下での心理を絡めて触れています。
そして映画界全体としてできることを提案しています。

掛尾氏はお見舞いの言葉から、発生した瞬間の自身の体験を語り、
震災が映画館や配給会社に与えた影響に触れていき、
映画によって被災地に元気を、という声を理解しつつも、
それも現実と時期とを見て行動する必要があることを問いかけ、
直接的に役立つことが必要として、韓国の俳優からの支援にも触れます。
そして条件が揃ったとき発揮されるだろう映画の持つ可能性で締めくくります。

石上氏も自身の震災体験を書き、その上で自分の様な人間は無力と言い、
「こんな絶望的な状況の時などは、映画など誰にとってだって、
どうでもいいことなのだ。」とあっさり言います。しかし、その後こうも言います。
「でも、だからと言って、映画が無意味、無価値であるわけではない。」
そして戦後の少年期の映画体験と、現在に映画を見ることの意味とを重ね、
不安な人々を映画が楽しませ、自分が元気をもらってきたことを語ります。

本誌の全体の傾向は概ね冷静であると言えると思います。
冷静というのは高らかに、いまこそ映画を、とは言わないということ。
執筆者それぞれ、映画ができること、映画の持つ力を信じている。
しかし、まずは現実を見ることというのが多数の見解であり、
それが正しい大人だと思います。当たり前です。
(誌面では自粛を呼びかけているのではない。)


映画を見る側の心と環境を見極め理解しないままの見せる動きは、
単に空気の読めないものとしか伝わらないかもしれない。
見て欲しい、ならばまずは見られる状況を整えること。
設備環境の話ではない、見られる精神的余裕ということ。
精神的な余裕というのはどこからくるのでしょう。
言うまでもなく、命と生活の安定ではないでしょうか。

苦しい状況だから気晴らしに映画を見て元気を…と、
仙台市内のフォーラム仙台とチネ・ラヴィータには観客が来ているものの、
それは当然、中心部でライフラインが安定した余裕がある人々であり、
津波で家を失い避難所で不安を抱えている人が来ているとは考え難いはず。

近日は、アーティストが避難所をまわり、ミニライブなどを開いて
みんなが元気がわいてきたというニュースも入ってくる様になりました。
ただ、それも避難している人達は最初は緊張から入ることが多いと言います。
映画も来て頂くのを待つのではなく、現地で見て頂く姿勢が求められそうです。

また、映画を見せることには、被災地側に元気を出して欲しいという見せ方と、
被災地を支援する側に何かを考えて欲しいという見せ方とあると思う。
日本で平時の場合の多くの見せ方というのは後者だったと思う。

見て頂く作品も、一時の夢の世界への誘いだけではなく、
本当に元気や勇気を出して欲しいのならサプリメントではない、
復興への活力が沸いてきて現実にフィードバックするものを。
ただ、夢の世界への逃避と明日への活力の両方が沸いてくる映画なら、
それは紛れもなく人々に影響をもたらす映画に違いない。

そんな様々な思いのなかで皆が揺れ動いているのが感じられます。
それぞれの映画人が、映画とはなんだ、自分が映画に関わることの意味はと、
自問自答を繰り返し、これからの自分と映画について考えています。


敬愛する香川照之さんの連載エッセイ、日本魅録について。
最も気になっていたページであり真っ先に読んだページでした。
それについては次回、別の記事にて書きます。

最後に、コラムやエッセイで震災に触れていない執筆者の皆さんも、
その多くが巻末の筆者紹介のコメント欄にて被災地へのメッセージを発し、
自分達にできることを探しているということを付け加えておきます。
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