何日ぶりかの映画 ~「ショウ・タイム」2011年04月20日 23時23分56秒

久し振りに映画を観ました。
と、いっても劇場に行ったわけでもなく、DVDを借りたのでもなく、
地上波で放送していたのを観たものになります。

このような大災害のときに初めて何を見るべきかと、
戦後に立ち戻り「素晴らしき日曜日」とか「野良犬」とか、
「黒い雨」や「TOMORROW -明日-」で現実を再考するか。
「雨に唄えば」とか「ザッツ・エンタテインメント」で銀幕の夢をと思ったら、
なぜか2002年のアメリカ作品「ショウ・タイム」を観てしまった。

ショウ・タイム [DVD]
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「ショウ・タイム」というタイトルで何を連想するかと言えば、
ボブ・フォッシー監督・ロイ・シャイダー主演の1980年日本公開映画
「オール・ザット・ジャズ」の決め台詞なのですが、
ショウの世界に生きた悲しくも愛しい男の生き様を感じさせるそれとは
全く関係のない、エディ・マーフィ&ロバート・デ・ニーロのW主演で贈る
ポリスアクション・コメディ映画です。


なんでそんなものを観たのかは自分でも全く理解を越えているのですが、
ほとんど何も考えず久し振りに娯楽映画を楽しんでしまいました。

しかもエディ・マーフィはいまどき流行の山寺マーフィではなく、
下条マーフィなのですから思わず膝を打ってしまった。
この映画もご他聞に洩れずにエディのトークが売りなので、
もちろん山寺マーフィでも合うと思いますが、やはり僕らの世代では
マーフィ吹替の第一人者、下条アトムの潰した様な声が耳に親しい。

山寺マーフィのおふざけダンディな魅力とは違って
下条マーフィはケチな野郎だが憎めない得な性格という感じ(?)。

映画は「現実はドラマじゃない」が心情の堅物警察官と、
「俺は刑事ドラマの様なスターになるんだぜ」が生甲斐のダメ警察官が、
「密着!警察24時」的なドキュメンタリーに密着されることになったがため、
無理やりに凸凹コンビを組まされ事件の捜査に挑むというもので、
密着ドキュメンタリーと言いながらのTV局側の"ヤラセ"をおちょくりまくり、
それにノれない堅物とノリノリのダメ男のかけあいで展開していく。

ドラマで作られた世界のバカバカしさを笑いにしながらも、
真実を映すと言いながら君達も"作っている"んじゃないかという皮肉も籠めて、
虚構と真実の両方を同じ目線に合わせようとしているかの様で、
おちょくりながらもその指摘はサクッと突き刺さる。

この堅物警察官を演じているのがロバート・デ・ニーロ。
デ・ニーロで刑事役なら安心感もあるというものですが、
コメディを含んでいるとなると微妙な棘も刺さってくる。

ハリウッド重鎮の演技派としてスターとして神格化されるデ・ニーロ、
どんな役にも成ろうとする"カメレオン俳優"の称号で呼ばれていますが、
コメディに関しては「スターダスト」の女装趣味の船長までくると、
こちらとしてはやり過ぎカラ回り感が満載でドン引きだった。

あの船長は良い受け手がいなかったのがまずいと思う。
コメディ映画はなんでもそうとは言わないけども、
一人でやって不発になると観客がどんどん引いてしまう。
ジム・キャリーやジャック・ブラックの様な狂人を思い浮かべるといいかも。

コメディ俳優の一人暴走ではアクが強すぎるという方には、
クッションを挟んでくれる掛け合いものから入られた方が良いかもしれない。
エディだと僕の場合は「ナッティ・プロフェッサー」はちと味が濃すぎ、

ロバート・デ・ニーロのコメディヒット作の、
「アナライズ・ミー」と続編「アナライズ・ユー」はビリー・クリスタルとの
絶妙な名コンビぶりを発揮してキャリアに刻むことになった。
今回の堅物警官役もあのちょっとかわいいヤクザのボスの変型かもしれない。

受け手がエディでデ・ニーロがまたカメレオン性を回転させて、
あの奇想天外奇妙奇天烈暴走特急エディの色に変態させた様に見えるけれども、
実はカメレオンなのはエディの方なのではと思ってしまうのでした。

もともと一人でマイクをもって爆笑トークを繰広げる才に長けたエディで、
映画でもワンマンショーを展開してドッカンドッカン爆発させられるものの、
そのエディ映画の初期は「48時間」や「大逆転」で対戦相手と勝負し、
もちろん、年齢と経験を重ねていく自然成長ととともに
こういう相手(と映画)にはこういうギャグで、と磨きをかけていたのだと思う。

デ・ニーロが堅物、というある意味でイメージそのままの役柄に対して、
エディがどうにか突崩してやろうと無口な人の前で変な顔をする奴の様な、
あんたのコメディもなかなかだったけど、こいつはどうだいと言い、
攻めながら受けながら巧みにデ・ニーロ対応にしている様に思えてくる。

役者がガツンとぶつかりひらりと交わして、そしてせめぎあい。
それは追う者追われる者やライバル関係など様々な関係があるものの、
基本的には同じ画面同じシーンで台詞を掛け合う場面が、
一番心地良い状態が生まれるのではないかと思う。

そしてそれが冷静にしろ興奮状態にしろ、温度は同時に高まった方がいい。
過去、デ・ニーロよりもジョニー・デップ、アル・パチーノという
錚々たる共演者がどうも印象の薄い映画ができてしまったのは、
どうもその辺りの映画内での互いのセッション不足のためかもしれないと思う。

「ショウ・タイム」はエディとデ・ニーロのせめぎ合いが観られた様な気がして、
コメディながらもちょっと熱い気持ちで観ていたのでした。


観ている最中は、やはり"こんなことをしている場合なのか"と思います。
レンタル店の棚を見ていても人気作の貸出率も大人しい様に思う。
ただ、ほんの少しの間、向こう側に行くことも良いとも思う。
エディら黒人コメディアンも黒人を取り巻く状況にショウで向っていった。

向こう側に行きっぱなしで帰ってこないと困った奴なのだけれども、
帰ってきたらこっち側を見て、いろいろ思いながら迷いながら、
映画を観て、元気出しながら愛や友情や悲しみや喜びなどなど考えていく。
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