魂宿す者の言葉の力2009年03月20日 23時43分35秒


職場の同僚で小学生以来の付き合いの山さんの勧めで、
天元突破グレンラガン」を全話 鑑賞完了。

2007年4月1日から9月30日まで放送の全27話。
各話30分のTVアニメであります。

もっとも昨日今日の勧めではなく、
1年かもっと前から勧められていたものを、
一週間ほど前から鑑賞を初め、連休中に一気に完了した次第。
昨年の12月、仙台で公開されたTV再編集の劇場版を
鑑賞して気に入りやっと興味が出てきたところでのこと。

それまでに得た情報といえば、
ロボットアニメ、ガイナックス製作ということ、
とにかく展開や演出が豪快らしいということ。
極めつけに「銀河をブン投げるんだぜ」という情報に至っては、
「は?」と、コイツ何を言っているのだ???と感じてしまいました。

まあ、1980年代の代表作OVA「トップをねらえ!」でも、
銀河を埋め尽くす無限に近い宇宙怪獣群を一騎当千のロボで葬りさり、
新時代のロボアニメの代表「新世紀エヴァンゲリオン」でも、
成功確率が限りなくゼロに近い作戦を大真面目に展開したのだ。
ガイナックスならばそれも不思議ではない。


人間は古来より地下で暮らし、地上は存在すらしないと思っている設定。
その地下の小さな村で、手回し式のドリルで穴を掘るのが得意なだけの
弱虫少年のシモンが主人公。

このシモンが兄貴と慕う男・カミナが序盤の主役と言っていい。
言動は豪快。クサイ台詞も威勢の良い啖呵も口上も、
よくまあそんなに次々に出るもんだと感心するのだが、
この男が地上の存在を強く信じ、いつかそこに出ようとしている。

やっと出た地上は凶悪な支配者・螺旋王と下僕が闊歩する混沌とした世界。
以降はシモンとカミナは仲間を増やし、手に入れたロボット、
(この世界では「ガンメン」と呼ぶ)「グレンラガン」を先頭に、
地下に追いやられた人間の地上での生活を勝ち取るために戦い抜けていく。


カミナは27話中8話で死ぬキャラクター。
それまでに、これでもかと言うほどの名言と、
無茶苦茶な勢いと気合で強引に敵を粉砕していく。
そして、彼が死んだ後は、カミナの生き様に触発された者達が、
シモンを先頭に倒れたら立ち上がり強くなりどこまでも成長してゆく。

その展開は「んなアホな!」と突っ込みっぱなしの荒唐無稽さを、
ゴリ押しで見せながらも、突き抜けた明るさとプラス思考で気持ちよく見せる。
背中の大きすぎたカミナの死の直後は雨が降り続き
生気すら失い暗澹たるムードが立ち込めるが、
凹んだら凹んだだけ戻る勢いも凄まじく、存分に「タメ」る期間であると分かる。


ですが、本当に作品が輝きを放ち厚みを持ち始めるのは、
7年の期間をおいて成長した主人公達が登場する第3部とされるところから。
支配者・螺旋王を倒し、新たな敵が登場するまでの間。
それまで、激流を渡った物語が、一転してゆったりと流れていく。
ある者は柄にも無く役所仕事に就き、ある者は和やかな家庭に収まる。

その平穏が新たな、いや真の敵によって破られ、
再びグレンラガンを駆って、かつての仲間達「大グレン団」が立ち上がる。
この辺りから登場人物達の台詞の一つ一つが、
鑑賞しているこちらの胸に真直ぐに刺さり、五体に染みてくのです。
それは非常に心地よく、あろうことか涙まで自然にこぼれるほどの感動。


ときに流麗でときに荒々しい映像だけではなく、放たれた言葉が清々しい。
その時、荒唐無稽で強引で勢いだけに見えるロボットアニメの魅力が、
曇りないが深い言葉にこそ、本当の魅力があるように思えてくる。
何回か登場する「無理を通して道理を蹴り倒す。それが俺たちグレン団だ。」
という無茶な台詞さえも妙に心に染入る。

しかし、言葉というのは「あれ」「それ」などを具体化する記号に過ぎない。
その言葉に力を持たせ、人の感情まで揺り動かすのは、
その言葉を発する者の魂の力ではないでしょうか。

実際のところ、台詞と勢いでゴリ押しするアニメが過去にもある。
「勇者王ガオガイガー」「マクロス7」「スクライド」etc・・・。
それらも名作であるものの、グレンラガンとはまた別種のものに思う。
「機動戦艦ナデシコ」では熱い魂に「バカばっか」と水をさす。

「グレンラガン」には突っ込み役も冷静な訂正係も基本的に不在で、
一時的にそういう役を与えられる者も、やがては言葉の響に突き動かされる。
その時には、こちらで鑑賞してる側と画面の向こうの登場人物との、
同じ旅を続け、同じ空気を吸い、同じ目的地に向かうような共感が生まれる。

そう、「グレンラガン」の登場人物達は物語の中で成長する魂を持っている。
心を一つにした気持ちの良い仲間達ばかりで、
こちら側には嫌いになるキャラが本当にいない。
物語の台詞は計算された言葉の組み合わせに過ぎないが、
そんなキャラクターが放つ言葉だから言葉以上の意味を伴って浸透します。

具体的に分かりやすく、おまけを付けてクサく言えば、
「好き」という言葉は、別に好きでもない人に言われれば
冗談と思うか嫌悪感を抱かれるに過ぎない言葉ですが、
大事な人に言われる時には、世界の全てを輝かすものとなる。


「グレンラガン」の台詞が大きな意味を語りだすことに気づくと、
これまでの勢いの影で実に丁寧に緻密に周到に、あるいは偶然に、
登場人物達の人生経験が積み重ねられてきたことに気づく。
この手の番組定番の前半に挿入されるほのぼのエピソードすら、
セピア色に染まった大事な思い出であり、その日々の意味を失わないために、
今を力の限り生きることを、忘れかけた想いを取り戻させてくれる。
これは、言葉の意味を考える以上に、感情と魂を感じるアニメという、
作家主義的イマジネーション云々以前に、
映画的な性格を持ったアニメだと想う。

そして、中川翔子の歌う主題歌「空色デイズ」の歌詞さえも、
当初はアイドルの名で上手くあてはめただけに感じたこの歌が、
作品世界と人物の生きる道そのものを表現した曲に聞こえてくる。
アニメ主題歌はタイアップにより死んだ、とされた時代からすれば、
作品と一体となっている名曲と断言できるものであり、
この記事を書く直前にも、YouTubeで同じく中川翔子の歌う挿入歌
happily ever after」の動画を視聴、
今度は頬を伝う涙に加えて、気づいたら鼻水まで流していました。

中でも挿入歌で繰り返されるこの歌詞の感動は言葉で語り尽くせない。
「幸せはいつだって 失って初めて 幸せと気づく大切なもの」
だからこそ、今の幸せを確かに想い、掴み守るために生きる。

中川翔子は劇場版のパンフに「グレンラガンが人生を変えてくれました」
とコメントを寄せていますが、当初はオタク少女の大袈裟な言葉にしか
思いませんでしたが、今はそれも確かに十分に共感でき、
また、もっと表現したくとも大きすぎて陳腐な表現にならざるを得ない、
伝えたいことほど言葉にできないもどかしさも感じてしまいます。

「グレンラガン」の台詞の中で印象深いものは、
「少しだけでも前に進む」というものが多いように思います。
人生までは変わらなくとも、少しだけ何か成長するかもしれない。

「大人も鑑賞できる」などというヌルいアニメばかりだった昨今、
本当の意味で「大人が鑑賞できる」アニメに出会ったように思います。
語りたいことはまだまだ水の様に湧いてくる。それはまたいつか。


最後に、私が最も好きな台詞。
「人は皆、間違いを犯す。当たり前だ。
でもな、間違ったら誰かにぶん殴られりゃ良いんだ。」
この一言が、作品世界の良心を守り、
我々に自信を与え、今の道を前進する勇気をくれます。


自分の言葉が言葉以上の意味を持てるよう、生きたいものです。


「天元突破グレンラガン」劇場版第一部「紅蓮篇」はDVDが4月22日に発売。
第二部「螺巌篇」は4月25日公開(仙台ではムービックスにて)。


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