苦味を知る度に得る旨味2009年03月19日 22時10分56秒

チェコ映画の巨匠イジー・メンツェル監督作
「英国王給仕人に乾杯!」についてのこと。


プラハに近い田舎町のホテルのパブの給仕見習いのヤンは、
背が小さく一見すると子供にも見える男。
世間を斜めに見ていて、小銭を道にばら撒いて
それを人が浅ましく拾う様を見て楽しんだりしている。
ある時、ユダヤ系の商人のアドバイスで
もっと大金を稼ぐことを進められる。
高給取りの職を求めて富豪の別荘やプラハの最高のホテルで働く。
目指すはホテル王だった彼の前に現れる、
「英国王に給仕した」と語るホテルの給仕長。
彼から給仕のイロハを叩き込まれたヤンは、
正賓会に出席したエチオピア皇帝より勲章を賜る。

しかし、そんな出世街道も、第二次世界大戦が開戦し、
ドイツの影響下におかれ変化していくのである。


ビールの苦味は人生の苦味。
大人になればその苦味のよさが分かるものだ。
と、誰が始めに言い始めたかは分かりませんが、
ビールの味を語る際によく言われること。

ビールの本場と言えばドイツと考えがちですが、
中欧ではチェコをビール醸造の本場とする見方が強いそうで、
チェコのピルスナースタイルは、苦く金色のビールという
日本で一般的なビールのスタイルなのだとか。

この映画は主人公のヤンが老年期に差し掛かり、
14年9ヶ月の刑期を終えて出所したところから始まり、
山奥のコミュニティで生活を始めながら、
若き日の成功と没落を回想するところから始まります。

ヤンの出世と時代に翻弄されるチェコの移り変わりを
華麗にユーモラスに描き出す、その軽やかな語り口の中で、
折々にビールが印象深く登場して華を添えます。

給仕の話なのだから当然と言えば当然ですが、
ビールジョッキの向こう側に人間を置いて
ジョッキの表面に歪んだ人間を見ているヤンの視線など、
人物達のディティールを表す小道具であり影の主役でもある。

チェコに限らず複雑な歴史背景を抱える国は少なくありません。
この第二次大戦期のドイツ側、終戦後の東側へと揺れる時代は
他の多くの作品でも苦難の歴史として語られます。
(ミニシアター系作品「ダーク・ブルー」などがお勧め)

ナチスの影響下を描く後半では
ヤンとドイツ系女性のロマンスを軸に話が運ばれますが、
ユダヤ系市民の移送はもちろんのこと、
ナチスの優生学研究所なるものまで描かれ、
日当たりの良い庭の中での欲が不気味さを漂わせます。

軽やかな中に不気味さを漂わせるのか、
不気味さを軽やかに演出しているのか。
どちらにしても、見る方はそれこそ起こる出来事が
給仕人達が運ぶ料理を待つようにあれよあれよと過ぎていく。
散歩でもするようにゆったりとしながらも、
富豪達や軍人達の滑稽なやりとりに対する憤懣を
ヤンがとぼけた含蓄を挟み笑いに変えていきます。

そして給仕達の鮮やかな手並み。
まるで舞を踊るような優雅で洗練された手つき。
神の業を持ちながら、その彼等に敬意を表するものはいない。
だが、給仕達は人間と世間を見ているのであります。

ヤンはその一人となり戦前・戦後を駆けて行く。
登りつめかけて転がり落ちた果てに見出す、悟りと哲学。
「人間的になるのは、沈没するとき苦難にあたるとき失いかけたとき」
人間的とは、人間の善の心なのか?それとも醜悪な面なのか?
失ったと気づく幸福と、代わりに得るものの小さな喜び。
おそらくどちらも一体なのでしょう。

老年期のヤンが昔のビアホールを綺麗に改装して、
新しい慎ましい酒場を開きなおす。
数十年を越えて再会するユダヤ系商人とビールを乾杯するラスト。
「ここのビールは最高!」その台詞に思わずビールが飲みたくなる。


人生には苦難が待ちうけ、失うもの手放すものもあります。
その度、ビールの苦味の美味さが少し分かる大人に近づくのならば、
今はそれを小さな喜びと感じて、ジョッキとジョッキをつき合わせて、
共に乾杯で分かち合う幸せを享受しようではないか。

人生の苦味もいつか旨味に変わるはずだから。
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