震災後の多賀城を訪ねる2011年03月31日 22時01分52秒

仙台より東部、多賀城の東北歴史博物館周辺に、
避難所になっている学校と文化センターがあり、
ヤマザワなどのスーパーがある程度営業を開始し、
外見はある程度は落ち着いている様にも見えます。

しかし、ほんの数分先の国道45号線付近はその様子が大きく変わり、
その両方を行き来した人は、あちらは地獄、こちらは天国です、
と言っていたと聞きます。

31日は内陸寄りの伯母さんのところより先には行きませんでしたが、
丁度、そのときに「OH!バンデス」の番組内で、
その多賀城の浸水被害を受けた地区を映しており、
僕が知っているお店の現在の様子も映り、
ほんの少し先のその状況に締め付けられる思いでした。

仕事場の仙台中心部と郊外の自宅周辺を行き来するだけですと、
自分の生活圏内ではライフラインも食糧もガソリンも安定してきたいま、
現実ではない様な錯覚を感じることすらあります。

しかし、東北歴史博物館の付近に積み上げられた瓦礫の山などを見ると、
やはりこれが今の現実なのだと一気に引き戻されてきます。

決して野次馬根性で行くものではないのですが、
このまま中心部で生活が安定していく人達の意識について、
お節介ながらも少しの心配を感じることもあります。


多賀城に入ると迎えてくれる、「史都 多賀城」の看板。
それが立派に建っているのを見たときには少し安堵しましたが、
新聞報道もあったとおり、今この地域では上流から流れてくる
下水が溢れて臭気を出しているという深刻な状況です。

臭いについては、ほかにも海から流れてきたものの、
ヘドロの様ななにかの形容しがたいものもあるそうです。

僕の住む地域の排水もこちらの方に流れるため、
多賀城のために僕も生活排水を減らす様に努めています。

かつて毎日入浴したお風呂なども数日に一度のペースにしました。
はるか昔に生活を営み、今もお世話になっている多賀城に
少しでも力になれればとできることを続けます。


良いニュースは、丁度この訪問の前夜に多賀城の一部で水道が復旧しました。
前述の下水道の問題で頻繁には使用できない意識になっていますが、
給水所に通う苦労が軽減されるのは有難いと思います。
また、こんなときですが、むしろこんなときだからこそ、
伯母さんの誕生日をささやかにお祝いし、この日は帰路についたのでした。

このようなポスターをよく見かけるようになりました。
少しづつ、前向きになっています。
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