「英国王のスピーチ」 ~ 家族でもなく仕事ばかりでもなく2011年03月08日 23時40分34秒

先ごろ、アカデミー賞作品賞、主演男優賞、監督賞、脚本賞を受賞した
映画「英国王のスピーチ」についてのこと。

■「英国王のスピーチ」公式サイト
 http://kingsspeech.gaga.ne.jp/index.html

物語は1925年、大英帝国博覧会閉会式でヨーク公アルバート王子が
父・ジョージ5世の代理で演説を行うところから幕を開ける。
この物語の主人公、アルバート王子は吃音症に悩んでいた。
そしてこの日の演説もまた芳しくはなかった。

群集の見守る中、王子はその第一声から言葉を明瞭にすることができず、
極度の緊張と不安の中、恐怖と残酷なる時間は過ぎていった。
ある年、王子は妻のエリザベスの紹介で言語聴覚士のローグを紹介され、
吃音の治療を受けることになり、彼らの二人三脚が始まる。


自分が話したいことが自らの口から語れないことの苦しみ。
あなたは味わったことがあるだろうか。

アルバート王子、後に即位してジョージ6世となる彼に圧し掛かる重責は、
もちろん我々一般人とは比べ物にならぬものであることは明白ですが、
各々が背負うものの大小はあれど、吃音に苦しむ人は多い。

僕も話をするのは得意な方ではありません。
1対1の会話ならばともかく、大人数になると口数は減っていく。
無理に発言をしようとすると舌が回らなくなることはよくある。

多くの人は、口数が少なかったり大勢の前に話せない人を、
自分の考えを持っていなかったり表わせなかったりしているなどと、
蔑みと放置を持って捉えているかもしれませんが、
悩みを抱える当の本人に言わせれば自らを鼓舞する積極的になる等ということで
どうにかなるものならば太古の昔から吃音が一掃されているだろうと思える。

先天性、後天性、吃音の理由は様々に考えられるけれども、
本人は何故とかどうすれば良いとか、それが分かれば苦労しないと
ときにはヒステリックにもなり、どうすれば良いか分からない感情が
胸の奥から湧き上がり口から出ることもままならず頭を締め付けていく。

吃音は日常的に現れるものばかりではなく、アルバート王子の様に
演説などの極度の緊張を発する大事な場面のみ現れたりします。
僕らとて、いつ何時、言葉が出なくなるかは分からない。


アルバート王子は吃音の克服のため専門家の治療を受けていましたが、
この物語で彼が光明を見出す出会いとなったローグは、
実は専門家ではなかったとわかります。そこが重要だと思う。

ローグの立場はかなり絶妙な位置にあると思います。
警護なり医師なりの仕事で仕切られた立場とは言い切れない関係。
血縁の関係ではないが、家族に限りなく近い関係。
公私の両面でアルバートを支える強力な友人というのが近いでしょうか。

アルバートは戴冠の儀の際にローグを家族関係者の席に座らせる様に命令する。
この頃にはアルバートはローグの独特の訓練方法に信頼を寄せ、
さらに、一度は訪れる危機を乗り越えることにより友情が強固になっている。
不安からローグに傍にいて欲しいのではなく、家族の様な絆を感じているから
家族同然に扱うべきであるという関係に二人は達しているのだと思う。

二人は互いの輝かしいまでの信頼関係により互いを支えあい、
突如として訪れるアルバートの王位継承から第二次世界大戦への突入と、
世界規模に影響する困難な場面を乗り越えていく。
当初は人々に不安を与えるスピーチだったアルバートの声は、
最後には国民に希望を与えるまでの王の声へと到達していく。


今、僕らに希薄なのは、このアルバートとローグの様な関係だと思う。
家族関係、仕事関係、恋人関係などとは異なる微妙な関係。
友情関係というと簡単ですが、友情は実は複雑で単純なものではないと思います。

家族の様であり家族ではなく、互いの分をわきまえる様であって時には越えて、
全ての壁を越えている様でありながら、もともとの関係はなんの繋がりはない。
全く異なる人間がどういう巡り会わせか出会い、互いを必要とする関係になる。

家族だからできないこと、仕事だから言えないことが様々にある。
下手に結びつきが強いとその関係を壊したくない考えが働き何もできない。
そんな場合、元々が別々の場所から発生した別個の人間の関係であるとき、
その人だからこそ言ったり協力したりできることがあると思う。
繋がりが強い様でいて、希薄な面を逆に有利に働かせられるのも友情なのでは。

現在、僕らはかなり小規模な人間関係のなかで日常を過ごし、
家族との関係すら希薄にもなりつつある。
友達はある程度の規模の輪になるとそこからは輪は広がらず、
その外にいるものとの繋がりをもつことには消極的になっていく。
毒のある話ですが友達との関係にも温度差が生じる場合がある。

アルバートとローグの様にお互いを必要とする半身の様な関係は、
現在、僕らに必要なものの一つのなのではないでしょうか。
この映画は突き詰めていけば、人間同士のコミュニケーションにとって
理想的な大事な何かを提示する映画の一つである様に思えてくるのでした。
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