街の灯は・・・2011年03月28日 22時40分44秒

いつも旗を振っていた三兄弟?人形も止まっていました。


今日から職場の勤務がほぼ通常体制に戻りました。
それにともなって会社を出る時間が18時半過ぎになったのですが、
その時間に街を行くと思いのほか暗い!

各家庭・店舗での節電や、お店の短縮営業体制などの結果ですが、
暗いばかりか、寒いという印象もありました。
東京の方ではこの明るさでも生活できるんだ、
と目からウロコのように思っているようですが、
東京よりは人も建物も少ない東北では元気がない、という思いです。

ガソリンスタンドも随分、営業を継続するところが増えてきましたが、
まだまだ20時~21時まで営業する力がありません。
お店もほとんどが18時までの営業ですから、
帰宅時に何か用を済ませるということは当分できそうもありません。
休日には買い物・物資調達に走るという体制になると思います。

ところで、電気がついてもこの様な節電生活のため、
夜は早く寝るという生活が身体に染み付いているのですが、
これを機会にテレビ番組の1時とか2時の深夜放送はやめたらどうか。
なまじテレビ番組などやってるから夜も起きてしまうから。
深夜番組はもう、公式にネット配信のみにしてしまえばどうでしょうか。


しかし、暗いと言っても震災当初の電気の無いときの暗さに比べれば。
11日に家に帰るとテーブルの上にはロウソクと懐中電灯が集まっていました。


午後の3時半過ぎには日が陰り夜の気配が漂ってきますから、
夕食の準備はいつもより1~2時間早めに行います。
日が落ちてしまえばロウソクの灯りで料理をすることになるので、
包丁などを使う手元が危険になります。

やたらとロウソクを燃やしても火事の危険があるので必要最低限に。
しかし、懐中電灯の電池が残り少なくなってきます。
家中のリモコンや使わなくて良い時計などから電池をかき集めます。

お店から買ってくることのできない状況下で物資が細っていく、
電気が無いのでラジオから流れる情報をじっと聞いていること、
暗い明かりの中で強い余震に怯えていること、
思っているよりもずっと心細い状況にだんだんと神経をすり減らされ、
3日目のロウソクの晩には精神的に疲労が溜まっていました。

なにしろ、唯一の情報源のラジオからは明るいニュースが流れてこない、
外界の情報は得られない、やっと来た新聞の写真は瓦礫だらけ、では、
世界が終わりを迎えつつある様にすら思えました。

そんな4日目の夕方、町内の知人の家によっていたときに電力が回復。
思わずその場で拍手が起こりました。いままで何でもないことだったのに。
回復初日はそんな思いだった人は多いのではないでしょうか。
3日で疲労するのですから、いまも電気のない人たちは苦しいはずです。

電気が使えることが幸せだったということも改めて思いますが、
電気が使えないときの、朝に光が照らすことが幸せなことといったら!
太陽の光が生命の力というのも本当に実感しました。

「明けない夜はない」というのはよく出てくる台詞ですが、
僕の場合は1981年の「太陽戦隊サンバルカン」のOPですかね。
http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=7364
~太陽が燃えている限り 必ず眩しい朝がくる
悲しみの夜が続いても 君がは負けずに朝を待て~

映画監督の河崎実が物凄いプラス思考な奴らと評していましたが、
確かにいま、その明るさを実感しています。


最後に、3日間活躍したロウソクですが、
全て仏壇にたまったお寺のロウソクでした。
お祖父ちゃんとご先祖様が守ってくれたとも思います。
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