「男たちの挽歌 - A BETTER TOMORROW」 ~ まだ挽歌は届くか2011年03月02日 23時44分47秒

ジョン・ウーの名作をリメイクした韓国映画、
「男たちの挽歌 - A BETTER TOMORROW」についてのこと。

■「男たちの挽歌 - A BETTER TOMORROW」オフィシャルサイト
 http://banka2011.com/top.html

人は、ジョン・ウー監督の作品にいつ触れたのでしょうか。
ジャン・クロード・ヴァンダムの「ハード・ターゲット」かもしれない。
ニコラス&トラボルタの「フェイス/オフ」かもしれない。
いや、トム・クルーズの「M:i:2」なのでしょうか。
いやいや、「レッドクリフ」が初めてなのかもしれない。

とにもかくにも、ジョン・ウーはハリウッドで活躍するアジア監督であり、
超大作「レッドクリフ」を引っ下げてアジアへの凱旋を果たした。
しかし、香港時代にジョン・ウーの名を知らしめた作品であり、
彼の作品でもっとも人気の高い作品であり、映画史上重要な作品と言えるのは
1986年に製作された「男たちの挽歌」に他ならないのではないでしょうか。

「男たちの挽歌」はその邦題の通り、男たちに捧げる男たちの映画。
弟想いのヤクザな兄と、警察官になる弟の、違う世界で生きる兄弟の絆が、
ときに強く結びつき、ときに激しく引き裂かれようとする様を、
血と汗と硝煙と涙と叫びと、およそ思いつく限りの男の世界を、
それらを極上の美学で綴り彩った、ザッツ・ジョン・ウー映画です。

この映画には綺麗なスクリーンよりも場末の薄暗いスクリーンが似合う。
鮮明に見えない幕の向こう側を見つめるうち、涙に濡れて本当に見えなくなる。
良い過ぎかもしれませんが、それだけ酔える映画です。

男の世界と言っても、ハード・ボイルドともダンディズムとも趣を異にする。
強いて言えばバイオレンスの中で生じる戦場の誓いともいうべき、
拳と感情がぶつかり合ったまま融合して理解しあう様な世界。
そう聞くと暑苦しそうにも聞こえるものの、ジョン・ウーは詩情豊かに、
寂しささえも漂わせて僕らの胸を締め付けていく。

そんなジョン・ウー印は、監督作品のみならず、プロデュース作品にも現れる。
日本のアニメ作品の「エクスマキナ」でさえ、感情表現が何よりも優先された。
監督がプロデュースするときは、個人差はあれども多かれ少なかれ、
実際の製作にも大きく食い込んでいく、いや、それを止めることはできないはず。

だから、韓国映画として製作され、韓国の監督がメガホンを取ると言っても、
ジョン・ウーが製作総指揮にあたる以上、過去から未来まで彼のコアである、
血を分けた我が子の様な「男たちの挽歌」をただの仕事にするわけがないと。
かくして24年の歳月を経て「男たちの挽歌」は甦った。
24年。80年代半ばから2000年代終わりまで、
その間、香港も韓国も、映画も社会も大きく変化しました。


ジョン・ウーが築き上げたはずの香港ノワールは、その後香港映画自体が変容、
ジャッキーもジェット・リーもチョウ・ユンファもハリウッドで活躍する様になり、
「ザ・ミッション 非情の掟」(99)や「インファナル・アフェア」(03)頃から復興、
アンドリュー・ラウ&アラン・マックがその後の燃焼が思わしくなくなると
ジョニー・トーが抜きん出て時代は彼に移っていったと思います。
その間に香港は中国に返還されるという大革命を通過します。

一方、韓国映画は90年代後半から2000年前半に「シュリ」(99)などで躍進し、
日本における韓流ブームが始まるとドラマ・映画ともに海外でのバブルに突入、
昔のさもない映画までガンガン輸出した後、ブームが落着いてくると、
本当に映画作りに貪欲なハングリーな奴らが作り出す"アブナイ"映画が突出し、
ポン・ジュノ、キム・ギドクからナ・ホンジンやヤン・イクチュン等々、
まだまだキリのないグツグツした溶岩の泡が吹き上がっています。

香港映画だってまけてはいないものの、韓国映画のギラギラした空気に
ジョン・ウーがかつての80年代香港のドロドロを見出したのか?
はたまた、男たちの絆を今描くと言えばこれも韓国映画に他ならないと感じたのか。
ジョン・ウー自身がメガホンを撮らなかったのは不思議でならないものの、
韓国でのリメイクを許したことには彼なりに納得行くものがあったのだと思う。

香港と韓国のノワールのそれは渇き方というか湿度が違うと思いますが、
兄弟の絆は韓国の場合はそんな人をそこまで?と思うくらいに強い。
両者が向き合った相互に想い合う関係ではなく、
一方が一方的に強く想うだけで成立することさえある様に思えます。

韓国版「男たちの挽歌」は4人の男たちが中心に回っていく。
まず、武器密輸組織に属するヒョク、ヒョクの弟で警察官のチョル
肉親の絆で結ばれた二人の関係に、ヒョクを兄貴と強く慕うヨンチュンが加わり、
義兄弟と呼ぶべき、血の繋がったものとは異なる絆を生み出す。

そして、彼らをズタズタに引き裂いていくのが、組織の社長の甥のテミン。
いつまでも出世できない彼の心は暗く深く歪み荒み、
ヒョクをヨンチュンを裏切り組織の頭にのし上がっていく。

さらにヒョクとチョルは脱北者という出自を背負っており、
ヒョクは逃げる際にチョルと離れ離れに生き別れとなり、
チョルと母をも苦しめたという悔恨と贖罪の想いを抱き続けている。

ヒョクは罠に嵌り監獄に入るが、チョルはその悪を討つために警察官へ。
ヨンチュンはあくまで堅気ではない立場からヒョクを支援する。
そしてヒョクはシャバに帰ると堅気に戻ろうとするが、
やがてテミンによって張られた抗争の波に巻き込まれ、
チョルをヨンチュンを救うために狼の血を甦らせていく。

戦場からヒョクに逃がされ一人になったヨンチュンは悪態をつきながら、
兄貴を助けるため船をターンさせ、マシンガンを手にテミンに怒りを向ける。
砲撃の中、怯えるチョルに対して叱咤しヒョクの想いを気づかせる。
三人の男たちは実の兄弟の絆を義理の絆を確かに握りしめ、
死ぬときはともに行こうと目で契りを結び、炎の中で舞う…。

香港と韓国の微妙な差異と共通点を融合させ、新たなる挽歌は生まれた。
それはやはりジョン・ウーの手腕に寄るものだと思います。
オリジナルと比べられる宿命からは逃れられない新生「男たちの挽歌」。
しかし、宿命を背負うのもその世界に生きる男たちの美学に他ならない。

観客には男性客があまり見受けらませんでしたが、
やはり男が見る映画であるべきであることには違いない。
そうだ、24年の間に変わったのはもう一つ、日本では男子の草食化だったか。
それが日本での挽歌であり、もうその歌は届くか分からない。
しかしそれでもうたい続ける。それでこそ、挽歌です。
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