獅子は静かに 「相棒 -劇場版II- 警視庁占拠! 特命係の一番長い夜」2011年02月01日 23時56分11秒

テレビ朝日系列の刑事ドラマ「相棒」の劇場版、
「相棒 -劇場版II- 警視庁占拠! 特命係の一番長い夜」
についてのこと。


「相棒」は元々、2000年に土曜ワイド劇場の2時間ドラマからスタート。
そこで3本の作品を経て2002年に連続ドラマ枠へ移動。
じりじりと手堅く奮闘し現在では、Season9 が放送中の長寿ドラマになった。
当時使われなかった"Season"という言い方を使えば、同じテレ朝系列では
「さすらい刑事旅情編」(Season7)「はみだし刑事情熱系」(Season8)を越え、
「はぐれ刑事純情派」(Season18)の半分まで来たというところ。

2008年の「相棒 -劇場版- 絶体絶命! 42.195km 東京ビッグシティマラソン」
2009年のスピンオフ「相棒シリーズ 鑑識・米沢守の事件簿」を経て、
10周年を記念して製作されたのが今回の劇場版ということになります。

主演は水谷豊演じる杉下右京警部&寺脇康文演じる亀山薫巡査部長の
二人で一人の警視庁特命係(庁内の厄介者扱い)所属の「相棒」。
Season7 で亀山の辞職に伴い寺脇康文は去り、
最終話から及川光博演じる神戸尊が新相棒として参加。
「東京ビッグシティマラソン」では寺脇康文が相棒でしたが、
今回はSeason8と9の間のエピソードという設定のため、
水谷&及川コンビでの映画化となりました。

現在、興行収入は30億円ほどを見通しているとのこと。
なお、手前味噌ではありますが、この作品では我が方の仙台がロケ協力をし、
宮城県仙台市の皆さんがエキストラとして参加しております。
警視庁内のシーンを宮城県庁内外で撮影しております。
ええ、郷土のプチ自慢です。

さて、「相棒」の魅力のひとつは杉下右京のキャラクター性でありますが、
沈着冷静、論理的思考、穏やかな口調で単刀直入に切り込む姿勢、
紅茶を初めとしてサブカルから学問分野まで広くカバーする知識、
常に自己を律しているかの様な態度、ある種の天然とユーモア・・・。
あげればキリがないものですが、この種の類は得てして、
場末の探偵事務所で所員無し所長一人の変人・敏腕として書かれそうなものを、
およそ考え付く限り全部、刑事ドラマの中に注ぎ込んだとも思えます。

その多くは2~3話も見れば自然とマネをしたくなる様な一癖二癖ですが、
右京を魅力ある人物としているのはその様なアイコンではなく、
真の犯人とその罪と対峙するときに見せる、それまでと全く逆の激情こそ、
彼の信念の本質であり、それがあればこそ惹きつけられるのではないでしょうか。

そのため、シリーズを長らく見守っている人たちからすれば、
「右京さんがまだ激昂していないぞ。と、いうことはまだ黒幕がいるな。」
という先の展開の読みを立てる人も少なくはないはず。
パターン、と呼ぶとゆるやかな沈降の様に聞こえることもありますが、
真の罪を断じて許さない様に、揺ぎの無い信念を貫くことならば、
作品に強い強い背骨を通すことであり、それは魅力となり得るはずです。

ルーチンワークとしてその役を描き、こなすのではなく、
どう考えたとしても、やはりこれが真実だろうと戻るべきところに帰るならば、
お決まりの展開とは呼ばない、たった一つの真実だからそうなるのだ。

しかし、今回の劇場版を悔いる様に見つめても、右京が見せていた、
頬がふるふると痙攣し、声を震わせ感情を顕にする様な彼は見当たらない。
その代わり、奥底で暗く深く静かなものが燃え立とうとしているのが、
彼の感情を抑制したほんの微妙な表情の変化から感じることがある。

それは、感情を顕にするよりもある意味、彼の心中を察することができる。
だからこそ、ラストに空けられた巨大なる風穴に対して、
物足りないという向きもあるかもしれないけれども、
右京が静かにしかし正面を向きはっきりと言葉を言い放つその様子は、
「ドラゴン怒りの鉄拳」のラストの様な精神を感じてしまうのです。

実際、見ていて退屈などはしません。
プロローグの貨物船爆発事件、警視庁立て籠もり事件の謎を残した決着、
立て籠もり事件の首謀者の八重樫の過去を追い浮かび上がる7年前の事件、
八重樫と7年前の事件との接点を持つ朝比奈圭子警部補の真意、
警視庁公安の黒幕・影の管理官を浮かび上がらせる危険な追跡、
事件を巡り"改革"を図ろうとする警察庁と警視庁の攻防、
真犯人を追い詰めてもなお、権力の壁に何重にも阻まれる現実・・・。

次々にシャッターに鎖されては突破する窓が開いていく如きイベントの数々、
それらを関係者の愛憎や確執で体温を伴ったものとして厚みを生ませ、
また少ないシーンでも個々の役者の一人一人がセッションし印象を刻む。
水谷豊と岸辺一徳と國村隼、宇津井健と品川徹、
小西真奈美と小澤征悦と葛山信吾、それぞれの顔に魂がある。
そのなかでさらに、たまきさん・益戸育江との
ウィットで親しみを籠めた会話も無駄なく入れ込む抜け目無さ。

ドラマの映画化、というのは楽しいことは楽しいけども
観てもスペシャルドラマ版とそれほど大差なく、
大きな画面と大音響で見ただけのものもあるなか、
「相棒」の劇場版は質が高いと思う。

立川志らく師匠が、表情の機微がよく分かる大画面で観てこそ、
ヒューマンドラマが心に染みてくるということを言っていましたが、
今回の「相棒-劇場版II-」では前回の動に対する静、
その様な繊細な変化を感じ取ることも楽しみではないでしょうか。

「相棒」はドンパチやって息せきかけて駆けずり回る様な
アクション性を主題においたタイプの刑事ドラマではない。
「西部警察」方面「あぶない刑事」方面とは違う刑事ドラマで、
刑事ドラマの劇場版全てに無闇矢鱈に求めるのは違うのではないかと。

人間の罪と正義がぶつかり合うウェットなヒューマニズム、
かつ断片を緻密な推理と閃きで繋ぎ合わせていくミステリーであり、
何よりも、タイプの異なる人間がコミュニケートすることで
互いを高めあっていく可能性に触れるのが「相棒」だと思う。
ダイナミズムは外面だけではなく、人間の奥底に潜むうねりでもある。

杉下右京に巧みに導かれ、紅茶の香に浸るうちに深い味わいに魅せられる。
ガチガチな社会派ドラマでもないのだ。

映画音楽は愛と哀しみを・・・2011年02月02日 23時56分37秒

1月30日にジョン・バリーが亡くなった。
イギリスに生まれ、映画館経営の父とピアニストの母の元に生まれた
ジョン・バリーはなるべくして作曲家となり映画音楽を多く残しました。

死亡記事には「007/ジェームズ・ボンド・テーマ」を初め、
「野生のエルザ」「愛と哀しみの果て」「ダンス・ウィズ・ウルブズ」が
代表的ディスコグラフィとして紹介されていました。

「007」はもちろん有名なる"あの曲"。
元々はモンティ・ノーマン作曲、それをジョン・バリーが編曲して完成。
この曲がなければ「007」が長寿シリーズとなる要素は確実に一つ欠けたはず。
ヴァージョンは違うものの、 こちらで視聴ができます。

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「愛と哀しみの果て」は、あのまさに愛と哀しみに彩られた人生と
全てを包み込もうとする大地とを、叙情性を持った旋律が
さらに飲み込もうと映画全体から溢れてくる。
そしてメリル・ストリープの声を池田昌子("しょうこ"ではなく、"まさこ"。
「銀河鉄道999」のメーテルの声をあてた方)が吹替えた日本語版は
震えるほどにバリーの音楽とお互いを引き出しあっています。

そう、ジョン・バリーの音楽は映画全体を決定づけていると言っていいものです。
「007/ジェームズ・ボンドのテーマ」は勇ましいものですが、
オスカー作曲賞を受賞した「愛と哀しみの果て」を初め、
名作・佳作に静かに流れる哀愁と郷愁の感情を揺さぶる音楽も多い。

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ハリソン・フォード出演の「ハノーバー・ストリート/哀愁の街かど」も
音楽によって副題の通りの哀愁100%のものになっていると思うし、
「ブルース・リー/死亡遊戯」は既に死去した偉大なる武道家への、
回想とレクイエムに加え果たせえぬ想いをも汲み取ったのでは。
以前にブログで紹介したタイムトラベル「ある日どこかで」では、
ジョン・バリーの音楽が二人の時間を遡らせたと言えないか。

ときには「ローン・レンジャー」でラジー賞を受賞し、
音楽を担当した「幸福の条件」もラジー賞作品賞を受賞するという、
さすがに長いキャリアのなかでそんなこともあったものの、
映画の雰囲気を8割ぐらい決めてしまう様な力を持った曲ばかり。

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1976年のジョン・ギラーミン監督のリメイク版「キングコング」の音楽という、
変な仕事もやっていたので追悼の意を籠めてまたレンタル。
ピーター・ジャクソンが周囲の制止を振切ったかどうかは知らないけども、
とにかく自分のやりたいことを全て注ぎ込んだ2005年版も好きですが、
この手作り感溢れるギラーミン版も僕は味わい深いと想います。
ちなみにジャクソン版はジェームズ・ニュートン・ハワードが音楽を担当。
(「シックス・センス」「バットマン・ビギンズ」「プリティ・ウーマン 」など)

ジョン・バリーの仕事として意識して音楽に耳を傾けると、
カットの切替りや台詞の間も計算され、良いタイミングで盛上がり、
良いタイミングで音楽の主張が引いているのがよくわかります。
劇中音楽を手掛けるうえで基本中の基本であるにも関わらず、
昨今、ただ流れているだけの煩い曲はないでしょうか。

コングの島に向う洋上の、陽に照らされたオレンジの海の煌きを、
少し骨ばったジェシカ・ラングをピチピチに輝かすとともに
コング登場、コングと美女の心の共振、野獣を襲う悲劇等々、
そのスクリーンに映る人物と生き物の心の幅を増幅していき、
それを見ている僕らの感情にもウェーブを立たせていく。


歌作りの世界には、詩先・曲先という考え方があるそうですが、
それで言うならばジョン・バリーは画先とでも言う様に、
映像をつぶさに見ながら、画に合わせたリズムを作ることを心がけたそうです。
本来、皆そうあるべきであるはずが、分業スケジュールの都合で
曲オーダーだけが先に走るケースもまたあるものです。

映画の行方を左右するものは、脚本、役者、カメラ、編集と様々ありますが、
音楽はときに最終決定ともいえるほどに作品全体を決めてしまいます。
いかに役者が情熱を籠めたり技巧を凝らした演技をしようとも、
いかに秀逸なカメラワークに画を収めて卓越したセンスで編集しようとも。
そこに流れる音楽こそ、彼らの魂の仕事が粉微塵に砕くことも、
彼らのやろうとしたことをさらに高みに押し上げる力をも持っている。

最近でも、目から入った情報よりも耳から入った情報の方が、
脳に直接作用するという話を聞いたことがあります。

サイレント映画の時代から映画音楽は作品全体を支配する力を持っていた。
それが分かるからこそ、ジョン・バリーは繊細な仕事を心がけたと思う。
そして出過ぎることなくときに抑制も利かせることを。
そこから作品と一体となった曲の数々が生まれていった。

音楽まで気にかければ筋が頭に入らないと、普通の人は名前も気にしないはず。
僕も最初から意識するのは、ジェリー・ゴールドスミスやハンス・ジマー、
エンニオ・モリコーネなど数人程度のもので他は後からチェックします。
音楽は自然に耳に残り映画とともにあれば良く、
後から再評価する場合でない限り作者の名前で聞くことはない。
しかし、振り向けば多くの場面でそこに彼らの仕事の数々があった。
良い仕事は出すぎない助力であり、いつの間にか心に広く染み渡っていく。

私とスパロボ 「第2次スーパーロボット大戦」2011年02月03日 23時36分01秒

さて・・・どこまで話しましたか。
そう、(第1次)スーパーロボット大戦までだったはず。
なので次はファミコンの「第2次スーパーロボット大戦」。

「第1次」が1991年の4月に発売し、「第2次」は同じ年1991年の12月29日に発売。
規模から考えれば当時でもかなりのハイペースの発売だと思います。
当時は僕は名前を知ってはいたものの、まだマジンガーZやゲッターロボに
馴染めなかったし古くさいアニメくらいにしか思っていませんでした。
実際にそのアニメを見られない当時の状況からすれば仕方がないものでした。

開発元のウィンキーソフト社長の高宮成光氏の当時を振り返るインタビューが、
メディアワークス発行・電撃攻略王の「スーパーロボット大戦F(PS版)」の
攻略本に掲載されていますが、今も読み返すと目頭が熱くなる。

「第2次」は好評の「第1次」(上記インタービューによれば19万本売上)を
受けて製作されたものの、約1年の間に情勢は大きく変化。
時代はスーパーファミコンよ。もうファミコンの時代じゃないのよ。
という様な理由でほとんど宣伝をかけることができず売上は10万本程度に落込む。

既に1991年の夏には「ファイナルファンタジーIV」がSFCで、
「ドラゴンクエストV」の発売(1992年)もアナウンスされている。
それでも翌年も「SDガンダムガチャポン戦士」「ナイトガンダム物語」
などのバンダイロボット&ヒーローシリーズ作がFCで発売しますが。

当のバンプレストもSFC元年1990年からコンパチヒーローシリーズの
「SD・ザグレイトバトル 新たなる挑戦」を発売し、
1992年3月には続編「ザ・グレイトバトルII ラストファイターツイン」を
発売するスケジュールになっていたし、バンダイキャラクター物も、
1991年7月「機動戦士ガンダムF91フォーミュラー戦記0122」(バンダイ)
1991年12月「SDガンダム外伝 ナイトガンダム物語大いなる遺産」(エンジェル)
など明らかにFCを上回る規模でSFC展開を開始していました。

しかも、バンプレストは「第2次」と同じ発売日1991年12月29日に、
アークシステムワークスの開発で「バトルコマンダー 八卦衆、修羅の兵法」という、
オリジナル色は多分に強いものの、ガンダム、エルガイム、ドラグナー、
マジンガー&ゲッターシリーズを元にしたキャラが戦うSLGという、
どこかで聞いたようなSFC作品をぶつけているのだから!
今では信じられない!

結果として市場に出回った本数も少なく、当時すでに存在していた中古市場にも、
このFC「第2次」はほとんど出回っていない状態でした。
今でこそ、レトロゲームそのものがジャンルとして確立していますが、
当時は家庭用ゲームの歴史などと語れるものでもない浅い時代のもの。
FCは一部を除いてただ時代遅れの処分品として淘汰されるのだった・・・。

そんなわけで僕が「第2次」を手に入れる1994~1995年というのは、
一番品薄だった時期だったのかもしれません。
中古ショップの大量処分品にあったのをたまたま買ったものでしたが、
以降、数年間見かける機会もなく「幻」「高値」という噂ばかり。

そんないきさつもあってこの「第2次」は、1994年にSGB対応ソフトで
「第2次スーパーロボット大戦G」としてリメイク、
1999年に「第3次」「EX」と合わせて「F」レベルでリメイクした
「スーパーロボット大戦コンプリートボックス」としてPSで発売。
(後にコンプリートボックス収録3作品をバラ売り。)

ついでに言えば2004年には「スーパーロボット大戦GC」発売に際して、
抽選プレゼントとしてGBA・ファミコンミニ版が2000名に贈られることになり、
シリーズ中でも多くのヴァージョンを生み出しました。
このリメイク版が多く出たために手放す人も多くなったのか、
FCのオリジナル版も近年では珍しいものではなくなっていく。
さらに、PS版は最近になってゲームアーカイブスにて配信中。


さて、肝心のFC版の「第2次」の中身はと言うと、これはもう、
クリアには苦労したという記憶しかありません。とにかくキツイ。
売れなかったのは宣伝のせいばかりではない、
マニアックだったのとミッションが困難だったからではないでしょうか。

具体的には味方ユニットが少ない=手数が少ない、敵が堅い強い、
修理ユニットが少ない、回復量も少ない、サイバスターのMAP兵器が弱い、
精神コマンドは消費ポイントが激しすぎて多用できない等々・・・。
仲間達を救いながら圧倒的勢力に立向かう抵抗勢力といいながら、
状況はランボーみたいなのに、こっちだけランボーじゃないヨ!
の様な?まさに激闘だった印象しかありません。

良いこともありました。ゲームがそこまで作りこまれなかったせいで、
武器のエネルギーや弾薬の概念がなく、武器は無制限使い放題、
やられても手数が減るだけで資金的なペナルティがほぼないなど・・・。
いや、そこまで制限があったらカセットを壁に激突させてしまう。

現代の若人にはクリアはとても無理ではないでしょうか。
アクションゲームなどはテクニックを要求するものですが、
リアルタイム制のないターン制SLGなど、クリアに必要なものは要は根気。
根気を生み出すものは何かといえばこの場合、ロボへの愛しかない。
当時のプレイヤーはただ、愛のみで戦い抜いたに違いない。
愛こそが戦いの宿命(さだめ)なのだと信じていた(?)。

この「第2次」の結果を見て当時シリーズ化に消極的だったバンプレストに、
ウィンキーソフトが食い下がって「第3次」を製作したお陰で、
今日、このシリーズが20周年を迎えることができていることは間違いない。
その影響はシリーズ以外にインスピレーションが及ぶこと計り知れない。
そしてあの日、「第2次」のプレイヤーもまた死闘を生き抜いたのだと。
礎を、原点を忘れてはなりません。


<第2次・登場作品>赤字は初登場
機動戦士ガンダム
機動戦士Ζガンダム
機動戦士ガンダムΖΖ
機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争
機動戦士ガンダム 逆襲のシャア
機動戦士ガンダムF91
マジンガーZ
グレートマジンガー
UFOロボ グレンダイザー
ゲッターロボ
ゲッターロボG
劇場版グレートマジンガー対ゲッターロボ
魔装機神サイバスター
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