仮面二人と車とボンバーギャル ~「グリーン・ホーネット」2011年02月09日 23時50分41秒

グリーン・ホーネットは二人組のヒーロー。
昼間は新聞社の社長ブリット・リード&アジア人助手のカトー。
夜は緑のマスクとコートに身を包み秘密兵器で街に蔓延る悪を叩く。
映画「グリーン・ホーネット」についてのこと。


■「グリーンホーネット」オフィシャルサイト
  http://www.greenhornet.jp/

アメリカンヒーロー「グリーン・ホーネット」の歴史は
1936年に初登場となるラジオドラマがスタート。
1939年に劇場用短篇実写作品が製作され、
1940年からコミックス版が発行。
1966年にTVドラマがスタートし、日本でも放送。

実写映像化に数十年のブランクがあるこの映画が注目を集めた理由とは、
1966年のテレビ版でカトーを演じて後にその名を轟かせた俳優こそ、
伝説の武道の達人、ブルー・スリーその人だったことに他なりません。

この映画の企画が聞こえてきた当初から、主人公のブリットの配役よりも、
「ブルー・スリーが演じたカンフーの達人カトーは誰がやるんだ?」
という話題の方が注目されていたことは間違いありません。
ちなみに、ブリットはコメディアンのセス・ローゲンが演じています。

人気作品の映画化に際して、主人公よりもそれ以外の配役が話題になるのは、
ライバルやヒロイン、悪の親玉などはよくあることだとしても、
主人公のすぐ脇のポジションが一番気になることはそうそうないと思う。
バットマンよりもロビンを気にする人がどれだけいるでしょうか?
それもこれも、ブルー・スリーがいかに巨大な存在であったかを
雄弁に物語るエピソードといえるかと思います。

当初、カトー役には「カンフー・ハッスル」や「食神」の主演を務め、
監督や製作業でもクリエイティブなセンスを発揮する天才香港スター、
チャウ・シンチーが内定していましたが、諸事情により降板。
自作のなかでもブルー・スリーへの敬愛を惜しみなく発揮している彼ならば、
さぞリスペクトに溢れた新生カトーが登場しただろうと惜しんだものです。

別の線では、実際に「ドラゴン/ブルー・スリー物語」でリーを演じた
ジェイソン・スコット・リー(ちょっと懐かしい肉体派アクションスター)や、
マスター・オブ・リアル・カンフーであるジェット・リー大将も挙がっており、
彼らがマスクをつけて・・・それそれで見たい気もする。

そんな事情などで頓挫していた映画版製作状況は近年になって急展開し、
カトー役には台湾のトップスター、ジェイ・チョウが決定。
それも当初は、ジェイ・チョウがアクション?
彼のアクションといえるのはこれもまた真面目にふざけた「カンフーダンク」か?

彼はまだ作曲や歌手活動の実績の方がキャリアの大部分という印象。
彼のルックスは平均的少年顔という風でブルース・リーには遠いですが、
時折見せるエッジの利いた鋭い視線がやけに印象に残ります。
ゴンドリーもジェイのそんなミステリアスな一面の可能性と、
PVを手掛けてきた自身の感性とジェイの音楽性に通じるものを見出したか?

ジェイは幾分小柄な体躯からスマートなアクションを魅せてくれる。
「奴の動きが止まって見えるぜ!」と言わんばかりの演出が施されますが、
振り返ればやはり彼は「周りのものが止まって見える」という
「頭文字D」の実写版映画の主人公・拓海を演じていたのだった。
コーヒーの入れ方は天才的、黙々と新兵器を開発するクールな頭脳でもあり、
この映画への貢献度はジェイによるものが最も高いといって良い。

主人公のセスはバトルではほどんと奇声をあげて走り回るだけですが、
ジェイを脇において画面を支配してしまうのだから彼も侮れない。
アメリカンコメディを劇場公開する機会は滅多にないから、
DVDチェックに余念がなければその名を知る日本人もまだ少ないだろうに。

キャメロン・ディアスは最近やや痛々しいときもある時期ですが、
今回はバイン(謎)な役でそりゃジェイ君も刺激が強すぎてしどろもどろ、
持ち前のコメディセンスと自然な(やらしくない)お色気で
二人と絶妙に掛け合い、作品に溶け込んでおり好感が持てます。
そう言えば今回の彼女の役は聡明な一面も持ち合わせて珍しい。

ゴンドリー先生にしても、企画当初から関わって一旦離れて、
また巡り戻ってきたという本人の談はあるものの、彼が携わった
「恋愛睡眠のすすめ」「僕らのミライへ逆回転」や数多くのPVを見るに、
少なくともアクションを撮るというイメージがありませんでした。

「新たなる挑戦と受け止めていたよ」とも彼は語る一方で、
僕などは、どんな監督もアクション映画に引きずり込むハリウッド病に
この大人の姿をした天才少年もまた侵されてしまったのかと思った次第。
あるいは飼いならされないゴンドリー先生にスタジオが激怒するか?

そんなややハラハラした期待(?)を胸に観賞すると、
どうやら用意されたアクションヒーロー映画の枠の体裁を保ちつつ、
ゴンドリー先生自身のエッセンスを巧みに溶かしこんだというところ。

ただそれが、ヒーローが出てくれば他のシーンでナニやっても良いとか、
エロを何分かおきに挿入すれば文句は言わないといった類の、
他のシーンで自分のやりたいことをやったは良いものの、
肝心のアクションが薄味になってしまってアクション映画としては破綻し、
結果、作家の大暴走映画になったという様なことではない。

普通に見ている分にはシャレたアクション映画として楽しめつつ、
立ち止まれば"そのアクション自体の中にも"、
ゴンドリーらしさがここにもそこにもあそこにもという具合。

例えばブリットとカトーがブリット自宅で繰広げる、
そこらにあるものを何でも獲物にする長い長い大乱闘であったり、
麗しき超秘密兵器的愛車"ブラック・ビューティー"で突撃する
(「007」シリーズのボンドカーの様に秘密兵器満載の黒い車)
クライマックス、哀れ半分にぶった切られてしまったこの車で
縦横無尽の活躍を見せ高層ビルからの脱出まで茶目っ気たっぷりに、
真面目に作られた大笑いさせられるシーンの数々が、
アクションに表層ではなくベースとして巧妙にあるいは狡猾に潜んでおり、
それが映画全体の隠れた下地として息づいているのではないでしょうか。
結果、作品自体もゴンドリー自身も殺されずにすんだ様に僕は思う。

一見、どうなることやらと思ったスタッフ&キャストだったものの、
蓋を開けてみればかなりウマの合ったセッションを見せてもらえます。
ゴンドリーが続編を手掛ける可能性は薄いと思われますが、
また次回も期待してしまうのでした。
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