地上の星がまた消えていく ― 2011年02月05日 23時45分14秒
最近あまり行っていなかったレンタルショップに行ってみると、閉店していました。
レンタル落ち商品とかをジャンジャン売っていたのではありましたが、
それはVHSばかりだったので(このブログで紹介しているのはそれ)、
単に棚の整理だけだと思っていたのですが・・・。
レンタル落ち商品とかをジャンジャン売っていたのではありましたが、
それはVHSばかりだったので(このブログで紹介しているのはそれ)、
単に棚の整理だけだと思っていたのですが・・・。
このお店には、絶滅寸前のVHS作品がまだまだ数多く残されていました。
未だにDVD化されていない貴重な名作もあったのですが、
それよりも僕が寂しく思うのは、名作でもない珍作でもない、
映画バブル期に乱造されたゴミの様な映画が消え行くことです。
ガラパゴス諸島ではなく、東京夢の島のごとく!
そんな作品など無くなっても良いじゃないか。
後に残るのは優れたものを積極的に残していこうじゃないか、
面白くもないものに時間を割いて無理に残すものではない。
確かにそうなのです。
後に残るのは優れたものを積極的に残していこうじゃないか、
面白くもないものに時間を割いて無理に残すものではない。
確かにそうなのです。
しかし、心の中にひっかかるものがある。
本当に優れたものだけが残る淘汰社会でいいのでしょうか。
ゴミの様だが何故か愛すべき作品、見世物的側面を残してこその映画であり、
それこそが本当の映画史を作っているのではないでしょうか。
僕が特に気にするのは1970年代後半~1980年代後半にかけての、
実に奇妙なB級・Z級映画(往々にしてアクションやホラー・SF)です。
今でも「????」な映画は作られているけれども、
あの時代のそれはまた今とは違う独特の異彩を放っていた。
勘違いしてはならないのは、それらは「B級だけど良い作品」ではない。
「B級でホントに最低レベル」の作品が上手いことVHS・DVDになれたのに、
ここで生き残れずに朽ち果ててしまうのが口惜しい。
負には負なりの歴史があるのだから、それはあらゆる意味で残るべき。
名作にとっても良い。暗闇があればこそ光は輝く、とノアも言っている(?)。
「なんだこりゃー!!金と時間返せぇぇええ!」というものが無ければ、
秀作を秀作としてみることができないではありませんか。
優れたものだけが残る優生社会など認めませんぞ。
それに「こんな映画観ちまってな・・・ふふ」とマイナスを楽しみに変えてこそ、
ホントウに映画を愛してると僕は思っている。いやいやマジで。
現在はただ下手な人がそんな映画を作っている気がするけれども、
あの頃の映画はある意味でプロも"狂ってた"様な気もする。
ランボーとブルー・スリーとシュワちゃんとゾンビとキョンシーと
ロボットとサイキックとカンフーとバイオレンスとお色気とお下品と云々、
およそ考え付く限りを闇鍋の様に一つの作品に放り込んだ病み鍋が出来、
それを本気で作って作らせて、勝手に続編作ったり、勝手に「2」つけたり。
そんなある意味で"狂っちゃいないぜ"と言いながら本質が狂っていたからできた、
バブリーな魑魅魍魎の海から生まれたかの様な、なんとも名状し難い作品たち。
クトゥルフの神々を現すのにこの世の語彙の全てを駆使しても表現を困難にする様に、
独特の"アヤシイ"雰囲気を纏いに纏っている表現できぬあの作品たちよ!
狙っていたのでもないのに、出来上がってしまった変幻怪異なもの。
思ったものが思うようにならなかった偶然の産物と、ときにやる気のなさ、
あるときは、なんか違くね?でも勢いは止められないんだなあと、
諸々の不可抗力とマイナスエネルギーとカオスが混在したときにできる。
オマージュでも、ましてリスペクトなんかではできない・・・。
ナニを言っているのか分からなくなってきましたが、
とにかくそんな、2時間観賞するよりずっと有意義な時間を過ごせるはずな、
しかしひっかかって仕方のない映画たちを刻んだVHS・DVDたち・・・。
あの店が閉店した今、彼らはどうなっているのだろうか。
オークションや中古店で売られているならば良い。
そうして少しでも世に生きながらえるのならば。
今はただ、手を合わせるしかありません。
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