無力と罪悪 ― 2007年03月07日 21時50分32秒
1994年のルワンダ大虐殺を描いた「ルワンダの涙」を鑑賞。
<物語>
1994年4月6日夜。フツ族出身大統領の飛行機墜落死が引き金となり、
フツ族の民兵によるツチ族の虐殺が始まった。
首都キガリの公立技術専門学校には白人カトリック教徒の
クリストファー神父が中心となり、ツチ族を匿っていた。
そこには国連軍が常駐しており彼らがいる限りは
フツ族も侵入できなかった。
しかし、国連軍も自衛以外に命令が無い限り
フツ族を止められない無力な存在だったのである。
ルワンダ大虐殺を題材にした映画と言えば昨年公開の
「ホテル・ルワンダ」が記憶に新しいです。
監督の発言からは対抗意識が感じられますが、
二つの作品は同じ事実ながら視点が異なります。
本作は英国からの海外青年協力隊の白人英語教師ジョーの視点で
描かれ、凄惨な虐殺がこれでもかと描かれます。
「作業開始」の号令で開始される暴行。
赤子を抱えた女性が容赦なくナタで殺される様は見るに耐えません。
一箇所に匿うというのは「ホテル~」も同じですが、
本作は知恵と勇気で立ち向う普通の英雄ではなく、
頼りない国連軍とカトリックの信仰だけしかない無力さしかありません。
全体に漂うのは何も出来ない無力感と、
国連軍と白人と傍観者が感じる罪悪感です。
実際に事件を取材して何も出来なかった罪悪感に苛まれた
BBC記者が映画化しただけあります。
参加した撮影スタッフは実際の虐殺で家族親類を殺された人々だと
エンドクレジットで写真とともに明かされます。
その写真がカメラに微笑んでいるのが心に突き刺さります。
笑っていられるわけがないはずなのに。
最後に流れる実際の国連の「虐殺ではない」という発言。
言葉の定義を論じる以前の問題です。
それを我々は憤りつつも無力感だけが残ります。
トラックで学校を去る時のジョーの瞳と
平和なイギリスの学校風景は虐殺以上に我々の罪を感じます。
一人、現れた生還者マリーの瞳だけは強い意志に満ちています。
このラストは心に刻み付けなければなりません。
<物語>
1994年4月6日夜。フツ族出身大統領の飛行機墜落死が引き金となり、
フツ族の民兵によるツチ族の虐殺が始まった。
首都キガリの公立技術専門学校には白人カトリック教徒の
クリストファー神父が中心となり、ツチ族を匿っていた。
そこには国連軍が常駐しており彼らがいる限りは
フツ族も侵入できなかった。
しかし、国連軍も自衛以外に命令が無い限り
フツ族を止められない無力な存在だったのである。
ルワンダ大虐殺を題材にした映画と言えば昨年公開の
「ホテル・ルワンダ」が記憶に新しいです。
監督の発言からは対抗意識が感じられますが、
二つの作品は同じ事実ながら視点が異なります。
本作は英国からの海外青年協力隊の白人英語教師ジョーの視点で
描かれ、凄惨な虐殺がこれでもかと描かれます。
「作業開始」の号令で開始される暴行。
赤子を抱えた女性が容赦なくナタで殺される様は見るに耐えません。
一箇所に匿うというのは「ホテル~」も同じですが、
本作は知恵と勇気で立ち向う普通の英雄ではなく、
頼りない国連軍とカトリックの信仰だけしかない無力さしかありません。
全体に漂うのは何も出来ない無力感と、
国連軍と白人と傍観者が感じる罪悪感です。
実際に事件を取材して何も出来なかった罪悪感に苛まれた
BBC記者が映画化しただけあります。
参加した撮影スタッフは実際の虐殺で家族親類を殺された人々だと
エンドクレジットで写真とともに明かされます。
その写真がカメラに微笑んでいるのが心に突き刺さります。
笑っていられるわけがないはずなのに。
最後に流れる実際の国連の「虐殺ではない」という発言。
言葉の定義を論じる以前の問題です。
それを我々は憤りつつも無力感だけが残ります。
トラックで学校を去る時のジョーの瞳と
平和なイギリスの学校風景は虐殺以上に我々の罪を感じます。
一人、現れた生還者マリーの瞳だけは強い意志に満ちています。
このラストは心に刻み付けなければなりません。
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