美しい国へ2007年03月23日 00時22分52秒

日本の障害者教育の母と呼ばれる石井筆子を描いた
「筆子、その愛/天使のピアノ」を鑑賞です。

<物語>
幕末、長崎県大村藩士の娘として生まれた石井筆子。
知性と教養に富んだ彼女は津田梅子らと共に女性の地位向上に努める。
だが、夫との間に生まれた3人の子供はいづれも
知的障害児であり夫も病で亡くしてしまう。
しかし障害者教育に尽力する「滝乃川学園」園長:石井亮一に出会い、
共に障害を持った児童の教育に生涯を捧げることを決意するのであった。


「白痴」という言葉が坂口安吾の小説タイトルぐらいでしか
聞かなくなった現在も、障害者にとってまだ優しいとは言えない世です。
バリアフリーとは言っても身体的障害者に対する意味合いが強く、
知的障害者にとってはまだまだ課題が積まれています。

江戸、明治、昭和初期の知的障害者の境遇は今よりずっと酷く、
罪人のように牢に隔離され存在さえ隠されるものでした。
日本に限らずイタリア等にも同じような記録がありますが、
この国の現在進行形の美しくない歴史の一つです。

逆境に立ち向う石井夫婦にゴロツキが感銘を受けたり
周囲の人々が学園のために力を貸したり、
善意の輪が広がっていくのが嬉しい。
我々もまた弱者を理解するのが難しい障害を持っているのです。


しかし映画としてのクオリティを考えると評は厳しいと思います。
明らかに会話として不自然な舞台向けのリズムで
さらに解説的に読まれるセリフ。
まるで教育ビデオを見ているような印象です。

無論、大事な人物伝とメッセージを伝えるのが目的です。
ですがこのような作品の場合、
見なくても理解している人間は興味深く鑑賞し、
見るべき人間には説教臭いと敬遠されてしまいます。
肝心なのは後者にいかにして見せるかなのではないでしょうか。
それなくして社会的弱者への障害は消えないでしょう。

極度にドラマ的な演出は事実を誇張して芯を霞ませると嫌う方もいます。
しかし、冷めた心を揺さぶり熱していくためには
それなりのドラマ演出こそパワーがあります。
事実を伝えるのは事典の数行で可能です。
「その愛」を伝えるにはそれ以上のものが必要ではないでしょうか。
ふと、先頃「長州ファイブ」を監督した五十嵐匠監督ならば
どう仕上げただろうか、と思いを巡らしてしまいます。
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