幻想時間2007年04月03日 01時58分20秒

えいぷりるふーるも気づかずに終わりました。普通に仕事でしたし。
さて、今回は再上映していた映画「エルミタージュ幻想」の話。

<構成>
ロシア・サンクトペテルブルクに建つ「国立エルミタージュ美術館」。
案内人・フランス外交官キュスティーヌ公爵と
監督本人・アレクサンドル・ソクーロフの語りによって進行。
館内を巡りながらロシア・ロマノフ王朝300年の歴史を追う。


ドキュメンタリーというわけでもなくドラマというわけでもない内容。
二人の案内人が美術館内を移動していくと、
その先々にその時代に存在した人々、あるいは観光客がいるという、
現在と過去が交差していく構成です。

案内人の公爵はこの世の人間ではなく幽霊のような存在ですが、
黒衣で女性に優しく、浮世離れした様子から
なんとなく「ベルリン天使の詩」に登場する天使達を連想します。

この映画の凄いところは上映時間90分をワンカットで撮っている点です。
普通、映画はカットとカットを繫いで完成させますが、
この映画は始まった時からカットのつなぎ目無しです。
つまりカメラは固定されず、ひたすら移動していきます。

それはカットを繫ぐ編集ができないことを意味します。
監督は「一気にとってしまいたかった」とだけ語っていますが、
そのためにカメラマンは体力トレーニングを重ね、
カメラやスタッフ、出演者の移動順路を完璧に計算し、
スタッフの映り込み対策のため彼らにも衣装を着せるとなれば、
単に楽を考えたわけではない、戦略があったことが想像されます。

このワンカット撮影によっての効用はまず、美術館の広さを実感すること。
細かくカットに分かれると似たようなパーツとして目に映るので
全体像が分かりにくくなります。
また美術館という舞台が部屋と部屋に区切られていることが
相乗効果を生み、次の部屋に移ると時代が変わるというときに
カットされた時間ではなく凝縮された時間を感じることが出来ます。

この世のものならぬ案内人と絶えず移動をするカメラと、
美しい装飾と静かなBGMにより、まさに幻想的な時間が過ぎます。
セリフは知的な内容ですが眠くなるので映像に集中していました。

やっぱり俳優だ!2007年04月05日 23時12分25秒

大作映画は長期間上映するので後回しになることが多いです。
3月と4月の間にちょっと間が空いたのでその隙に。
「蒼き狼 地果て海尽きるまで」を鑑賞。

モンゴル大帝国を築いたチンギス・ハーンの生涯を描いた
森村誠一原作の小説を角川映画として構想27年で映画化。
父と母の出会いから始まり、テムジン(チンギス・ハーン)誕生。
彼は父の死と部族の崩壊から不屈の闘志で立ち上がり、
友の裏切りや息子への愛憎、最愛の女性への想いを経て
モンゴル統一を目指して闘い続ける。


なぜ日本人キャストで外国の偉人伝を?という疑問は、
遥か昔、勝新太郎らが出演した、やはり日本人ばかりの
「秦・始皇帝」や「釈迦」といった今では謎の映画を
思い浮かべて、早々にまあいいかとします。

構想27年、制作費30億円、オールモンゴルロケ。
モンゴル軍兵士5000人による騎馬隊とエキストラ5万人。
モンゴル大平原の、大陸の空と大地に抱かれ
壮大なドラマを予感させます。

と、そんな巨額の投資を木っ端微塵に打砕くのはやはり人間です。
若手俳優陣のセリフが結構な棒読みでございます。
さすがに反町隆史はそんなことは無いものの、
菊川玲や袴田吉彦あたりは目も当てられません。

監督・澤井信一郎はそれを何故そのままにしたのか?
また、俳優達は何故それ以上の向上を望まないのか?
様々な疑問を抱きながらつい、こっくり。
昔「めぞん一刻(実写版)」を撮ったことまで引っ張り出してしまいますぞ?

モンゴルのプレミア試写では大絶賛だったそうですが、
日本語が分からなかったから気にならなかったのかも?

練られた構成よりも大掛りな衣装よりも美しい映像よりも、
何より映画に大切なのは監督と役者のあくなき挑戦と
改めて実感させられた一作でありました。

春の陽光2007年04月06日 11時02分32秒

虫歯でボロボロの歯をまた一本抜きました。
その足で不在者投票へ。
毎度毎度言いますが選挙に行かず政治に文句を言うのは卑怯です。

ちょっと日がずれましたが今週のレンタル3作品。

「櫻の園」
女子高の創立記念日の伝統となるチェーホフの演劇「櫻の園」。
演じる演劇部員達の当日の朝から開演までの風景。
女子のしかも文化部の学校生活集大成として描くドラマが新鮮。
卒業式当日にも似た昂揚と憂いと様々に混じった想いと、
題名に違わぬ桜と陽光の柔らかさがたまらなく美しいです。
女の子ばかり20人以上で、男がほとんど出ないのも面白いです。
しかし現在、これだけ女の子を出すと皆同じように見えますが、
本作ではちゃんと見分けがつく個性を持っているところに時代を感じます。

「エド・ウッド」
アメリカの最低監督エド・ウッドの偉人伝(?)。
エド・ウッド演じるはジョニー・デップ。監督はティム・バートン。
エドの映画への熱い想いもさることながら、
ティム・バートンが自分を重ね合わせているかのような感じです。
踏まれても蹴られても、やっぱり映画が好き映画しかない!
そんなピュアな感情が全編に溢れています。
懲りないバカだけではここまでやれないです。

「戦場のアリア」
第一次大戦中、ドイツ軍と連合軍が睨みあうフランス北部の村。
クリスマスの夜、ドイツ軍にいる夫に会いに訪れたオペラ歌手アナ。
二人の美しき歌声に両軍は「今夜だけは休戦しよう」と歩み寄る。
感動の実話であるものの、やはり個人の親交を引き裂く
戦争の悲劇のラストに美談で終わらせてはいけないと感じます。
面と向かい相手の人間性を知れば、記号のように教育された
一辺倒な敵対心は粉砕され、自分の心で感じた絆ができると問う一作。
本筋ではありませんが独軍にいるユダヤ人の
その後の運命を思うと穏やかではありません。


さて「ロッキー・ザ・ファイナル」公開が近づいた効果か、
ロッキーシリーズがほとんど貸し出し中です。
一作目以外は・・・ですが、やっぱり影響力はありますな。
劇場の予告編では「ダイハード4.0」が良い感じです。
Loading