信頼は真実を見出せるか2008年12月26日 23時58分16秒

あるゲーム中の言葉
「・・・心得。何ものにも縛られることなかれ。無論、この心得にもである」

NHKドラマ版の「陰陽師」の中では
・・・言葉は「呪(シュ)」である。発した瞬間言葉の意味に縛られ、
物はその言葉から離れることはできない。
というようなくだりがあります。

思い込み、想像力、固定観念、ときには強い信頼が、
真実を見えなくすることがあります。


ブライアン・デ・パルマ監督最新作
「リダクテッド/真実の価値」についてのこと。

2006年に実際に起きた、イラク駐留の米兵が起こした
少女暴行事件の前後を題材にした、
というよりもその前後を推測して作り上げたフィクション。
毎日極度の緊張を強いられている検問所の駐留兵達。
そんな中、仲間が爆弾によって死亡する事件が起きる。
徐々に善悪の判断基準を失っていく彼らは、
毎日検問所を通行する15歳の少女が爆弾をしかけたと疑いをかけ、
家を強制捜索し、少女達に暴行を加えて殺害する。
リダクテッドとは「編集済み」の意。


本作が告発するのは勿論、米兵達の暴走のこともありますが、
それを取り巻く情報の扱われ方にあります。
しかも、ただ物語を語ることで説明するのではなく、
流れる画の中に違和感を感じさせており、
我々はその違和感を感じて疑問を見出すことになります。

リダクテッドという題が語るように、この作品には
あの手この手の加工映像が登場します。
兵士の一人が記録するハンディカメラの映像、
検問所内の監視カメラの映像、
さらにウェブ上にアップされた動画など。
無論、映画そのものもフィクションであり加工されたものです。

一見、真実を捉えたような映像であっても、
現実の中から切り取られたものである以上、
それは真実とイコールとは限りません。
名も顔も知らぬ人物が提示した文章、画像の信憑性やいかに。
それを言ってしまうと、新聞やテレビといった報道資料の
全てに疑いを持つこととなりますが、それは妄想ではなく、
実際に好ましくない事実を隠された報道があるからこそ、
このような告発の映画は生まれることとなります。

その加工思考は、精神異常で「あれば」処分を一考するなどの、
マイナスを都合よい言い分けとして使い分けることもできます。
エンドクレジット前に挿入される、犠牲になった民間人の写真の数々、
その中に俳優が演じた少女の惨殺体の写真が挿入される時、
それもまた真実という思い込みの危険性を警告します。
真実を見つけるためには、感情の信用では危険であること。
それがこの映画のメッセージと思います。


特にYouTube動画(もちろんフェイク)の胡散臭さは際立ちます。
ブロガーである自分が言うのもなんですが、
WEB上の情報の信頼性のレベルはいかほどのものか。
例えばこのブログにしろ、正直に書くか嘘を書くか、
あるいは真実に基づく誇張で彩るか極端に情報を削ぎ落とすか。
何かの目的があるのかただの暇つぶしなのか。
結局のところその真意は私本人しかわかりません。

真意に近づくにはその情報源である人に会い、
どんな人間かを目の当たりにして、
ようやく見えてくるようなものだと思います。
もっとも現代ではその人を理解することに不器用なのですが。

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