海外ドラマ2008年10月07日 23時42分21秒

先週の木曜の深夜まで6週に渡り、
「THE GRID」(ザ・グリッド)というタイトルの
アメリカの海外ドラマが放送していました。

海外ドラマは人気があると延々続くので、
観始めるときには覚悟を持って見るのですが、
これは6週で終わるとのことで楽に全部観ました。

ロンドンにてテロ組織がサリンによる毒ガステロを起こし、
防衛のためにアメリカのNSC、FBI、CIA、イギリスのMI5、MI6が
協力体制をしき、それぞれから人員を提供した
特別対策チームを組織し、次のテロを阻止するという物語。
アメリカ本国での放送は2004年。

FOXのドラマだけに「24」を思わせるものの、
キャラクターにはアルカイダの元司令官等、
実在のテロ組織を本命として組み込む一方で、
また、海外におけるイスラム系の苦悩にも焦点をあて、
異種組織合同ならではの軋轢と米英の確執もドラマを生み、
「24」よりもより現実に寄り、毛色の違ったものとなっています。
中でも最終話のジハードと信じて自ら爆弾を括りつけた、
さっきまで子供らしく遊んでいた少年達を説得するシーンは印象深い。

突き抜けて面白く魅力的という程のものではないものの、
2004年の時点で中東とテロについてのこのような見解を持った
TVドラマがアメリカに存在したという点では心に留め置きたいです。

面白さという点では水曜の深夜に放送していた
「リ・ジェネシス/シーズン1」の方が上でしたが、
こちらも間もなく終わることに。
(10月からは木曜深夜へ変更)

しかし、10月8日水曜深夜からは「24/シーズン6」が放送開始。
ジャック・バウアーがまた24時間戦えちゃいます。
今回のシーズンはある方面では6シーズン中最下位の評価ですが、
この後続くシーズン7、8、そしてまだ煙り状態の映画版も
やっぱり気になるのですから見なくてはなりますまい。

また、10月3日からは「ヒーローズ/シーズン2」がレンタル開始。
「シーズン1」はもう全部見てしまったので、今すぐにでも見たい
これはCGバリバリの超能力戦争かと思いきや、
読心術や人体再生、壁抜け、タイムスリップ等、
あえて視覚的に地味な能力者を中心として
ミステリアスなドラマに重点をおいたところが新鮮。
なお、シーズン2は11話で終了。
視聴率は概ね好調だったものの、
脚本家ストの影響でこうなったらしいです。

海外ドラマはもっとみたいものの、1シーズンに2本ぐらいが限度。
そうこうしているうちに「LOSTシーズン3」とかTV放送しそう
とりあえず、この秋からは「24」「ヒーローズ」です。

ところで、近年海外ドラマの代表「Xファイル」の新作映画が
11月に公開されますが、こちらは本国では大不評だった模様。


13人の人生2008年10月08日 23時54分22秒

ニキータ・ミハルコフ監督の「12人の怒れる男」についてのこと。

<物語>
舞台はロシアのどこか。
養父をナイフで刺殺したチェチェン人少年の裁判。
評決は12人の陪審員の審議に委ねられる。
陪審員達はそれぞれに審議後の個人的スケジュールもあり、
目撃証言、物証を信頼し有罪多数で即決との見方をしていた。
しかし、審議開始後の挙手の結果は有罪11対無罪1。
当然のことながら、陪審員の審議は
全員一致になるまで続けなければならない。
議論する中で、各々の出自や経歴、思想信条が浮き彫りになり、
心を揺さぶられ無罪が1人、また1人と増えていくのだった。


ロシア映画は旧ソ連時代から明部と暗部の対比が強く強調され、
環境の問題でしょうが日光の当たり具合も、
日本の冬のキンと張り詰めた緊張感が漂い、
これでミステリーを作ったら面白いだろうなと思っていましたが、
意外とないもので、私は今回が初ロシアンミステリーです。

「12人の怒れる男」という邦題に1957年にアメリカで公開された、
ヘンリー・フォンダ主演、シドニー・ルメット監督の
同名の作品(正確にはルメット版は「12人」ではなく「十二人」)
が頭に浮ぶことは映画ファンとしては常識であり、
無論、今回の作品はシドニー・ルメット版をベースにして、
舞台をロシアに、時代を現代に移したもの。

リメイク、の定義には各々の見解の差異があれど、
ミハルコフは「ニューバージョン」と称しています。
なお、ミハルコフ版の原題は「12」だけ。
また、ルメット版も起源はテレビドラマにあり
その意味ではそれもリメイクとも言えます。

それはさておき、ルメット版の96分に対して
ミハルコフ版は160分という大幅な尺の追加となっています。
ルメット版の無罪1から徐々に人数が増える流れ、
特に一人が強硬に有罪を主張すること、
最初はあかの他人だった12人が議論するうちに、
互いの人間を知るようになり徐々に化学反応が起こる、
という構成を踏襲しつつも、
特に少年の裁判以前の日々や、戦争の記憶等が
重要なキーワードとして加えられ、より深い思考を促し、
また、ルメット版が暑い日の狭い小部屋だったのに対し、
ミハルコフ版は凍える冬の寒々とした体育館が舞台です。

広くなった舞台を有効に使い、犯行現場の再現や、
チェチェンのナイフを使用したアクション等を交え、
さらにチェチェン戦争の傷跡や人種差別も覗かせ、
議論はよりダイナミックに繰り広げられていきます。

この映画の決着がルメット版と異なるのは、
裁判終了後を見据えているということ。
作品においては陰謀説を加えていますが、
実際の裁判においても陪審員は有罪無罪のみを追いがちでも、
当事者の人生に与える影響は心に留め置くべきでしょう。
その一石を投じる意見を述べる陪審員をミハルコフ自身が
演じていることからも重要なメッセージであることは明らかでしょう。

日本においても陪審員制度の導入は近づいていますが、
その意識レベルはどれだけのものかの懸念はあります。
法律の知識はともかく一人の人間の人生を左右する責任の重さ。
「話し合いもせずに簡単に決めていいのか?」
という素朴な疑問からこの作品は始まります。
その意識は日本人にはどれだけのものがあるのか。

また、多人数の中でたった一人異なる意見を述べるという、
ある意味での勇気ある行動がごく一般の日本人にあるか。
ロシアにしろアメリカにしろ多民族国家という環境は、
それぞれが主張しなければならないという
自発的意識におかれるため時には議論は活発になるのだと思います。
なあなあが心地よいこの国では果たして。

ルメット版を越えた、というおすぎのコメントは
多少大袈裟ないつものキャッチとしても、
ミハルコフ特有の色を出した「12人の怒れる男」として
普通のリメイクがオリジナルを越えられないところで、
少なくとも同レベルに達していると思います。
独自の世界を作ることでオリジナルと同次元で評価されたのは、
他には「荒野の用心棒」等、稀なことかもしれません。

廷吏役のアレクサンドル・アダバジャンが
金田一シリーズの加藤武のようなユーモアを見せています。


胡蝶の夢の如く2008年10月09日 23時22分59秒

ところで度々、劇場で鑑賞した映画本数をお伝えしておりますが、
先日で去年の本数181本を越えました。
現在のところ182本です。
今のところは12月末までに鑑賞予定のものを
年内に全部見たとすると207本になります。
予想としては220前後というところではないでしょうか

さてさて、今夜はフランシス・F・コッポラの10年ぶりの監督作品
「コッポラの胡蝶の夢」についてのこと

<物語>
1934年、第2次世界大戦間近のルーマニア。
言語学者のドミニクは既に老いていたが、
彼の研究を成し遂げることができないことは明らかだった。
それはかつてラウラという女性を愛したが突然の別れが訪れ、
以来、研究に没頭していたにも関わらず悔やまれる思いだった。
だが、ある日彼は落雷に撃たれ、奇跡的に病院で意識を取り戻し
驚異的な治癒力で回復し、外見は30代に見える程に若返ったのだ
その人知を超えた超常能力はナチスの目に留まることとなり、
主治医のスタンチュレスク教授の手引きでドミニクは国外へ逃亡する。
各地を転々とした彼はスイスの山脈でラウラを彷彿させる女性、
ヴェロニカと出会い、二人は惹かれあっていく。
そしてヴェロニカもまた落雷のショックにより
古代の言葉を話す能力を持つのであった


ドミニクはティム・ロス。ヴェロニカはアレクサンドラ・マリア・ララ。
(ララはラウラとルピニという女性の3役を演じる。)
スタンチュレスク教授にはドイツの名優ブルーノ・ガンツ。
私の要チェックはホテルのフロント女性役のアナマリア・マリンカ。
彼女はカンヌのパルムドール「4ヶ月、3週と2日」に主演しています。

コッポラ久々の新作は幻想奇譚。
ミルチャ・エリアーデ原作「若さなき若さ」
人生の終着が近づいた老人に遣り残したことがあり、
若返りを経て原点に回帰するとは、
映画化を熱望したコッポラは明らかに自分を投影していたでしょう。

若返った男とある意味で憑依にも似た状態で古代語を話す女
その超常的設定に加えて、時に穏やかな春の日差のような
またある時は夕暮れの黄昏のような光が照らされ
我々は幻想的な世界へ誘われます。

それに一役買うのが、美しい音楽もさることながら
時代を超えた異国の言語です。
この映画にはサンスクリット語、バビロニア語、古代エジプト語
そして映画のために独自に作られた特殊な言語が登場し、
ヴェロニカが奇怪な行動と共に話す言葉として発せられます。

これらの言葉には字幕もつけられない場面もあり、
その未知の言葉の理解を著しく制限されたことは
見知らぬ異国に地に投げ出された状態に近いかもしれません。
そこで言葉は詩の無い音楽のようなものとなり、
記号的な理解を拒否された上では感性で体感せざるを得なくなり、
そこから夢を漂うようなトリップ状態へと突入しています。
その上、映画独自の言語までとなると完全に幻想界に入ります。

その物語独自の言語を作ることは過去にも行われており、
例えばトム・ハンクス&スピルバーグのコンビ作「ターミナル」で
トムが話す架空の国の言葉「クラコウジワ語」や、
アニメ「超時空要塞マクロス」に登場する巨人族が話す
「ゼントラーディ語」等が有名なところです。

「胡蝶の夢」というタイトルから想像していましたが、
やはり終盤になると荘子の「気がつくと蝶になっていた・・・
これは夢だと分かるが、そのうち蝶になった夢を見ているのか、
蝶が夢を見ているのか分からなくなっていった」
という説話が引用されます。

やはりこれは幻想か、そう思ったとき訪れた死によって
これは真実であることが示されます
ドミニクは若返ってから30年の人生を生き、
二度の人生を得るわけですがそれを持ってしても
研究を達成することも愛する女性と結ばれることもなかった。
果たしてそれは逃れることができない不幸だったのか?
それとも、若き日の充実を再度味わう天からの贈り物だったのか
答えは胡蝶の夢の如し。
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