あの時あのカフェで2008年10月17日 23時58分45秒

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嫌だね、まったく。

さて、徒然なるままに今夜の映画は
「モンテーニュ通りのカフェ」についてのこと。
女性の間で口コミが広がったのか、レディースデーは大盛況。
私が鑑賞したときも男性は1割以下。

<物語>
パリに憧れてやってきたジェシカはモンテーニュ通りにある
由緒あるカフェ「カフェ・ド・テアトル」で給仕として働きはじめる。
そこは男の給仕しか雇わなかったが、コンサート、劇場、
オークションが重なる日に病欠も出て已むに已まれずであった。
カフェには有名人、著名人も度々訪れていく。
著名なピアニスト、美術収集家、女優、劇場管理人、映画監督・・・
彼ら彼女らとジェシカが関わり、またそれぞれの人生が交差していく。


カフェ・ド・テアトルは「バー・デ・テアトル」という、
実在する本当に由緒あるカフェで創業63年とのこと。
アラン・ドロンも本当に訪れるといいます。

カフェ、というのはくつろぎの場であったり、第2オフィスであったり、
社交の場であったり、人それぞれに利用しているでしょう。
しかし、ほとんどの場合に共有される考えは、
それがある種のステータスであり憧れであることではないでしょうか。

いきつけのカフェ。いつものメニュー。馴染みの給仕。
そこへ行けばちょっと良い気分になれる。
そんな自分だけの陽だまりの場所。
それを密かに見つけたいと思っている人は多いのでは。

多かれ少なかれカフェはこだわりを持ちやすい。
だから訪れる人もただ腹を満たすのではなく、
内装、人間、景色、音楽等、そこに存在するものをトータルで楽しむ。
それだけに好きな人は遠くからも足しげく通い、
また好みに合わないと感じたら直ぐに行かなくなります。
だから、カフェは店側と客側の双方が次第に歩み寄り、
互いにセッションすることでその歴史を作り上げて行きます。

私も自分の街のお気に入りのこだわりカフェはいくつかありますが、
そこへ行くとほんの少し幸せになるものです。
それはスターバックスでもベローチェでも無理なこと。

現在の大量供給・合理的経営のファーストフード、ファミレス等では、
その形態ゆえに実現には遠い理想です。
マック等の統一化されたジャンクに最初に触れ、
ただ食べればいいという最低限マナーもない客層を見ていると、
「こんなところじゃなく、いつかあの素敵な店で・・・」
と憧れを抱くことは至極当然であります。
人はパンのみで生きるにあらず。

この映画はそんな贔屓のカフェに行ったような気分になる映画。
有名人が次から次へと訪れますが、彼らがそれぞれに悩みを抱え、
我々の目線のジェシカと化学反応を生じることで、
セレブなカフェから人生交差点へと愛すべき存在に変わります。
彼らの日常にカフェがあり、ちょっと幸せを貰い、
幸せに気づかないほどにじんわりと微妙な変化としてもたらすのです。


セシール・ド・フランス、ヴァレリー・ルメルシエ、
アルベール・デュポンテル、クロード・ブラッスール、
クリストファー・トンプソン、ラウラ・モランテ・・・
美しくも人間味溢れるフランス映像作品の顔が集います。
彼らが皆、良い顔をしていくのが素敵です。
そして、シドニー・ポラック。
もう彼の新しい監督作も出演作も見ることはできません。
それだけにこの映画の幸せそうな笑顔には
人生の終わりの安らぎすら感じさせます。


カフェと映画は深い関係にあります。
映画の後はお気に入りのカフェでゆっくり余韻に浸る。
私の一番のお気に入りは?
それはもちろん、ni vu ni CONNU cafeです!
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