映像のスタンス ~ 宇宙へ。2009年08月29日 03時01分08秒

NASA設立50年を迎えて制作されるドキュメンタリー
宇宙へ。」についてのこと。


自分の記憶を頼りに、一番最初に言葉に発した
「将来なりたい職業」といえば宇宙飛行士だったはず。
もちろん、その後の道はこのようなブログを書いている時点で、
それ以前に視力が大幅に低下し始めてから、
というよりも諸々の身体的問題を幼少から抱え込んだが故に、
かなり早い段階から気持ちはしぼんでいったのですが。

しかし、私の世代はまだ宇宙への憧れが強かったと思います。
80年代のスペースシャトル打ち上げを少年時代の記憶と共に歩み、
幼少期に本を開けばまだサターンだとかボストークとか
スプートニク、もちろんアポロの名前にあたります。
また、1989年のボイジャー2号の海王星接近のときには、
そこらじゅうでテレビにかじり付く光景が見られました。

私の世代はアニメーション等においても宇宙の影響を受けます。
1979年に「機動戦士ガンダム」が放送開始すると、
その後、サンライズ制作のアニメーションを初めとして、
宇宙空間の航行や生活を主とするアニメが増殖しました。
それ以前に「宇宙戦艦ヤマト」などの前例はあるものの、
それらは後発の作品に比べてややファンタジックであり、
当時の宇宙開発の延長上に想像できなくもないものを
描き始めたのはやはり1980年代のように思えます。
(あくまで空想の範囲の比較の話においての、延長上)


その後、歴史を知るにつれ、映画を観ていくにつれ、
夢いっぱいの宇宙開発は冷戦の延長上とか、
アポロ計画は月に行った後は人々から飽きられ始めたとか、
夢の裏側をも知ることになるのですが、
それでも今、宇宙と聞くと僅かに残る憧れが擽られます。

少年の日々と宇宙に対する印象が変わっているとすれば、
その思いにやや、神秘性を意識しているところでしょうか。
宇宙飛行士の、人生観が変わったというような言葉を聞くにつれ、
何か大いなる存在に触れるかのようなことに思えてきます。

さて、そんな印象が少なからず宇宙に対してあるため、
「アース」「ディープ・ブルー」のスタッフによる制作、
と予備知識を聞くと否応にも、宇宙に対する畏敬の念が高まります。
これがちょっと曲者でした。

作品はNASAの宇宙開発を記録した映像を繋いで、
ナレーションで語りを挿入していくという、
「アース」のスタイルを踏襲していきます。
そこには、宇宙開発の初期段階の試行錯誤から、
不幸な爆発事故の様子、犠牲となった宇宙飛行士達も、
宇宙開発の競争も隠さずに繋いでいきます。
そこには夢も憧れも、それに対立する危険と犠牲も映し出され、
この映画でNASAの歩みを見ることはできると思います。

しかし、前述した宇宙の神秘性を感じることはできません。
それは、「アース」「ディープ・ブルー」が少なからず、
地球の環境問題と動物と自然への愛を意識しており、
消え行く光景を捉えたという、作り手の使命感と畏敬の念、
執念にも似た意識が感じられ、そこに映る自然に対しても、
ただただ、平伏すしかない映像だったのに対し、
「宇宙へ。」の映像の多くは、冷静な記録映像の連続で、
撮影された当時の目的が、後の宇宙開発のための記録という、
それ以上の想いが薄いものであるという、
映像を捉える際の意識の違いによるものだと思われます。
作り手の温度差ではなく、そもそもの目的が違うのです。

ナレーションは感情を抑え冷静に物語っていきます。
また、新規に撮影された関係者達のインタビューはなく、
だから余計に淡々とした印象を映画全体に与えます。
もっとも、宇宙開発の業績を誇示するでもなく、
今回は環境保護活動の側面をもっているわけでもないので、
適切であればあると言えるのですが・・・。

「海」「地球」の超自然的存在も意識させたのならば、
そのスタッフが捉える宇宙の大いなる畏怖も感じたかった。
それについて、後ほど、やはり宇宙開発史を扱う
ドキュメンタリー映画「ザ・ムーン」についてに続けたいです。


ところで、この映画の邦題、「宇宙へ。("そら"へ)」
と読むのですけど、この邦題をつけた人って、
絶対にガンダムに触れてきた世代だと思いますよ。
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