いわさきひちろの記憶 ~ オープン・セサミ2009年08月07日 23時34分59秒

仙台七夕ですね~。
今年は見事に雨で、七夕の伝統の面目躍如というとこでしょうか。

会社の近くの商店街でも七夕飾りで賑わっており、
スーパーの駐車場にて何かのライブをやっておりましたよ。

今日はそんなつもりではなかったけど、
何故か仕事に来る時にカバンに携帯と一緒に
デジカメも勢いで入れてしまったので、
ネタのために商店街のカフェ、オープン・セサミへ。

わりと広い店内なのよね~。
でもこの日は祭りの影響か、おばちゃん達が次々にやってきて
アイスコーヒーやらクリームソーダやら喰らって来ました。

「アイスティーをホットで」などという発言に驚愕しつつ。

まあ、同じボケを私もムービックスの
コンセッションでやりましたけどね(汗)。

今日のランチは鶏のささみフライです。

鶏のささ身フライってね、私のイメージだと、
給食で出てくる衣の固めのちょっと貧乏臭くて、
でも間にチーズが挟まったフライという印象だったのですけど、
わりとこじゃれたものになりますね(笑)。

食後の僅かな時間、ゆるりと紅茶を飲みながら雑誌を読んで・・・。


ところで、お店の壁にかかっているこの絵、
"いわさきちひろ"の絵ですよね。

いわさきちひろさんというと私にはちょっと、
幼い日のトラウマというか、焼きついた記憶がありまして。

確か小学校か中学校の国語の教科書で、
挿絵がいわさきちひろの絵で、悲しいお話があったのです。

第二次大戦中、疎開で離れ離れになる兄妹の話だったでしょうか。
兄は妹に手紙を書くようにいうけれど、妹は字が書けない。
だから、元気だったら葉書に○を書く、
元気でなかったら×を書くように。
そういって二人は離れ離れになった・・・・。

最初のうちは大きで勢いのある○が書かれていたけど、
だんだん小さくなり・・・、それが×になり・・・・、
やがて葉書そのものが来なくなり・・・・。
兄が妹を案じて疎開先を訪ねたときには、
妹は空腹と病気で弱り果てていた・・・・。

そんな悲しいお話だったと思います。
父と娘の話だったかもしれません。


6日と9日は原爆記念日、そして15日は終戦記念日。
時期だけに余計に思い出してしまいました。
だから、いわさきちひろの絵は私にとっては、
無条件に切なく胸を締め付けるのです。
別にセサミに行くたびに思い出さなくてもいいですけどね。

戦争で失われた命に黙祷を捧げましょう。
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