目を開けて見えないもの ― 2008年12月19日 23時31分55秒

なにやら24日の深夜から連日連夜
「LOST/シーズン3」がTV放送しますってね。
確か去年の年末年始もシーズン2が連日放送していた気が。
また録画が溜りまくりますよ。
先日終了間際に駆け込んだ「ブラインドネス」についてのこと。
ジュリアン・ムーア主演のSFと聞くと、
最近では「トゥモロー・ワールド」「フォーガットン」あるいは「NEXT」。
見せ方やメッセージに違いはあれど、
アメリカで作ったSF映画だなあという枠は出ないものでした。
ブラジル出身のフェルナンド・メイレレス監督が、
重厚かつ大作の印象のある「ナイロビの蜂」を手掛けたとは言え、
やはり彼の代表作と言えばブラジル映画「シティ・オブ・ゴッド」。
そしてその後も関わりを持つ「シティ・オブ・ゴッド」TVシリーズ、
完結編「シティ・オブ・メン」による、自国に根ざした監督という印象で、
社会派の色の濃い作品を手掛けます。
そんな監督が前述のようなSF映画を撮る、
ブラジル・カナダ・日本の合作と言うものの、
ショウビズの世界のメジャー大作に駆り出された感がありました。
しかし、観始めて直ぐにこれは「シティ・オブ~」の延長ではないか?
というデジャヴ?のような衝撃に見舞われ不安は消えました。
物語は原因不明の失明者が突然同時多発的に発生し、
病院に隔離される中、失明した眼科医の妻が、
夫に付き添うべく「自分も失明した」という嘘をついて施設に潜りこむ。
施設には続々と患者が収容されるものの、
原因不明の伝染病の疑いがあるため、看護師も医者もいない、
食糧が定期的に運び込まれるだけで、掃除すらされない。
目の見えない患者達はどこがトイレかも分からず、
排泄物を垂れ流し、ゴミが散乱し極めて不潔な環境となる。
挙句、施設の外壁に近づこうとすると警備兵に射殺される。
それでも人間の適応能力か、創意と工夫を凝らして
病院内の秩序が保たれ、信頼と協力が生まれたかに見えたところで、
人数が増えてくると不心得者もまた増えるもので。
食糧を自分たちで管理して配給を差別するものが出現し、
銃による抑制、人身売買、人間の闇が浮き彫りになっていきます。
このあたりはスティーブン・キング原作の「ミスト」も類似していますが、
明らかに監督は「シティ・オブ~」のファヴェーラを
隔離施設内に創造しようとしています。
ファヴェーラとは「シティ・オブ~」シリーズの舞台となっている、
貧困に喘ぎ、ギャング勢力もいるブラジルのスラム街。
失明の原因を突き止められず匙を投げて、
ただ患者を隔離して社会から隠蔽していく構図は、
貧困と犯罪を煌びやかな都市から掃きだして、
根本的解決を成さずにスラムに閉じ込める実際の社会にダブります。
しかも、「シティ・オブ~」ではそれでも強く生きる子供たちの
逞しい姿とささやかな希望の未来を差し出す温かさを見せた監督は、
裕福に生きてきた人々を救いの無い状況に徹底的に追い込み、
互いに醜く争わせ、容赦のない怨み節をもぶつけるかのような執念、
というよりもむしろ情念を感じさせます。
それだけに、警備していた兵士達ですら失明したと見られる時、
施設から脱出して街を彷徨い始める後半30分ほどが、
冗長になり、最後に提示される希望とジュリアンに忍び寄る不安を、
やや勢いのないものに感じられるのが勿体無い。
むしろ作品の興味は、前半は突然ハンディを負った人々の、
制約の多い空間での人間らしい生活の営みをいかに気づいていくか、
中盤はそれを壊す人間の本能的な欠陥を抉り出すような、
醜悪な性悪説の面を描き出すことにあるようです。
北野武の「座頭市」が目が見えないフリをしていたことで得た真理が、
主人公達が辿り着いた答えに近いような気がします。
ジュリアン・ムーアの他、
「ゾディアック」「帰らない日々」のマーク・ラファエロ、
「モーター・サイクル・ダイアリーズ」のガエル・ガルシア・ベルナル、
そして重鎮となったダニー・グローヴァーら贅沢な役者が揃います。
日本からは伊勢谷友介、木村佳乃が夫婦役で出演していますが、
流石にこの役者達の中では霞んで見えます。
「LOST/シーズン3」がTV放送しますってね。
確か去年の年末年始もシーズン2が連日放送していた気が。
また録画が溜りまくりますよ。
先日終了間際に駆け込んだ「ブラインドネス」についてのこと。
ジュリアン・ムーア主演のSFと聞くと、
最近では「トゥモロー・ワールド」「フォーガットン」あるいは「NEXT」。
見せ方やメッセージに違いはあれど、
アメリカで作ったSF映画だなあという枠は出ないものでした。
ブラジル出身のフェルナンド・メイレレス監督が、
重厚かつ大作の印象のある「ナイロビの蜂」を手掛けたとは言え、
やはり彼の代表作と言えばブラジル映画「シティ・オブ・ゴッド」。
そしてその後も関わりを持つ「シティ・オブ・ゴッド」TVシリーズ、
完結編「シティ・オブ・メン」による、自国に根ざした監督という印象で、
社会派の色の濃い作品を手掛けます。
そんな監督が前述のようなSF映画を撮る、
ブラジル・カナダ・日本の合作と言うものの、
ショウビズの世界のメジャー大作に駆り出された感がありました。
しかし、観始めて直ぐにこれは「シティ・オブ~」の延長ではないか?
というデジャヴ?のような衝撃に見舞われ不安は消えました。
物語は原因不明の失明者が突然同時多発的に発生し、
病院に隔離される中、失明した眼科医の妻が、
夫に付き添うべく「自分も失明した」という嘘をついて施設に潜りこむ。
施設には続々と患者が収容されるものの、
原因不明の伝染病の疑いがあるため、看護師も医者もいない、
食糧が定期的に運び込まれるだけで、掃除すらされない。
目の見えない患者達はどこがトイレかも分からず、
排泄物を垂れ流し、ゴミが散乱し極めて不潔な環境となる。
挙句、施設の外壁に近づこうとすると警備兵に射殺される。
それでも人間の適応能力か、創意と工夫を凝らして
病院内の秩序が保たれ、信頼と協力が生まれたかに見えたところで、
人数が増えてくると不心得者もまた増えるもので。
食糧を自分たちで管理して配給を差別するものが出現し、
銃による抑制、人身売買、人間の闇が浮き彫りになっていきます。
このあたりはスティーブン・キング原作の「ミスト」も類似していますが、
明らかに監督は「シティ・オブ~」のファヴェーラを
隔離施設内に創造しようとしています。
ファヴェーラとは「シティ・オブ~」シリーズの舞台となっている、
貧困に喘ぎ、ギャング勢力もいるブラジルのスラム街。
失明の原因を突き止められず匙を投げて、
ただ患者を隔離して社会から隠蔽していく構図は、
貧困と犯罪を煌びやかな都市から掃きだして、
根本的解決を成さずにスラムに閉じ込める実際の社会にダブります。
しかも、「シティ・オブ~」ではそれでも強く生きる子供たちの
逞しい姿とささやかな希望の未来を差し出す温かさを見せた監督は、
裕福に生きてきた人々を救いの無い状況に徹底的に追い込み、
互いに醜く争わせ、容赦のない怨み節をもぶつけるかのような執念、
というよりもむしろ情念を感じさせます。
それだけに、警備していた兵士達ですら失明したと見られる時、
施設から脱出して街を彷徨い始める後半30分ほどが、
冗長になり、最後に提示される希望とジュリアンに忍び寄る不安を、
やや勢いのないものに感じられるのが勿体無い。
むしろ作品の興味は、前半は突然ハンディを負った人々の、
制約の多い空間での人間らしい生活の営みをいかに気づいていくか、
中盤はそれを壊す人間の本能的な欠陥を抉り出すような、
醜悪な性悪説の面を描き出すことにあるようです。
北野武の「座頭市」が目が見えないフリをしていたことで得た真理が、
主人公達が辿り着いた答えに近いような気がします。
ジュリアン・ムーアの他、
「ゾディアック」「帰らない日々」のマーク・ラファエロ、
「モーター・サイクル・ダイアリーズ」のガエル・ガルシア・ベルナル、
そして重鎮となったダニー・グローヴァーら贅沢な役者が揃います。
日本からは伊勢谷友介、木村佳乃が夫婦役で出演していますが、
流石にこの役者達の中では霞んで見えます。
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