街中の片隅で、変わる景色と生活2011年06月07日 23時21分31秒

震災から約三ヶ月で、仙台駅周辺部はほぼ元通りの生活にはなっているものの、
目には見えにくいだけで、そうではない人達ももちろんいます。

特に4月7日の巨大余震では、ダメージを受けた建物が多く、
3月11日で耐えた建物でも被害を受けた、あるいは拡大したものもあります。
それ以降、そうした建物には赤い紙が貼られることが増えました。

赤い紙というのは、応急危険度判定協議会が貼っていく
「危険」と書かれた紙のことで、他に、黄色の紙には「要注意」
緑色の紙には「調査済」と書かれています。

僕も専門家ではないので迂闊なことは言えませんが、
赤や黄色を貼られると住めない入れないということではなく、
周囲に注意をしてもらうというもののようです。
そのため、住んでいけないという禁止の意味とは限らないようです。

実際、仙台駅にも3月11日から当初は赤い紙が貼られ、
一般人は全面立ち入り禁止になりましたが、その後復旧工事を進め、
現在のように人が行き来してなかで仕事もできる元の姿を取戻しつつあります。

それゆえに、普通の住宅も修理すれば危険という判定から
安全という判定に変わるということのようなのですが、
一戸建てならば住んでいる家族の方の考えで居住可能だと思いますが、
アパートなどでは大家さんの判断で全員退去してもらう様にするなど、
僕の知人でもそれで引越ししなければならない人もいました。

そのような赤い紙を貼られた建物のなかには、
その後、取壊し作業が進められたところもあります。
この場所もそんな場所のひとつでした。

ここにはかつて、集合住宅と八百屋さんがありました。
小さなお店ですが、商店街の賑わいを形成するお店のひとつでした。
震災の直後のあの物資不足の中、なんとか野菜を提供しようと頑張っていました。

いつもはただ通り過ぎるお店だったのに、あの時は自分もお世話になりました。
困ったときの神頼みの様で申し訳ないと自分に対して思いながらも。

その八百屋さんも4月7日以降、お店の方はご無事だったようですが、
赤紙が貼られ、お店は営業できない状態になってしまいました。
そして建物全体は取り壊されてもうありません。

前を通るたびに、あの時の感謝の思いとやりきれない思いになります。
今はただ、お引越しされた後のご無事をお祈りしております。
Loading