少年と巨人 「ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国」 ― 2011年01月31日 23時36分31秒
ウルトラマンシリーズ45周年記念作品として製作された
「ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国」
についてのこと。
「ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国」
についてのこと。

歴代のウルトラマンやセブン達、ウルトラ兄弟達はもちろんのこと、
それまで外伝的な独立作品ともとれた「ウルトラマンG」
「ウルトラマンパワード」「ウルトラマンUSA」「ウルトラマンネオス」
「ウルトラマンマックス」のウルトラマン達も登場し、
さらに「ダイナ」も別次元から参戦、「コスモス」のムサシもゲスト出演と
作品の完成度の議論はさておき、ウルトラマン大集合作品を作ることそのものが、
ウルトラマンがDNAに刻み込まれた人間の熱を上昇させてやまないのだ。
それまで外伝的な独立作品ともとれた「ウルトラマンG」
「ウルトラマンパワード」「ウルトラマンUSA」「ウルトラマンネオス」
「ウルトラマンマックス」のウルトラマン達も登場し、
さらに「ダイナ」も別次元から参戦、「コスモス」のムサシもゲスト出演と
作品の完成度の議論はさておき、ウルトラマン大集合作品を作ることそのものが、
ウルトラマンがDNAに刻み込まれた人間の熱を上昇させてやまないのだ。
そこでさらに新しきウルトラマンとして登場したのが、
邪悪なるウルトラマンである漆黒の巨人・ウルトラマンベリアル。
ウルトラマンの故郷・ウルトラの国を凍りついた暗闇の世界に閉ざし、
100体の大怪獣軍団を率いて合体し、空前絶後の超巨大怪獣となる。
そのベリアルを倒すために立ち上がったニューヒーロー、
それがセブンの息子・ウルトラマンゼロだった。
今回は、そのウルトラマンゼロを主人公とし、復活したベリアルとの因縁の決戦を描く。
故に「ウルトラギャラクシー大怪獣バトル」から続いてきた前作、
元々がウルトラ戦士大集合だった「大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説」とは、
その続編とはいえ若干コンセプトが修正され、団体から個人へと移行する具合。
元々がウルトラ戦士大集合だった「大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説」とは、
その続編とはいえ若干コンセプトが修正され、団体から個人へと移行する具合。
そのため、ウルトラマン80とユリアンに前作では叶わなかったオリジナルキャスト、
長谷川初範と萩原佐代子を声に配役し、最近のウルトラマンでは常連の
黒部進らがそれぞれのウルトラ戦士の声を当てる豪華な仕事も、
前作ほどには出番が無く、ゼロ以外のウルトラ戦士はごく僅かの登場シーン、
マックスやゼノンなどに至ってはうっかりすると見逃してしまいます。
逆に好意的に捉え、その僅かなシーンにもこだわりを見せてくれてると思おう。
マイナスエネルギーについて語るのが80の役目という脚本に、
80世代の僕はのけぞってしまいましたが、彼以外には考えられない台詞のはず。
兄弟の出番が少ないのも致し方なく、今回のメイン舞台は光の国とは別の宇宙。
しかも、ウルトラマン達の全エネルギーを集めても送り込めるのは一人だけ。
別宇宙から送り込まれた謎の刺客ダークロプスの黒幕を探るため、ゼロが志願する。
別宇宙へと飛び立ったゼロはそこでかつて倒したベリアルが率いる銀河帝国軍と対峙。
銀河帝国軍はその宇宙で暮らす人々を苦しめ星々を破壊し、
力を蓄えたベリアルは再びウルトラの星への侵略しようと画策していた。
ところが別宇宙での戦いはゼロにとって計算外のものとなってしまう。
光の国および宇宙での戦いではエネルギーが尽きることは滅多になかったが、
この別宇宙では彼のエネルギーは極度に消耗し易くなっていたのだった。
ゼロは瀕死の重傷を負っていた惑星アヌーの正義感溢れる青年・ランと一体化する。
戦いではないときはランの姿で行動し、戦うべきときはウルトラゼロアイで変身する。
ここに、ゼロは歴代のウルトラ戦士達同様に、人間と一つになったのだった。
ウルトラマンゼロは思慮深き知性派のイメージの強いセブンと比べ、
熱血漢だが荒削りでもあり若々しい故の己への過信が現れる面もあります。
ウルトラマンメビウスが当初はただ敵を倒すことだけしか見えていなかった様に、
ゼロもまた人間として、いやウルトラ人としての精神性としてはまだ未熟だった。
例えば、彼風の口調では「へっ!俺一人で十分だぜ!」という具合。
ランと一体化するときでも、そのときはまだ人間の体を借りることを、
ゼロは一時的な緊急回避として捉えているように見えます。
歴代のウルトラ戦士達に目を向ければ、彼らが選んだ人間達は、
勇猛果敢に怪獣に挑み、人命を助けるために自らの命を散らした。
ウルトラ戦士達は彼らの精神に自分達と同じものを見出し、
力を貸し、また力を借りることにしたはずなのです。
ゼロは一時的な緊急回避として捉えているように見えます。
歴代のウルトラ戦士達に目を向ければ、彼らが選んだ人間達は、
勇猛果敢に怪獣に挑み、人命を助けるために自らの命を散らした。
ウルトラ戦士達は彼らの精神に自分達と同じものを見出し、
力を貸し、また力を借りることにしたはずなのです。
まずここで、ゼロは自分の力のほどを知らなければならなくなったはず。
下手すれば最強と思っていた自分が誰かの力を借りなくてはならない。
そしてさらに彼を戦士としてウルトラ人として大きく成長させた存在、
それがランの弟であるナオの役目だったのではないでしょうか。
下手すれば最強と思っていた自分が誰かの力を借りなくてはならない。
そしてさらに彼を戦士としてウルトラ人として大きく成長させた存在、
それがランの弟であるナオの役目だったのではないでしょうか。
ウルトラマンと少年、それは実は作品の重要な要素だと思う。
ウルトラシリーズのおかれた困難な時代を切り拓くには、
この従来置かれるべき少年の視点をもっと追求してみるべきでは。
「ウルトラマンコスモス」の様に主人公と少年を重ねたものもありますが、
「帰ってきたウルトラマン」における郷秀樹の弟分の坂田次郎が、
最終回で涙とともに大空に叫ぶ、ウルトラマンとの絆・ウルトラ五つの誓い。
「ウルトラマンレオ」のおおとりゲンを兄の様に慕うトオルを、
レオに頼らず自立した人間として歩ませるため背中を押す最終回。
「ウルトラマンタロウ」の健一、「ウルトラマンA」のダン、
「ウルトラマン」のホシノ君など、ときにはマスコットとしても活躍、
ときにはウルトラマンに力をくれる存在でもありました。
「ティガ&ダイナ」で、"光はあるよ!"と人々に活力を取り戻させたのは、
ほかならぬ少年達のウルトラマンを信じる心だった・・・。
そもそもウルトラマンはまず、彼ら少年達のヒーローであります。
僕らの様な大きな少年達は本来後から勝手についてくるだけで良く、
僕らへのサービスはサービスに留まらせてそれを主体にはしなくて良い。
まず、少年達がウルトラマンとともに作品に存在できることが重要ではないか。
ナオが絶対的に信頼するランを通じて、ナオはゼロを信じる。
ゼロもランが絶対に守りぬくナオとともにいることで、
自身の戦いが誰かを守るためにあることを徐々に自覚していく。
邪悪なるベリアルを今度こそ倒す!その闘争心よりももっと根底に、
苦境に屈せず立向かうためのもの、守るべき人々、ともに戦う仲間、
とくに平成ウルトラマンを貫くキーワード、絆が彼のなかに目覚める。
ヒーローには強さだけでなく、優しさ、謙虚さ、慈しみが必要なのだから。
パワーとパワーがぶつかり合い、強大なパワーが押し返した前の戦いと比べ、
ゼロに欠けていたものが備わり、力の源となるものが着実に変わったはず。
それがベリアルとの決定的な違いになり、それが勝てる理由だと思う。
初代ウルトラマンから、明示されなくとも最後は当たり前に、
語るべきことでもなく共通するのは、守るための戦いだったはずなのだから。
奇跡の使者がそれぞれの心に宿ることは平成ウルトラマンから受け継ぐ遺伝子。
ウルトラマンノアは、もはやまるで神の様な神秘の存在になりましたが、
振り返り、ノアのテーマソング「NOA 奇跡をその手に」の歌詞に耳を傾ければ、
"・・・誰にでも宿るはず 神秘の光は心に・・・"と、
その存在がこの戦いの行方を暗示していたかの様な気さえしてきてしまう。
"バラージ"の符号に震える前に、その受け継がれる光を受け止めたい。
セブンとゼロの父と子の絆も無論注目すべきテーマであり、
新たな命を吹込まれたファイヤーマン、ジャンボーグA、ミラーマン達と、
ゼロの結成したウルティメイトフォースゼロの今後にも期待しますが、
やはり僕はウルトラマンと少年が今後の鍵の一つではないかと考えます。
新たな命を吹込まれたファイヤーマン、ジャンボーグA、ミラーマン達と、
ゼロの結成したウルティメイトフォースゼロの今後にも期待しますが、
やはり僕はウルトラマンと少年が今後の鍵の一つではないかと考えます。
年末には45周年記念の第二弾作品が公開予定です。
君にもまだ見えているでしょうかウルトラの星が。
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