水も心も涸れた 「フロウ ~水が大企業に独占される!~」 ― 2011年01月12日 23時37分18秒
「フロウ ~水が大企業に独占される!~」
についてのこと。
についてのこと。
■「松嶋×町山 未公開映画祭」作品紹介
http://www.mikoukai.net/006_flow.html
原題: Flow:For Love Of Water
2008年 アメリカ (93分)
監督:イレーナ・サリーナ
冒頭のテロップで、W・H・オーデンの言葉
「愛がなくても生きているが、水がなくては生きられない」
と流れるが、愛は無ければ僕は生きられません(謎)。
さて、この映画を見る前はミネラルウォーターの映画かと思いましたが、
やはり日本にいると世界を知らないものです。
この映画で危機に瀕している水は、日本で言うならば水道局が管理している
ライフラインの水で、それが発展途上国では民営化され、
海外から進出してきた民間企業に支配されているとのこと。
やはり日本にいると世界を知らないものです。
この映画で危機に瀕している水は、日本で言うならば水道局が管理している
ライフラインの水で、それが発展途上国では民営化され、
海外から進出してきた民間企業に支配されているとのこと。
人間の体はその半分以上が水から出来ている。
水は人間が生きるために食べ物とともに日々摂取するものでありますが、
米やパンと違い、水は普通、別の代用品が無いものです。
ジュースだろうとコーヒーだろうと水は必要。
料理にも水は必要、作物を育てるにも家畜を育てるにも水は必要。
人間は水無しでは生きる道を選び取ることができません。
ではそのような水を企業が確保し、代金を払わねばならないとは?
水道料金というのは設備を配し管理するため費用の対価と言います。
それは確かに納得できるものですが、貧しい国が高い料金で、
ライフラインの水道料金を支払う様に要求されています。
独占しているのは、スエズ社、ヴィヴェンディ社、SAUR、Agbar、RWEなど。
水道料金というのは設備を配し管理するため費用の対価と言います。
それは確かに納得できるものですが、貧しい国が高い料金で、
ライフラインの水道料金を支払う様に要求されています。
独占しているのは、スエズ社、ヴィヴェンディ社、SAUR、Agbar、RWEなど。
水はそこら中にありそうであるものではない。
「この水は飲めません」という水ならばそこら中に存在する。
飲もうと思えば飲めるけれども人体への影響は保障されない。
海水だってそのままでは飲めるものではありません。
そしてお金の無い人は汚れた河の水を飲まざると得ない。
そうすると病気になり作物も育たず、最悪死に至る。
その状況は、「死にたくなければ金を払え」と言われてるも同然です。
何故そのような状況が作り出されるのか、許されるのか。
水道の民間企業参入を導入した国の事情云々は多種多様数あれど、
結局は金儲け主義による倫理の欠落ではないのか。
どう転んでも必要とされるものなのだから必ず金になる。
史上最悪の商売ではないか。
これに対して同様にラインを握られて苦しんでいたインドの一部では
自治体が紫外線による浄化装置の設置を可能にし安価な料金で提供。
彼らの活躍によって病気は治り土地は作物を実らせ命を育んだ。
だが、別のところでは渇水に悩む村々を豊かな緑地に変えた人々が、
国の方針に従わずに勝手に行動したことで、
警告されるケースもあるといい、全く馬鹿げた話というほかありません。
何が本当の豊かさか幸福かがまるでわかっていない。
それが分かっているならば法も制度も誤っていると気づくはず。
困っているのは誰だ。救われたのは誰だ。誰のために豊かさはあるのか。
信じられないことに悠久なるガンジス河の流れまでもが、
スエズ社にダムを作られ市民に売られているのだそうです。
世界各地でダムが作られ、人々が土地を追われ、土地が死んでいく。
それらがいまや自然や人類の遺産レベルへの侵蝕に及んでいる。
これらの話は発展途上国を先進国が食いつぶす問題かと思いきや、
それに留まらず、問題はアメリカの国内でも起きているとのこと。
それはミネラルウォーターのケース。
ミシガンで起こったネスレ社による河川からの水の汲み上げ。
ボトル水のために、まさに湯水の如く汲み上げられたあげくに
河も湖も水が足りなくなり賠償金も払われない。
土地で暮らす人々を苦しめ生態系を変えてしまう。
これは裁判になったが現在も各地で水は獲られているという。
住民の財産を侵害するものではないとのことだが、
この場合の真なる財産の意味は地球環境そのもののはずです。
ミシガンで起こったネスレ社による河川からの水の汲み上げ。
ボトル水のために、まさに湯水の如く汲み上げられたあげくに
河も湖も水が足りなくなり賠償金も払われない。
土地で暮らす人々を苦しめ生態系を変えてしまう。
これは裁判になったが現在も各地で水は獲られているという。
住民の財産を侵害するものではないとのことだが、
この場合の真なる財産の意味は地球環境そのもののはずです。
さらにそんな非難を受けながら作り続けられている、
アメリカ国内のボトル水の水質の信憑性は極めて疑わしいという。
産地偽造どころかバクテリア等の発生という、安全性も疑わしいものだと。
地球と人々の環境を破壊してきた上にまだ足りぬというのか。
日本においてミネラルウォーターが登場してきたとき、
東京の水道水はカルキ臭くて飲めたものではないとも言われました。
臭いというよりも薬品と化学物質の影響が懸念される。
だからご飯を炊くときもボトル水を入れるのだと。
それを聞いたとき、地球の未来に危機感を初めて感じました。
水が足りなくなっているのは温暖化などによるものだけではない、
人類によるもっと直接的な作用のために水が不足している。
この映画は地球規模のメッセージを発信する映画です。
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