癒しか、痛みか ~ 「ずっとあなたを愛してる」 ― 2010年02月03日 23時20分38秒

「ずっとあなたを愛してる」についてのこと。
さて、あなたは「あの人とは話したくない」
と思ったことはあるだろうか。
ほとんどの人がYESと答えるだろう。人間だもの。
では、あなたは「あの人は自分とは話したくないのだな」
と感じとったことはあるだろうか。
次に、そう感じたときには、相手を責めるだろうか。
「あの人が悪いのだ。私に罪は無い。」と。
それとも、自分を責めるだろうか。
「私が原因を作ったんだ。」と。
開き直るか。問を突き詰めるか。
では、いずれにせよ。
そのような人間関係は健康的であるとは言えないはずだ。
その問題を解決しようと、自分が動き出すだろうか。
相手が何か言ってくるのを受身で待つだろうか。
ただ、そのままにしておくだろうか(解決しようとか思わずに。)。
多かれ少なかれ。時にはそんな危うい人間関係がある。
その中で積極性を培う者もいれば防御本能を強化する者もおり、
あるいは全く達観した場所から眺める者と、
拒否・逃亡・刹那にすがろうとする者などへと分かれていく。
この物語の主人公はかつて母親だった女性、ジュリエット。
彼女は息子を殺した罪で15年刑務所に入っていた。
そして出所し、妹夫婦の下へ身を寄せる。
妹夫婦は優しく接するが、血の繋がった妹はともかく、
夫の方はジュリエットが我が子の子守をするとなると、
彼女の過去の罪と繋げることを否めない。
一見穏やかだが腫れ物に触るような関係だ。
ジュリエットには再就職の斡旋もきちんとついている。
しかし、いざ就職先に行けば過去を問い詰められ、
相手は怒りと先入観を顕わにして断られる。
新たな就職先でなんとか試用期間付きの就職にありつくも、
彼女の態度に周囲の人間は不満あるいは不安を感じる。
ジュリエットは知的で聡明な女性だ。
罪に苛まれ沈み込むことも、周囲に当り散らすこともしない。
15年の出所の後、どういう目に晒されるかということを
熟知しており、長い時間をかけて防御を固めたのだろう。
それ故、表情の変化も見せるが表面がゆれているだけで、
心の奥底は冷たく冷えて閉ざされている。
一見、優しく落ち着いているようでも、熱気は感じないのだ。
そんな彼女に対して深い洞察や感受性を持ち得ない者には、
ミステリアス、神秘的な女性と映るようだ。
しかし好感を籠めて見られようと、蔑みを持って見られようと、
彼女にとっては「そうならそれでいい」と感じる程度で、
それをきっかけに物事を進めようとも思ってはいない。
ただただ、周囲と一定の距離を保ちながら、
何もしないことが最良と信じて日々を「やり過ごしていく」。
とくに大波は立たないが、凪は常に立つ。
ガラスのロープを綱渡りするようなざわめきだ。
そんな彼女の目の奥に宿ったものを感じた男、
刑務所の人間と関わったことがあるというミシェルが
理解者となって徐々にジュリエットの魂が溶けていく。
妹夫婦の子供達と触れ合うことでも温かさが宿っていく。
同時に彼女が本来持っていた魅力も開花することになり、
周囲の人々との関係も良い方向に変化していく。
天使が祝福しているように見える美術館のシーンは秀逸だ。
と、ここまではよくある魂の癒しの物語。
この映画はそこまで甘い物を差し出しておきながら、
それで本当に根本からの解決だろうか、と
終盤で一気に正反対の方向に投げ飛ばす。
ふとしたきっかけに発覚したジュリエットの罪の真実。
それを妹のレアは正面から一気に鋭く問い詰める。
ジュリエットは閉じていた奥底の扉を解き放ち、
これまで隠してきた事実で真っ向から迎え撃つ。
ゆっくりと再生しつつあった穏やかな姿はそこには無い。
「それを解決するには時間が必要だ」とよく人は言う。
だが、時間が直接的に問題を解決してくれることはまず、無い。
時間がもたらすのは、ただ、タイミングだけであり、
そのタイミングが巡り来る時に行動しなければ解決はしない。
それまでは問題をそのままに先に送っているに過ぎない。
人間関係の原因が自分にあるにしろ相手にあるにしろ、
勇気と力の無い未熟な自分の心を防御していくうちに、
いつの間にかそれを問題の解決と取り違えてしまい、
汚れの上から新しい塗料を塗って覆い隠した
に過ぎないことを忘れてしまうのではないか。
それでも良いと思う向きもあろう。
周囲と相手と必要限度の距離を保ちながら、
やがて来るだろう別れのときが来るまで、
割り切って過ごすのも一つの生き方だろう。
しかし、人間ならば夜寝る前、あるいは何かのきっかけで、
覆い隠していた傷の記憶が奥底から浮かび上がり、
後ろめたさに苛まれる経験はないだろうか。
たとえ相手がもう近くにいないとかで直接の不安は無くとも、
自分がいる限り永遠にそれは巡ってくる。
そこから逃れる手段は、ただ一つ、とは言わないが。
お互いが真正面から真摯にぶつかり合うこと、
を最後に映画は提示しているように感じる。
もちろん、痛みは避けられない。
だから人は大抵、逃げたり避けたりはぐらかしたりする。
だが、互いにそれを乗り越えたときには
先の見えない苦しみから解放されている。こともある。
厳しい態度には厳しい言葉で向き合い、
頑なではなく恥ずかしいと感じる面も曝け出す。
そして、沈黙から一挙に言葉の斬り合いに転じる。
キーは、相手をどれだけ信じるか。
相手が自分が信じるほどの人間ならば、
自分の言葉を正面から受け止められるはず。
互いがその信念でぶつかることによって、
厳しさも恥ずかしさも信じるゆえに顕わになっていく。
お互いを信じるからこそ最大限の力でぶつかり合い、
その中で連帯と絆が生まれる様は、
レスラー同士やボクサー同士の奇妙な関係に似ている。
大事なのは、自分に恐れが生まれたときには、
バランスが崩れて相手に屈すると言うこと。
また、相手に恐れが生まれてバランスを崩せば、
押さえ込んだ自分には虚しさが残るということ。
どちらも歪んだ関係で燻ることになる。賭けでもある。
全てを曝け出したジュリエットはレアに真直ぐに向き合い、
「私はここにいる」と力強く言い放つ。
レアも正面から彼女の目を真直ぐに見つめる。
全ての憑き物から解放され、さらに人間が成長する
真の意味での魂の再生ではないだろうか。
さて、あなたは。僕は。
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