旅カフェ サマルカンド2010年02月01日 22時31分07秒

今日は久々に映画の日に仕事がお休みでした。
なので映画館に籠りきり、の予定でしたが、
「ずっとあなたを愛してる」「Dr.パルナサスの鏡」の
2本に止めて、せんだいメディアテークにチケットを買いに行き、
後はカフェで食事して、床屋でヒゲと髪をカットしました。

ヒゲと髪は流石に延びすぎて、間もなくテロリスト状態。
既にニューヨークの地下鉄ならば
ハンバーガー好きのお巡りさんに職質されたかもしれません。


気がつけばもう2月です。
退院してからも順調に3ヶ月程度が過ぎました。
最初の頃と比べれば比較にならないくらい動き回れるようになり、
映画もかなり自由に鑑賞できるようになりました。
マスクは手放しませんが。

先週は他にやることが多くてブログをお休みしましたが、
その多くはやるべきことをやっていると思っているので、
別に疲労が蓄積するということはありません。
そういった活力があれば免疫力も高まると、
最近は研究されてるそうですが、
確かに病気になってる暇など無いぜ、とも思い、
やるべきことが見えているうちは大丈夫なように感じます。

気を紛らわす必要が無いと感じるのは幸せなことです。

それはつまり、映画やカフェなどに対するスタンスも
僕のなかで変化しているのかもしれません。
ただのサプリメントから、意義のあるものへ。
いや、サプリメントも過剰摂取ではなく、
意義を成す為に必要となる適量摂取へ。


・・・そんな小難しいこと言わずとも観たい映画は見ます。
でも2月は少ないな。

「インビクタス/負けざる者たち」「千年の祈り」
「インフォーマント!」「カティンの森」
「人間失格」「戦場でワルツを」「バッド・ルーテナント」
「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」
そして待望の「海角七号/君想う、国境の南」。

山中貞雄特集や立川志らくのピン!なども観に行くのですが。
後はBSで録画したブルーレイが溜っており、
先の放送の「東京モダン」など、それを見ましょう。


さて、今日は久々に定禅寺通、メディアテーク傍の
サマルカンドに行きました。

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旅カフェ サマルカンド
■仙台市青葉区春日町1-5SKビル定禅寺2F
■営業時間:月~土 11:00~20:00
          11:30~14:30
        日・祝 11:00~19:00
■定休日 :無休

※日によってイベントの会場になっていることがあります。

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ホットサンドを食べることがほとんどで、
(「ずんだホットサンド」がお勧め)
ベトナムコーヒーが僕のお気に入りなのですが、
2月のお勧めとしてお安くなっている
野菜ポトフセット(サラダ、コーヒー付き)に致しました。

やっぱり薄味嗜好と野菜寄りになっているので、
ポトフは他でも良く注文します。

サラダとフルーツです。
軽く炒めたライスもついて来ました。
野菜がですね~、ゴロゴロ入っています。
ロールキャベツも大きいよ。食べ応えあります。
玉葱も4分の1ぐらいかな?
あ、蕪の時期になったのかなと季節を感じました。

「クッキングパパ」の「まるごとカレー」を思い出しちゃったな。
(※玉葱やジャガイモがカットされず丸ごと入ったカレーのこと)

そういえば、ランチタイムは終了していたような・・・。
でも温かい心遣いを頂きまして感謝です。
ごちそうさまでした。

他に誰もいなかったので映画を反芻したり
近況を考えてちょっと憂いがちに黄昏モード。
窓際の席が前からお気に入りだけど、
ここから見えるメディアテークに寄せる想いも
今では大きく変わりました。


・・・よし。やりましょう!

癒しか、痛みか ~ 「ずっとあなたを愛してる」2010年02月03日 23時20分38秒

フィリップ・クローデル監督作品
「ずっとあなたを愛してる」についてのこと。


さて、あなたは「あの人とは話したくない」
と思ったことはあるだろうか。
ほとんどの人がYESと答えるだろう。人間だもの。
では、あなたは「あの人は自分とは話したくないのだな」
と感じとったことはあるだろうか。

次に、そう感じたときには、相手を責めるだろうか。
「あの人が悪いのだ。私に罪は無い。」と。
それとも、自分を責めるだろうか。
「私が原因を作ったんだ。」と。
開き直るか。問を突き詰めるか。

では、いずれにせよ。
そのような人間関係は健康的であるとは言えないはずだ。
その問題を解決しようと、自分が動き出すだろうか。
相手が何か言ってくるのを受身で待つだろうか。
ただ、そのままにしておくだろうか(解決しようとか思わずに。)。

多かれ少なかれ。時にはそんな危うい人間関係がある。
その中で積極性を培う者もいれば防御本能を強化する者もおり、
あるいは全く達観した場所から眺める者と、
拒否・逃亡・刹那にすがろうとする者などへと分かれていく。


この物語の主人公はかつて母親だった女性、ジュリエット。
彼女は息子を殺した罪で15年刑務所に入っていた。
そして出所し、妹夫婦の下へ身を寄せる。
妹夫婦は優しく接するが、血の繋がった妹はともかく、
夫の方はジュリエットが我が子の子守をするとなると、
彼女の過去の罪と繋げることを否めない。
一見穏やかだが腫れ物に触るような関係だ。

ジュリエットには再就職の斡旋もきちんとついている。
しかし、いざ就職先に行けば過去を問い詰められ、
相手は怒りと先入観を顕わにして断られる。
新たな就職先でなんとか試用期間付きの就職にありつくも、
彼女の態度に周囲の人間は不満あるいは不安を感じる。

ジュリエットは知的で聡明な女性だ。
罪に苛まれ沈み込むことも、周囲に当り散らすこともしない。
15年の出所の後、どういう目に晒されるかということを
熟知しており、長い時間をかけて防御を固めたのだろう。
それ故、表情の変化も見せるが表面がゆれているだけで、
心の奥底は冷たく冷えて閉ざされている。
一見、優しく落ち着いているようでも、熱気は感じないのだ。

そんな彼女に対して深い洞察や感受性を持ち得ない者には、
ミステリアス、神秘的な女性と映るようだ。
しかし好感を籠めて見られようと、蔑みを持って見られようと、
彼女にとっては「そうならそれでいい」と感じる程度で、
それをきっかけに物事を進めようとも思ってはいない。
ただただ、周囲と一定の距離を保ちながら、
何もしないことが最良と信じて日々を「やり過ごしていく」。

とくに大波は立たないが、凪は常に立つ。
ガラスのロープを綱渡りするようなざわめきだ。


そんな彼女の目の奥に宿ったものを感じた男、
刑務所の人間と関わったことがあるというミシェルが
理解者となって徐々にジュリエットの魂が溶けていく。
妹夫婦の子供達と触れ合うことでも温かさが宿っていく。
同時に彼女が本来持っていた魅力も開花することになり、
周囲の人々との関係も良い方向に変化していく。
天使が祝福しているように見える美術館のシーンは秀逸だ。

と、ここまではよくある魂の癒しの物語。
この映画はそこまで甘い物を差し出しておきながら、
それで本当に根本からの解決だろうか、と
終盤で一気に正反対の方向に投げ飛ばす。


ふとしたきっかけに発覚したジュリエットの罪の真実。
それを妹のレアは正面から一気に鋭く問い詰める。
ジュリエットは閉じていた奥底の扉を解き放ち、
これまで隠してきた事実で真っ向から迎え撃つ。
ゆっくりと再生しつつあった穏やかな姿はそこには無い。


「それを解決するには時間が必要だ」とよく人は言う。
だが、時間が直接的に問題を解決してくれることはまず、無い。
時間がもたらすのは、ただ、タイミングだけであり、
そのタイミングが巡り来る時に行動しなければ解決はしない。
それまでは問題をそのままに先に送っているに過ぎない。

人間関係の原因が自分にあるにしろ相手にあるにしろ、
勇気と力の無い未熟な自分の心を防御していくうちに、
いつの間にかそれを問題の解決と取り違えてしまい、
汚れの上から新しい塗料を塗って覆い隠した
に過ぎないことを忘れてしまうのではないか。

それでも良いと思う向きもあろう。
周囲と相手と必要限度の距離を保ちながら、
やがて来るだろう別れのときが来るまで、
割り切って過ごすのも一つの生き方だろう。

しかし、人間ならば夜寝る前、あるいは何かのきっかけで、
覆い隠していた傷の記憶が奥底から浮かび上がり、
後ろめたさに苛まれる経験はないだろうか。
たとえ相手がもう近くにいないとかで直接の不安は無くとも、
自分がいる限り永遠にそれは巡ってくる。


そこから逃れる手段は、ただ一つ、とは言わないが。
お互いが真正面から真摯にぶつかり合うこと、
を最後に映画は提示しているように感じる。

もちろん、痛みは避けられない。
だから人は大抵、逃げたり避けたりはぐらかしたりする。
だが、互いにそれを乗り越えたときには
先の見えない苦しみから解放されている。こともある。

厳しい態度には厳しい言葉で向き合い、
頑なではなく恥ずかしいと感じる面も曝け出す。
そして、沈黙から一挙に言葉の斬り合いに転じる。

キーは、相手をどれだけ信じるか。
相手が自分が信じるほどの人間ならば、
自分の言葉を正面から受け止められるはず。
互いがその信念でぶつかることによって、
厳しさも恥ずかしさも信じるゆえに顕わになっていく。

お互いを信じるからこそ最大限の力でぶつかり合い、
その中で連帯と絆が生まれる様は、
レスラー同士やボクサー同士の奇妙な関係に似ている。

大事なのは、自分に恐れが生まれたときには、
バランスが崩れて相手に屈すると言うこと。
また、相手に恐れが生まれてバランスを崩せば、
押さえ込んだ自分には虚しさが残るということ。
どちらも歪んだ関係で燻ることになる。賭けでもある。


全てを曝け出したジュリエットはレアに真直ぐに向き合い、
「私はここにいる」と力強く言い放つ。
レアも正面から彼女の目を真直ぐに見つめる。
全ての憑き物から解放され、さらに人間が成長する
真の意味での魂の再生ではないだろうか。


さて、あなたは。僕は。

ただただ、この映画を愛す ~「インビクタス/負けざる者たち」2010年02月08日 23時36分03秒

クリント・イーストウッド監督
モーガン・フリーマン、マッド・デイモン主演
「インビクタス/負けざる者たち」についてのこと。


"お前は相手を理解せずに批判している"

"個人的な怒りをぶつけているだけだ"

ネルソン・マンデラ氏は相手を憎み復讐するよりも
相手を理解し赦すことを説いたという。
上記は映画の中に登場する台詞で、マンデラと身内の会話。
端的にその精神を現している言葉で、
他にも随所随所に言葉を変えて現れている。

僕たちはその日常において、相手の行いの正しいか過ちかよりも、
相手への個人的感情に支配されていない、と
どれだけの人が断言して言うことができるだろうか。

僕自身が非常に弱い人間なのかもしれないが、
ネルソン・マンデラのその精神は超人的な強靭さだと思う。
寛容さ、ではなく強靭さ。
27年間投獄されていた人間が、いかに特別な人間であろうと、
相手への憎しみと怒りよりも、理解と寛容と赦しを前に出すには、
強靭な精神力でどす黒い炎を抑え込まなければならない、
永い獄中生活の果てにそれを体得した、僕にはそうとしか思えない。
悟りを啓いた修行僧の精神に近いのではないか。


普通なら、ネルソン・マンデラの映画を作るといえば、
(実際に映画化を許可されたのはごく僅かだけども)
その獄中生活とその後の大統領選挙戦に焦点が当てられるはず。
皆もそれを期待するはずで、実際、2007年に制作された
ビレ・アウグスト監督の「マンデラの名も無き看守」も
マンデラと一人の看守との心の交流を描いた捻りある良い作品だが、
やはりマンデラの獄中生活というだけでドラマチックな昂揚を煽る。
デニス・ヘイスバート(「24」のパーマー大統領役で有名)が
マンデラを演じた、というのもまた期待を高めた。

「インビクタス」はモーガン・フリーマンがマンデラを演じる。
演技力、人間性の面でマンデラに並ぶ、これほどの役者はいない。
彼のその知的な目、眉間に人生から得た何かが詰まった眼差し、
穏やかさと謙虚さと厳しさと誠実さ、そしてユーモア、きりが無い。
一時期、レイザーラモンHGが好きな俳優として盛んに挙げており、
言うのが憚られた(?)人がいたかどうかは知らないけど、
僕も黒人の、いや世界の中で尊敬する人で限りなく頂点に近い。

そのモーガンを配して、ラグビーの話とは?
「チェンジリング」「グラン・トリノ」と比べれば、
マンデラの物語、ワールドカップの優勝などネタは大きい。
しかし、パッと聞いて期待が膨らむほどの話ではない。
そう思って半信半疑で鑑賞した。

凄い。

マンデラという人間の大きさ、当時の南アフリカ共和国の様子、
人々の心境、ワールドカップへの昂揚していく熱気、
全てが余すところ無く描かれ、そして抑制されている。

「ミスティック・リバー」以降のイーストウッドの、
基本的に黒い印象の映像と糸を手繰り寄せる様な物静かなトーン。
特に"静かな"トーンは硫黄島の二部作でも全体の印象だったし、
それ以前も、イーストウッドの作品は大体にして静かだったと思う。
今回になってふっと感じたことだけど、
"もしや、若き日のマカロニの砂漠の光景を思い起こしている?"
と、進化と洗練の果てでなくルーツを辿ったのではないかとも思う。

しかし、その静かなトーンの後、地の底から沸きあがるような、
地響きのような人々の唸りと、熱く滾るマグマのような
マンデラと南ア代表チームの熱気が映画から溢れてくる。

イーストウッドがこれほどまでにスローモーションを使用したのは、
僕は全監督作品を見たわけではないけど、ちょっと記憶に無い。
大体、そういう小手先の誤魔化しのようなことが嫌いな人だし。
今回、それを多用したのは見た目のかっこよさとか以上の、
その場を支配した精神的な何かを表現するためのものだと思う。

精神的なもの、と言っても弱小チームが優勝を勝ち取るまでの、
特別特訓とか暑苦しい精神論で埋め尽くした、
そこいらのスポーツ根性ドラマではない。
まさに、マンデラが語る、国が一つになっていく過程だろう。


小学生に先生は昔こう言った。
「遠足は帰るまでが遠足だ。」

最近の戦争を扱ったドラマやアニメではこう言う。
「(戦争が終わった後)これからが本当の戦いだ。」

マンデラ氏も獄中を脱出した後、大統領に就任した後、
折々に感じたに違いない。これから先が肝心なのだ、と。

イーストウッドもそれを十分に理解していたに違いない。
だからこそ、大統領選の直後、以降の功績の狭間の、
黒人と白人の国民が最も揺れ動いた時期に焦点を当てた。
この御仁の慧眼ぶりには今更ながらにもただただ平伏す。

マンデラは偉大な人間だ。数々の功績と名言を残している。
しかし、それに比肩する大きな力を持った何かがある。
国の力、人々の力、そしてこの映画の力。
今年度最高とも言える、堂々と聳え立つ作品でありながら、
謙虚さも滲ませるこの作品を、ただ愛すしかない。


最後に私事を。

このマンデラを演じるモーガン・フリーマンの
瞳に飲み込まれるように、言葉に突き動かされるように、
僕はその日にある行動を起しました。
それは間違っていなかったと信じているし、
これから先にとっても良い結果を生んだとも信じています。

僕を突き動かしたこの作品を作り上げた
クリント・イーストウッド、モーガン・フリーマン、
マッド・デイモン、その他のキャスト・スタッフ、
そしてこの背景に関わったネルソン・マンデラ氏と
名も無き人々たちに深く感謝いたします。
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