願わくば ― 2008年11月06日 23時49分41秒

最近ややブルー。ロンリーでセンチメンタル。
寂寥たる黄昏感。
むーんな気持ちはおセンチ。
秋も深し寂しい気持ちの表現ばかりならべてみましたが、
そんな時は映画に行きましょうと思ったら、
これがなんだかまた一層胸を締め付けれた気がしました。
名優ショーン・ペンの監督作品「イン・トゥ・ザ・ワイルド」。
「幸福が現実となるのは、それを誰かと分かち合ったときだ」
<物語>
1990年の夏。アトランタの大学を卒業した成績優秀・前途洋洋の
22歳の青年、クリス・マッカンドレスは、ある日周囲に知られぬよう
車を廃棄し、貯金を慈善団体へ寄付してカードとお金を捨てて、
アラスカの荒野を目指す旅に出る。
旅の途中で出会う人々と家族や兄弟のような親交を深め、
恋の思いもぶつけられながらもただ一心に彼は荒野を目指す。
この映画は1992年にアラスカのスタンピート・トレイルの荒野で、
放置されたバスでクリストファー・マッカンドレスという青年の
遺体が発見された事実に基づき、彼の残した手記と、
旅の道程で彼が出会った人達に緻密な取材を試みて完成した
ジョン・クラカワーの著書「荒野へ」が原作です。
「幸福が現実となるのは、それを誰かと分かち合ったときだ」
彼が死の間際に書き残したとされる言葉ですが、
この言葉は強く胸をえぐり、また身につまされる思いです。
恵まれた環境で育ちながらそれを享受して行きようとはせず、
金銭を捨てて荒野で生活するためにそこを目指すクリス。
別名アレクザンダー・スーパートランプ。
一見、アウトサイダーな彼が瑞々しく輝いてみえるのは、
社会をいとも簡単に捨てた身軽さへの憧れと羨望ではありません。
彼から感じるのは強い冒険心、人間と社会への鋭い洞察、
揺るぎない信念、賢人のようでありながら子供のような純粋さです。
そこには社会や両親からの逃避ではなく、
自分の憧れのためには捨てるものを惜しまない潔さがあります。
私が憧れるとすればその捨てることの潔さです。
クリスを演じるはエミール・ハーシュ。
日本ではまだ馴染みの薄い名前ですが、
この夏、「スピードレーサー」で主演したと言えばピンと来るでしょう。
言われて気づきましたが、確かにディカプリオにちょっと似ています。
彼が強さと繊細さを併せ持つ複雑なクリスを全身全霊で演じます。
彼はその潔さで実の親子以上の擬似家族とも言えるヒッピー達と
即座に別れ、恋人になろうかという相手とも別れていきます。
無償の温もりを相手に与えて魅了しながら、
自身の目的を一心に見据えて後ろ髪引かれることもありません。
クリスは念願のアラスカの荒野に辿り着き、約3ヶ月の間、
死後発見されることとなる放置バスを基地として、
狩猟採集により食べ、大自然に抱かれ逞しく清清しく生きます。
生きることと目的と憧れが一体となった時の良い知れぬ幸福感。
そこに後悔や寂しさは感じられません。
では彼を襲ったある不幸により、死の淵に立たされたとき、
「幸福が現実となるのは、それを誰かと分かち合ったときだ」
と言葉が出るに至ったのは、唐突に孤独を感じたためでしょうか。
映画では明確にはされず、最後に彼の観た光景は、
雲間から射そうとする太陽の光であり、
そこには祝福さえも感じられます。
その言葉は到達点ではなくとも彼の見出した答えの一つでしょう。
しかし、例え後悔であったとしても、気づいたのが
幸福の意味ならばそこにはやはり祝福があるのかもしれません。
旅の途中で関わった人々と幸福な関係を築いたことは、
彼らの記憶に残り、特に最後に出会った老人とは、
その人生に影響を及ぼしかねない出会いとなっています。
ならばクリスの旅は少なくとも無意味で孤独なものではありません。
もし後悔とすればクリスが両親と再会する幻を見るように、
鬱陶しかった両親の愛情を素っ気無く断ってきたことや、
交流を深めた人々ともう言葉を交わせなくなったことでしょう。
幸福はその価値にも気づきにくく、
またそれを分かち合える誰かが傍にいることにも気づきにくい。
クリスは不幸な人間でもありませんが、
満足感に満たされていたとも思えません。
それが身につまされることであり、
普通の人間が同様に感じるものだと思います。
「幸福が現実となるのは、それを誰かと分かち合ったときだ」
願わくば、その誰かと巡り合いたいものです。
寂寥たる黄昏感。
むーんな気持ちはおセンチ。
秋も深し寂しい気持ちの表現ばかりならべてみましたが、
そんな時は映画に行きましょうと思ったら、
これがなんだかまた一層胸を締め付けれた気がしました。
名優ショーン・ペンの監督作品「イン・トゥ・ザ・ワイルド」。
「幸福が現実となるのは、それを誰かと分かち合ったときだ」
<物語>
1990年の夏。アトランタの大学を卒業した成績優秀・前途洋洋の
22歳の青年、クリス・マッカンドレスは、ある日周囲に知られぬよう
車を廃棄し、貯金を慈善団体へ寄付してカードとお金を捨てて、
アラスカの荒野を目指す旅に出る。
旅の途中で出会う人々と家族や兄弟のような親交を深め、
恋の思いもぶつけられながらもただ一心に彼は荒野を目指す。
この映画は1992年にアラスカのスタンピート・トレイルの荒野で、
放置されたバスでクリストファー・マッカンドレスという青年の
遺体が発見された事実に基づき、彼の残した手記と、
旅の道程で彼が出会った人達に緻密な取材を試みて完成した
ジョン・クラカワーの著書「荒野へ」が原作です。
「幸福が現実となるのは、それを誰かと分かち合ったときだ」
彼が死の間際に書き残したとされる言葉ですが、
この言葉は強く胸をえぐり、また身につまされる思いです。
恵まれた環境で育ちながらそれを享受して行きようとはせず、
金銭を捨てて荒野で生活するためにそこを目指すクリス。
別名アレクザンダー・スーパートランプ。
一見、アウトサイダーな彼が瑞々しく輝いてみえるのは、
社会をいとも簡単に捨てた身軽さへの憧れと羨望ではありません。
彼から感じるのは強い冒険心、人間と社会への鋭い洞察、
揺るぎない信念、賢人のようでありながら子供のような純粋さです。
そこには社会や両親からの逃避ではなく、
自分の憧れのためには捨てるものを惜しまない潔さがあります。
私が憧れるとすればその捨てることの潔さです。
クリスを演じるはエミール・ハーシュ。
日本ではまだ馴染みの薄い名前ですが、
この夏、「スピードレーサー」で主演したと言えばピンと来るでしょう。
言われて気づきましたが、確かにディカプリオにちょっと似ています。
彼が強さと繊細さを併せ持つ複雑なクリスを全身全霊で演じます。
彼はその潔さで実の親子以上の擬似家族とも言えるヒッピー達と
即座に別れ、恋人になろうかという相手とも別れていきます。
無償の温もりを相手に与えて魅了しながら、
自身の目的を一心に見据えて後ろ髪引かれることもありません。
クリスは念願のアラスカの荒野に辿り着き、約3ヶ月の間、
死後発見されることとなる放置バスを基地として、
狩猟採集により食べ、大自然に抱かれ逞しく清清しく生きます。
生きることと目的と憧れが一体となった時の良い知れぬ幸福感。
そこに後悔や寂しさは感じられません。
では彼を襲ったある不幸により、死の淵に立たされたとき、
「幸福が現実となるのは、それを誰かと分かち合ったときだ」
と言葉が出るに至ったのは、唐突に孤独を感じたためでしょうか。
映画では明確にはされず、最後に彼の観た光景は、
雲間から射そうとする太陽の光であり、
そこには祝福さえも感じられます。
その言葉は到達点ではなくとも彼の見出した答えの一つでしょう。
しかし、例え後悔であったとしても、気づいたのが
幸福の意味ならばそこにはやはり祝福があるのかもしれません。
旅の途中で関わった人々と幸福な関係を築いたことは、
彼らの記憶に残り、特に最後に出会った老人とは、
その人生に影響を及ぼしかねない出会いとなっています。
ならばクリスの旅は少なくとも無意味で孤独なものではありません。
もし後悔とすればクリスが両親と再会する幻を見るように、
鬱陶しかった両親の愛情を素っ気無く断ってきたことや、
交流を深めた人々ともう言葉を交わせなくなったことでしょう。
幸福はその価値にも気づきにくく、
またそれを分かち合える誰かが傍にいることにも気づきにくい。
クリスは不幸な人間でもありませんが、
満足感に満たされていたとも思えません。
それが身につまされることであり、
普通の人間が同様に感じるものだと思います。
「幸福が現実となるのは、それを誰かと分かち合ったときだ」
願わくば、その誰かと巡り合いたいものです。
最近のコメント