しあわせまで2008年11月05日 23時15分46秒

藤竜也、中谷美紀主演の「しあわせのかおり」についてのこと。

<物語>
王さんが営む、街の小さな中華飯店「小上海飯店」は、
ほっとする味と王さんの人柄で地元の人々からの信頼が厚い。
ある日、店に訪れた貴子はデパートへの出店を要請するが、
王さんはあくまで店に訪れるお客さんを第一に考え断る。
貴子はその後、毎日店に通いメニューを次々に食べていく。
そんな時、王さんが脳梗塞で倒れ、医師の診断では、
もう店に立つことは無理だとされ、事実、鍋も持てなくなってしまう。
そこで貴子は会社を辞め、王さんの料理の業の継承を望むのだった。


始まったときの空気感が良い。
季節は冬、登場人物も厚着をしていますが、
冬の冷たい空気がこちらまで漂ってきます。
太陽の光が強調され、日が当たらないところの冷気も感じます。
そして、この低温の空気感漂う空間こそが、
王さんの料理の温もりを最大限に強調する効果をもたらします。

料理は基本的に温かいうちに頂き、口に入れて胃に落ちるときに、
体温の上昇のみならず、安堵感と幸福感を味わうことが楽しみです。
また、作った人の人柄とその場にいる人間が作り出す雰囲気が、
料理の味わいを大きく左右するものだと私は信じます。

もちろん、王さんの料理の腕、人柄はまさに街のあかり。
ちょっと頑固ではあるものの、実直さが伝わってきます。

貴子は娘が一人いる母子家庭ですが、実は過去の出来事で
精神が不安定になりやすく、お役所が見守っています。
この所員が貴子に心無い発言をする時の王さんの怒号が凄い。
藤竜也はこういう眠れる獅子が咆哮を挙げるような、
堅固な信念の上にがっしりと立つ親父さんを演じると実に上手い。
ちょっと中村嘉葎雄と似た声色があって混同することがありますが。

貴子を演じるは中谷美紀。この人の顔はちょっとクセが強いので、
時々強烈すぎる場合がありますが、こういう線の細い、
やや薄幸そうな役はまたよく似合います。


この話は、料理のお披露目の場などが登場するものの、
料理修業の話でも普通の庶民からスターになる話でもありません。
そのためか、初めにあんなに重たくて振れなかった中華鍋を、
終盤ではあっさり振っていて、腕がめきめき上達する過程は
案外あっさりとすっ飛ばされているように感じます。

それよりもこの映画は、中国から渡ってきて数十年、
妻と子を亡くしてひたすら料理に身を捧げてきた人間が、
人生の終わり近くにおいて、自分の生きた証の継承者に出会えたこと。
「大河の一滴」のようであり(それほど大袈裟ではありませんが)、
そのしあわせを描いていると思います。
それは後半で王さんが中国の故郷を訪ねることにも
表れていると思います。

しかし、この監督は「村の写真集」でも藤竜也を、
技を伝授する側へ起用していますが、
その際も今回も、最後には藤竜也の出番を用意し、
継承者に対して「まだまだ青いぞ。お前はまだ卵だ」と
言わんばかりなのがにくい。

あくまでそれが庶民レベルで慎ましく描いているのが、
ほっとあたたかくなる理由ではないでしょうか。
最後の山場の、王さんの恩人の子供の結婚の祝いの席で
料理を振舞う場でも、この恩人が名士であっても八千草薫が演じると、嫌味でもけばけばしくもなく、市民感覚と離れない品のよさが出ます。

鑑賞後には温かい料理を食べた後のような安堵感があります。
「王さんの料理は飽きがこない」と劇中で評するような、
飽きがこない、じんわりとささやかな幸せ、
それでいてその幸せにいたるまでは長い道があるのです。
Loading