白と黒の美の壷2007年09月13日 22時56分41秒

今回の旅行は伊勢に行ってまいります。
観光地とは言え趣あるところに行きたいと選びましたが、
浅見光彦みたいな出会いをしたいものです。
もちろん殺人事件などは無用ですが。

今夜の作品は意欲作
全編モノクロのフランスアニメーション「ルネッサンス」です。

<物語>
2054年、パリ。巨大医療企業体アヴァロン社の
女性研究員イローナが何者かに誘拐された。
社の最高経営責任者ダレンバックは地方検事のレバラスに
捜索を以来、最も実力のあるカラス刑事に白羽の矢が立つ。
イローナが最後に会っていた、姉のビスレーンと共に
事件を追うカラスはイローナの研究成果「不死」を巡る
攻防へと巻き込まれていく。

近未来サスペンスとして構成し、「不死」という人間の希望の業を
描き出しハードボイルドの雰囲気も匂わせながらも、
やはり「ルネッサンス」で目を惹くのはその映像です。

実際の俳優の動きを3Dデータ化するモーションキャプチャーは
これまでも採用されてきたものですが、
なんと言っても黒と白しかない、灰色さえも排除した映像が目を惹きます。
(実は1シーンだけ他のカラーが登場しますが。)

近年のアニメ映像は絵の描き方そのものが様々な方向を模索しています。
実写とアニメの融合性と言えば昔、実写映像にアニメのセルを重ねる、
本当にそのまんまくっつけたものもありましたし、
「マトリックス」のスピンオフである「アニマトリックス」の数編も
人体の持つ体温に近づこうとする映像があります。

あるいは「ファイナルファンタジー」が実写に極限に近づこうとする一方、
「アップルシード」がセルアニメの良さを残した3D映像を叩き出し、
ペーパーアニメと実写を融合した「立喰師列伝」も新しい表現を生みました。

そして「ルネッサンス」の映像表現はアート志向の高いものです。
それも近年のプロモーションビデオ制作やカメラマン畑出身監督が
好むような色と映像の氾濫のようなものとは完全に逆の
白黒ツートーンに絞り中間色もないモノクロ表現の追求です。

モノクロ映像は勿論当初はカラー映像化が困難だった時代に作られた、
なる他なかった映像ですが、早くにモノクロの美の壷に気づいていた
巨匠や鬼才の中にはカラーへの移行期にも頑なに
モノクロに拘った方々も少なくありませんでした。
以降、近年も予算が安いなどの事情はあるものの、
表現の手段としてモノクロ映像で作品を制作する
気鋭のクリエイター達はよく見かけます。

本作の黒の陰影の主張が強い映像はロシア映画のように
登場人物(特にカラス)達の印象を深めていきますし、
その一方でデジタルな近未来の鋭角的な空気も感じさせ、
例えばカーチェイスや銃撃の直線的な動きも違和感がなくなっています。

ボンド役に決定する前の仕事といいますが、
ダニエル・クレイブ演じるカラスの男の魅力が素晴らしい。
そういえば、「007/カジノロワイヤル」の
オープニングのペーパーアニメーションはなんとなく
このルネッサンスの雰囲気に近いのではないでしょうか。
何やら因縁めいためぐり合いを感じます。

是非観ておきたい一本です。
その際注文をつけるならば、出来るだけ部屋を暗くし、
白と黒以外は視界に入れないこと!

金門橋2007年09月18日 23時50分11秒

15日~18日の行程で伊勢行きです。
15日の夜行バスで仙台出発、16日7:30に名古屋着。
特急で伊勢入り、伊勢神宮外宮周辺を散策。伊勢市に一泊。
17日は伊勢神宮内宮周辺を散策し、
19時過ぎの特急で名古屋に戻り21:30の夜行バスで18日朝、仙台へ帰着。
こんな行程です。
と、これを書いている時点では18日ですので、もう帰った後ですが。
写真の整理が終わり次第、明日以降ルポを報告致します。
素晴らしいところでした、伊勢。また行きたいです。


さて、今夜の作品紹介は「ブリッジ」。
アメリカの観光地であり自殺の名所でもある、
ゴールデンゲートブリッジで撮影された、
自殺問題について問いかけるドキュメンタリーです。


<作品概要>
全長2790m、高さ230m、海面まで66m。
サンフランシスコの観光名所、ゴールデンゲートブリッジ。
日本で「金門橋」と呼ばれるこの橋は全米で有名な自殺の名所でもある。
2週間に1人、1973年の建設以来、1300人以上が自殺。
映画は6人の自殺者と1人の生還者、その家族のインタビューと
2004年から2005年の1年間の間、橋を見つめ続けた記録です。


橋の上を行く1人の人。
遠めに観れば気持ちよく風に当たっているように見えるその人は、
次の瞬間、欄干を乗り越えて海面に飛び込みます。
カメラはその姿を静かに追っていきます。

目撃者の「よくあることなの?」と言う問に
「しょっちゅうですよ」と事もなげに語った警官。
このようなシーンが静かに淡々と流れていきます。

家族や親友のインタビューを聞くと、
橋の上の何人かのうち1人に過ぎなかった自殺者が
多くのことを抱えていたことを知らされます。

この流れをもう一度考えると
橋の上を行く1人の人。
遠めに観れば気持ちよく風に当たっているように見えるその人、
そこまでは我々が街を行き交う人を見るときの普通の目です。
多くの場合、その人の暗部を想像することはありません。

その人が亡くなり警官が職務を遂行する淡々とした流れ、
それは我々が例えば自殺のニュースを聞く時の、
「やれやれ」と呟いたり片眉を動かす程度の鈍感な反応です。

しかし、そこから当事者の内面に踏み込むと、
一言で片付けられない悲しみと問題を考えざるを得ないようになります。
それは単に運や巡り合わせが悪いだけでもなく、
本人達の弱い心を原因と決められるものではありません。

作品は声高にメッセージを投げかけることもなく、
ドラマチカルに演出もせず、全編が穏やかで優しい音楽とともに流れます。
まるで昔から人の営みを見つめ続けていた海面のように。

先進国での自殺は現代社会が生んだ病とも言いますが、
繊細な人間が心を蝕まれていくのは遥か昔からのようです。
とするならば自殺問題に限っていえば
ストレスを回避する鈍感な人間が生き残ることにならないでしょうか。
鈍感は自殺からは逃れますが、他人の心には気づきにくくもなります。
今、生きている私たちはその意味を考え他人を理解できなければ、
自殺は増え続け、自分の心も渇いていくのではないでしょうか。

誰もが1人の生還者の青年のように「死にたくない」と心では思っています。
少なくとも、自殺の防止柵を作るだけでは
本当の解決にはならないはずです。
これはアメリカだけではなく日本でもどこでも共通の問です。

扉の開く方向2007年09月19日 23時06分23秒

さて今夜からは映画レポと旅行のレポを同時進行で参ります。
旅行は何回かに分けてお贈りします。
その前に今夜の作品紹介。


今夜はアニメーション作品「ジーニアス・パーティ」。
「鉄コン筋クリート」等を手がける「STUDIO4℃」が世界に放つ、
「カウボーイ・ビバップ」の渡辺信一郎や
「マクロス」シリーズの河森正治ら
7人の監督が「制約ゼロ」を合言葉にそれぞれに制作した
短編7本を集めたオムニバス作品。
さらに新たに7人の監督で構成されたパート2も鋭意製作中。


パンフレットでも書かれていることですが、
私もアニメーションの制作方針はアニメでしかできないような、
現実味を越えた世界に広がっていくことが望ましいと思います。

そういう意味では本作の話題の柳楽優弥&菊池凛子が声をあてる
「BABY BLUE」は雰囲気は悪くないものの、
実写で彼らにそのまま演じさせても良かった気もしますし、

あるいは「LIMIT CYCLE」のような専門用語とモノローグの氾濫で、
ちょっと頭のよくなった気になる「ベターマン」タイプの作品は
正直なところ食傷気味でもあります。

そんな私の嗜好の視点で観れば一番好きなのは
ベテラン河森正治氏が手がけた「上海大龍」であります。

簡単な物語の筋は、中国の旧市街の洟垂れ小僧が、
ひょんなことから未来から送り込まれた
「自分の願ったものを絵に描くと物質化できる」装置を手にする。
それは選ばれた人間しか扱えないものであり、
装置を追って未来人達がやってきて戦争になる、というもの。

まず、装置の持つ力を説明するための冒頭のシーンは感心させられます。
言葉はなくただ映像で流れるのみで必要な情報はほぼ得られます。
正確には中国語の音声は入るものの字幕は無しです。
これは映像のもつ力をフルに使ったからこそなせること。

かつてフランスの巨匠・ゴダールが
「なぜ皆字幕をつけるんだ。字幕を付けたらそれを読むあまりに、
観客は映像に集中しなくなるではないか」と言ったとき、
巨匠ともなれば無茶なことを言うものだと思った次第ですが、
言わんとするところが少し分かった気がします。

未来人は簡単に良い人・悪い人がいて、
良い側は小僧を守り戦う中、小僧はTVヒーローに変身し悪い敵と戦う。
しかし、彼の知る最強の必殺技をもってしても敵を倒すことはできない。
そこで未来人が「貸せ!」と装置をひったくり、
ミサイルを出して敵を全滅させます。
しかし、そこで響き渡る洟垂れ小僧のつんざく様な泣き声。
そこで未来人は我に変える、こうした行為が子供の夢を奪い、
争いを生んでいった過ちの根源であったのだと・・・。

戦い終わり、洟垂れ小僧達は世界を夢を振りまく旅へと出発します。
それはメデタシメデタシと終わる大団円に見えますが、
昨今の中国の急成長する経済発展が生み出す、
先が読めない危機を孕んだ未来に対するアンチテーゼかもしれません。

というようにメッセージ性を見出せば幾らでも、
というのが他の7編を含めた特徴ですが、
「上海大龍」はジャッキー映画のような主題歌が挿入されるなど、
娯楽と笑いとして突き出た部分が多いため気持ちが良いです。


新進気鋭のクリエイターは心理描写を高める一方で、
内面に向いすぎる傾向があるため閉塞的になり
外に開かれたスッキリ感を出せないこともあります。
イマジネーションを全開にするならば、
開いた感覚は外側へと向ってはいかがでしょうか。
正月公開という第2弾にはそれを期待しております。
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