地上の星2007年08月05日 22時07分51秒

夏バテでした!

以上、報告終わり(笑)。
いやいやここ連日の暑さで本当に参りました。
なにしろ私の部屋にクーラーが無いものですから。
なんとか持ち直しましたので気持ち新たに行きましょう。

「憑神」を滑り込みで観てまいりました。
原作は浅田次郎の同名小説、監督は降旗康男。
とくれば高倉健さんの「鉄道員」のコンビであります。
雪深い山郷の話から今回は初夏公開の幕末時代劇へ。

倒幕の声に揺れる幕末に徳川慶喜の影武者を務める家柄の
別所家次男坊・別所彦四郎が主人公。
この男、人が良く文武に優れるが平和な世に影武者の必要性は薄く、
お役を努める兄は時世を読んだかどうか幕府は長くないと放蕩を決め込む。
おかげで出世からは遠ざかる一方だったがある時、
出世のご利益がある稲荷の話を聞く。
ひょんなことから稲荷に手を合わせた彦四朗だったが、
「三国」稲荷と「三巡」稲荷を勘違いし、
貧乏神・疫病神・死神に取り憑かれることになるのだった・・・。


彦四郎を演じるは妻夫木聡。
近作「どろろ」ではミステリアスかつ勇ましい役を演じた彼ですが、
ベースとなる持って生まれた魅力というべきは、
ややナヨナヨして母性本能くすぐり背中を押したくなるタイプか。
何しろ一つしか違わないものの「ジョゼと虎と魚たち」で共演した
池脇千鶴に「弟ができたみたい」などと言われたそうなのだから。
池脇千鶴のキャラクターを考えれば相当なものであります。

そんな母性本能を貧乏神や疫病神もくすぐったのか、
彦四郎ほっとけないとのことで、取憑き先を変えて他人を不幸にする
「宿替え」なる秘術を用いて彦四郎から去っていきます。
このあたりはポンポン進むのでやや都合がいい気がします。
本題は死神パートに入ってから。

死神もやはり彦四郎の魅力に動かされ宿替えがやはり登場しますが、
彦四郎はこれを拒みます。死神の宿替え=他人の死なわけで、
しかも相手は主君徳川慶喜だと言うのですから。
いや、主君でなかったにしろこの男は拒んだでしょう。
他自分が助かる代わりに他人を殺すことになるのですから。

世が世なら戦で殺しあう武士が何を今更と思いますが、
そこが彦四郎の人間的魅力であり人間としてのあり方です。
その前の宿替えでも自分を冷遇した妻の家が貧乏神により断絶し、
放蕩を繰り返す兄を疫病神が病に追い込み、
それを受けて自分がお役に出世したことに心を痛めぬはずがありません。

そんなことを繰返した先、自分の生き様死に様を
逃げた慶喜に代わり倒幕の戦いに立ち向うことに見つける彦四郎。
武士道とは死ぬことと見つけたり、かもしれませんが不器用な男です。
この結果、慶喜は自分の保身を大事にする卑怯者ということになります。

時代が移り行く中で正直で誠実な不器用者は、
いかにそこで命を散らせて輝こうとも
やはり生きていればもっと功績を残したようにも思います。
我々の歴史は勝者ではなく彦四郎のような無数の不器用な
愛すべき人々の屍の上に積み重なっているのではないでしょうか。
最後に登場する現在の古ぼけた稲荷を観ればそう思います。

ところでエンドクレジットに登場するスタッフの似顔絵はかなり似すぎ。
木村大作カメラマンのそれは噴出してしまいますが、
それが分かる人はなかなかおりますまい。

長いお休み2007年08月19日 22時43分38秒

夏バテから立ち直ったと思いきやそれはジャブで
カウンターパンチはその後にやってきました。
何を隠そう我が部屋にクーラーがなく西日を受ける環境では
更新作業の気力も蒸発する毎日。
いや、正直無事に職場を行き帰りするだけで一仕事でした。

そんなわけで気を取り直して行きたいと思います。
かなり遅くなりましたが「傷だらけの男たち」です。

<物語>
恋人が自殺した悲しみから刑事を辞職し
酒びたりの私立探偵になったポン(金城武)。
一方、ポンの元上司の刑事で今は富豪の娘スーザンと
幸せな結婚生活をスタートしたヘイ(トニー・レオン)。
しかし、スーザンの父・チャウが何者かに殺される。
ヘイ達警察は強盗殺人として結論付けるが、
不審を感じたスーザンはポンに調査を依頼する。
そしてポンが調べを進めるうち、1978年にマカオで起きた
ある殺人事件が浮かび上がりヘイの過去が明らかになる。


金城武という俳優は出演作によって賛否両論分かれる人ですが、
今回の金城は良いと思います。
恋人を失い、事件を追ううちに行き着いた犯人が
親友であるという正に傷だらけの男の切なさが溢れています。
「インファナル~」のアンディ・ラウと異なり、
ナイフのようなシャープさは無いにしても、
トニー・レオンより繊細で雪のように崩れそうな、
二人の中間点のような魅力があります。

トニーは今回は悪役でありますが、
幼き日に誓った復讐に燃える悲劇の主人公でもあります。
復讐のために警官となり神も仏も信じない、
仏頭で殴り殺すシーンにはその闇の深さが感じられます。

このトニーを見ているうち、「人間の証明」の棟居刑事を連想しました。
幼き日に米兵に父を殺され、父を捨てた母を憎み世間を憎み、
そして正義の名の元に堂々と社会に復讐できる警察を選んだという刑事。
人間を信じられない刑事が真犯人に人間性を訴えるという皮肉な結末。
本作のトニーもまた、復讐の完遂まであと一歩というところで、
偽りの妻と無二の親友との絆が深まっていたことに気づきます。

秀作「インファナル・アフェア」の監督初めスタッフで構成し、
トニー・レオンを再度迎えて「インファナル・アフェア」
のような作品を作ろうとしたとのことで比較してしまいますが、
それは似て非なるものなのです。

「インファナル・アフェア」三部作は「ゴッドファーザー」を
頭に描いて作ったということですが、
「ゴッドファーザー」を追って越えられるでしょうか?無理です。
結果、全く異なる「インファナル・アフェア」三部作は
「インファナル・アフェア」として伝説を造りました。

そもそも「インファナル・アフェア」は俳優の成熟度や脚本・映像
音楽その他時代などもろもろが絶妙なバランスで成り立ち、
かつそれ以前にとにかく素晴らしさを語り継ぎたくなるような、
奥底が突き動かされる感覚がある作品でした。
それは計算で完成するものではなく、ある種の神が降りたようなものです。

だから「インファナル・アフェア」には成らぬものの
「傷だらけの男たち」は「傷だらけの男たち」として
魅力あるものだと思います。

ある評論家が「アンドリュー・ラウ監督はインファナル・アフェアの
成功に縛られている」と辛い評を述べていましたが、
縛られているのは我々観客も同じではないでしょうか。
一度秀作に出会うとその味を思い出し美化し、
同じようなものを観るとついつい関係ないのに比較してしまう。

先のリメイク作「ディパーデッド」にしろ、
我々が「インファナル・アフェア」の酔いから醒めない限り、
本作の正当な評価もまだできないのではないでしょうか。

孤独への慣れ2007年08月20日 22時58分10秒

映画は観るけれどもTVはほとんど観なくなったこの頃ですが、
NHKの終戦企画、東京裁判についてのA級戦犯と
パール判事について語った番組はなかなか興味深いものでした。
その先日に小林正樹監督のドキュメンタリー映画「東京裁判」を
観たこともありかなり考えされられる、認識を改められる点もありました。
今後も追って行きたい題材です。

さて今夜は
フィンランドの名匠アキ・カリウスマキ監督作品
「街のあかり」です。
同監督作品の「浮雲」「過去のない男」に続く
敗者三部作と称された本作は孤独がテーマとのことです。
耳慣れたカリウスマキ好みの哀愁のメロディが心地よいです。

<物語>
フィンランドのヘルシンキで警備会社に勤める男。
友人も家族も恋人もいなかったが自分で会社を興す夢があった。
しかし彼は海辺でソーセージ屋を営む女の愛情には気づかなかった。
ある日、彼の前に一人の女が現れ、彼は恋をする。
だが彼女は警備会社のセキュリティ情報を盗む強盗の放った一味であり、彼は利用されて罪を着せられてしまうのだった。

孤独な状況とは
その人は悪く無いのに世の中で生きるには不器用だったり
ハンディがあったりして周りから距離を置かれる場合、
あるいはその人自身が周囲を得てして低く見ていたり
自分から距離を置くコミュニケーション不全の場合、
と大体二者があるように思えます。

「街のあかり」の主人公は正に後者であり、
職場の仲間を「あんな奴ら、いつか俺の会社でこきつかってやる」
「こんなところで終わる俺じゃない」などど、
根拠の無い自信で自分から回りを遠ざけており、
その結果周りからも疎まれている悪循環にあります。

しかし自分の会社を興したい恋をしたいの渇望はある、
人間関係無しでは成り立たないのに人間を見極められない男は
悪い女にころりと騙され、あまつさえ彼女をかばって刑務所行きです。
それで振り向いてくれるわけでもないというのに。

出所後ささやかな抵抗を試みた男はボコボコにされますが、
ソーセージ屋の女主人が手を差し伸べます。
実際の世は自身が心を開いていかなければ
皆にほっとかれて通り過ぎられてしまうのですが、、
幸いなことに相手の方から彼を探し出してくれました。
監督が語る「この男にとって幸運だったのは、監督が優しかったことだ」
という言葉にはそういう意味があるのだと思います。

孤独になる、ではなく孤独を作っている男が人間関係を取り戻すこと。
とにかく境界線に囲まれて生きる現代に普遍の願いではないでしょうか。
Loading