深淵よりの声2007年09月11日 23時00分58秒

何やら職場の周囲が騒がしくなりプライベート時間が不足する毎日。
そんな中、三連休は伊勢に旅行して参ります。
その前に溜ったネタを消化。

今夜は「インファナルアフェア」三部作の監督アンドリュー・ラウが
ハリウッド進出作品、リチャード・ギア主演「消えた天使」。

<物語>
長年に亘り性犯罪者の再犯抑止のため監察官として務めたバベッジ。
しかし、行き過ぎた捜査を行う傾向が強いため
職場の仲間達は手を焼き、退職迫る最後の仕事として
後任の若き女性監察官アリソンの指導を任せられる。
そのとき、10代の少女失踪事件が起こり、
バベッジは監察対象の前科者の中に誘拐犯がいると睨む。

物語の肝はバベッジが「性犯罪者は更正しない」という性悪説の下、
殴る蹴るの狂気の世界に入り込んでいく様を、
アリソンの新任のフラットな視点と女性の視点から
不安気に追っていくというものであります。

この手の筋の場合、少し前に流行ったのは主人公=犯人というタネ。
しかし本作は「深淵を覗く時、深淵もまた覗き返している」という、
犯罪者を見る側の心のうちに潜む同質性を問うものです。

法においては力の行使は職務上正当な理由があれば
罪に問われることはありません。
犯罪者の暴力と監察官あるいは刑事のいわば正義の鉄鎚。
それは法律上で区別されまた行使の理由によっても分けられます。
しかし、人間の内面の奥底に迫った時はどうなのか?

映画は一応バベッジの行為と判断が正しかったことで結末を迎え、
彼が狂気の犯罪者と違うと、二者を決別させます。
このシーンは「セブン」でブラット・ピッドとケビン・スペイシーが
対立したシーンを思い起こさせ、あれを闇と言うならば
本作は光の側を若干向いた気がします。

しかし、すっきりしないものを残すのはやはり、
バベッジの活躍に快感を感じた不快感によるものだと思います。
東洋人の専売特許ではないと信じていますが、
やはりアジアの監督ならではの手腕ではないかと思いたいです。
正直なところ「傷だらけの男達」よりも面白く、
「インファナルアフェア」でも描く二対の人間の対比の
一つの亜種ではないでしょうか。

リチャード・ギアはこのタイプの作品は「プロフェシー」ぐらいですが、
思ったより悪くはありません。

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