必然的なまわり道2009年02月19日 23時55分11秒

昨年の第80回米アカデミー賞の脚本賞にノミネートされていた
「ラースと、その彼女」(脚・ナンシー・オリバー)についてのこと。

なお、第80回米アカデミー賞の脚本賞受賞作品は
「JUNO/ジュノ」(脚・ディアブロ・コーディ)です。


<物語>
アメリカのどこかの雪降る田舎町。
ラースは26歳の心優しき青年で、
ガスとカリンの兄夫婦の家のガレージに住んでいる。
誰にでも好かれていたが、シャイで一人でいるのが好き。
カリンは彼を気遣い、食事に誘うが来たためしがない。
当然ながら彼女もできないでいた。
ある時、ガスとカリンの家をラースが訪ね、
「インターネットで知り合った女の子が来ている」と告げる。
その女の子とは、等身大リアル・ドールだった・・・・。


人形である彼女はビアンカという名前を付けられ、
元宣教師でベジタリアンで看護士の資格を持っている、
とラースは嬉しそうに語り、喋らぬビアンカに対しては
彼女の声が聞こえているように振舞います。
ガスとカリンは気がふれたと思い精神科医に相談に行くと、
「何か意味があるのだから彼女を人間として扱いなさい」
とラースの治療の間のアドバイスを受けます。

最初は躊躇していた兄夫婦もビアンカの着替えをさせ、
歩けないので車椅子に乗せ、風呂にも入れます。
街の人々皆に協力してもらい、教会に連れて行き、
パーティでは車椅子のまま踊らせる。
ラースを笑う人もいますがほとんどの人は好意的。
雪深い街での温もりを求める装いと相まって、
街の人々の優しさが集まりファンタジックな雰囲気に。


当初はラースも、会社の同僚がリアルドールを
ネットで閲覧しているのをくだらないと言っており、
そのラースが何故にかような行動に出たのか、
結論ははっきりと出ないものの、いくつか、
例えば、ラースもカリンを好きだったのでは、
という雰囲気がなんとなく感じられます。

照れ屋で奥手であるため気恥ずかしく思い
仕事場の新人の、悪い子ではないむしろ良い子の
マーゴから好意を持たれても、どうすればいいか分からずに、
はぐらかしてそそくさと逃げ帰ってしまう。
人に分ける優しさは持っているのに扱いが分からない。


しかし、ラースはビアンカに対して徐々に
独占欲を発揮し束縛を強いるようになり、
自分の手の届かない周囲に溶け込んでいく彼女に
嫉妬のような感情を抱くようになります。

プラスの感情は無償で相手に向け続けられるものの、
マイナスの感情は相手からの反応を必要とします。
ここから、ラースの中でビアンカから
解き放たれる時であることが見えてきます。

二人の関係はビアンカが「病気にかかる」という状況で
ビアンカの死をもって終止符を打たれることになります。
取り方は色々ですが、遠回りをしながら成長する人間を
悲観的ではなく好意・肯定的に捉え、
不器用者を優しく見守り続ける物語のように思えます。
ビアンカを埋葬するラースの隣にはマーゴがいる。
きっと二人は上手くやっていける。
そんな慎ましい希望が心を温かくさせます。
むしろ、ビアンカの存在が無ければ、
二人が寄り添うことはなかったのかもしれない。


ラース役のライアン・ゴズリングの可愛いちょび髭と
幸せを体現した表情とほのぼのとした雰囲気がなんとも良い。
ライアン・ゴズリングは「ステイ」のミステリアスな青年で
記憶にありますが、「タイタンズを忘れない」にも出ていたらしい。

もしこれがジャック・ブラックやジム・キャリーのような
アクの強すぎるコメディアンだったり、
ハビエル・バルデムのような変態を演じたら天下一品のような
俳優が演じていたら大変なことになっていて
とても優しい気持ちで見守ることなどできない。
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