東京タワー ― 2007年06月05日 21時18分02秒

やっとこさ「東京タワー オカンとボクと、時々オトン」を鑑賞。
原作はリリー・フランキーの自伝的小説。
幼い頃に職業もよく分からないオトンをおいて家を出て、
オカンの郷の炭鉱町で育てられたボクは、
デザイン学校入学と共に東京へ出る。
勉強せずに放蕩三昧の生活を送り借金塗れになったところで、
ようやくデザイナーやライターの仕事で生計を立てて行く。
やがて自分を支えてくれたオカンを東京へ呼ぶのだが、
オカンは喉頭がんを患い徐々にがんが進行するのだった。
映画に先行してTVで2時間ドラマ、連続ドラマが放送されたり
原作自体ベストセラーなので話の内容と結末は周知の通り。
あとはどう脚色し再構成しているかの違いです。
2時間ドラマは感情の揺さぶりが凄かったですし大泉洋が演じたボクも
都会に染まりきれない田舎者という感じで良かったです。
連続ドラマはほとんど観ませんでしたが、
速水もこみちでは人は良いものの少々イケメン過ぎてイメージが遠いです。
さて映画はボク・オダギリジョーとオカン・樹木希林。
ついでにオトンが小林薫。キャストは安心。
ところが脚本は松尾スズキと聞いて疑問を感じました。
直近の作品が「ユメ十夜」で漱石をこれでもかと換骨奪胎し、
アキバ用語とダンスで再構成するという離れ業でしたもので。
しかし少年時代と現在が交互に構成する以外は
見た目は普通なのでひと安心。
オカンに親孝行をする良い親子関係の話ではありません。
むしろボクの人生のほとんどはオカンに迷惑をかけっ放しです。
やっと東京に呼んだ頃には、いや呼ぶ前からガンは発病し、
軌道に乗り始めた頃にはガンとの闘病が始まります。
これは親孝行できない後悔とひどい男をじっと育てたことへの感謝の話。
劇中で「オカンは頑張ったよ」と何度か印象的に登場する台詞に
感謝の念も込めていますが、オカンは頑張ったのもう一つ先だと思います。
確かに今のオカン達は「頑張って」子供と家族を支えているでしょう。
しかし、頑張るとは目標を設定して努力したり、
自分のやりたいことを脇に置いて我慢したりを続けることです。
ですがこのオカンは、ボクを応援することが生き方そのものだと思います。
逆にボクを支えないオカンの人生はありえないのではないでしょうか。
それは頑張る頑張らない以前の、オカンがオカンたるゆえんです。
あれだけボクのために働いたのに
「東京に行ってもええんかねえ?」と遠慮がちなオカン。
無償の愛を受けているが故に本当に感謝しなくてはならないと思うのです。
自分のオカンはそんなに立派じゃないと早まるなかれ。
かつて家が食事があり自立しても戻る場所があれば有難うと思います。
これを観た男達は皆、感謝の前に自分を情けなく思うべし。
原作はリリー・フランキーの自伝的小説。
幼い頃に職業もよく分からないオトンをおいて家を出て、
オカンの郷の炭鉱町で育てられたボクは、
デザイン学校入学と共に東京へ出る。
勉強せずに放蕩三昧の生活を送り借金塗れになったところで、
ようやくデザイナーやライターの仕事で生計を立てて行く。
やがて自分を支えてくれたオカンを東京へ呼ぶのだが、
オカンは喉頭がんを患い徐々にがんが進行するのだった。
映画に先行してTVで2時間ドラマ、連続ドラマが放送されたり
原作自体ベストセラーなので話の内容と結末は周知の通り。
あとはどう脚色し再構成しているかの違いです。
2時間ドラマは感情の揺さぶりが凄かったですし大泉洋が演じたボクも
都会に染まりきれない田舎者という感じで良かったです。
連続ドラマはほとんど観ませんでしたが、
速水もこみちでは人は良いものの少々イケメン過ぎてイメージが遠いです。
さて映画はボク・オダギリジョーとオカン・樹木希林。
ついでにオトンが小林薫。キャストは安心。
ところが脚本は松尾スズキと聞いて疑問を感じました。
直近の作品が「ユメ十夜」で漱石をこれでもかと換骨奪胎し、
アキバ用語とダンスで再構成するという離れ業でしたもので。
しかし少年時代と現在が交互に構成する以外は
見た目は普通なのでひと安心。
オカンに親孝行をする良い親子関係の話ではありません。
むしろボクの人生のほとんどはオカンに迷惑をかけっ放しです。
やっと東京に呼んだ頃には、いや呼ぶ前からガンは発病し、
軌道に乗り始めた頃にはガンとの闘病が始まります。
これは親孝行できない後悔とひどい男をじっと育てたことへの感謝の話。
劇中で「オカンは頑張ったよ」と何度か印象的に登場する台詞に
感謝の念も込めていますが、オカンは頑張ったのもう一つ先だと思います。
確かに今のオカン達は「頑張って」子供と家族を支えているでしょう。
しかし、頑張るとは目標を設定して努力したり、
自分のやりたいことを脇に置いて我慢したりを続けることです。
ですがこのオカンは、ボクを応援することが生き方そのものだと思います。
逆にボクを支えないオカンの人生はありえないのではないでしょうか。
それは頑張る頑張らない以前の、オカンがオカンたるゆえんです。
あれだけボクのために働いたのに
「東京に行ってもええんかねえ?」と遠慮がちなオカン。
無償の愛を受けているが故に本当に感謝しなくてはならないと思うのです。
自分のオカンはそんなに立派じゃないと早まるなかれ。
かつて家が食事があり自立しても戻る場所があれば有難うと思います。
これを観た男達は皆、感謝の前に自分を情けなく思うべし。
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