光と影2007年06月02日 23時34分40秒

社会派ドラマ「オール・ザ・キングスメン」を鑑賞です。
原作はピュリツァー賞受賞の小説「すべて王の臣」。

<物語>
アメリカ・ルイジアナ州。実直な下級役人ウィリーは
腐敗政治に憤りを感じ貧民のために社会を変革したいと願っていた。
ある時、彼の糾弾した不正の元であった小学校の
欠陥工事が元で子供達が事故に遭う。
新聞記者のジャックが一連の流れを記事にすると、
ウィリーは一気に人気者になり州知事候補へと薦められる。
当初はそれも本命を勝たせるための票割り作戦だったのだが、
人気は留まるところを知らず遂には本当に州知事に就任する。
貧民出身の彼は富裕層との癒着と不正の決別を示した。
5年の月日が流れ、ウィリーは未だ情熱に燃えていた。
だが、以前と違うのは手段を選ばずスキャンダルに塗れていたことだった。


ウィリーにはモデルがいて、フランクリン・ルーズベルト時代に
ルイジアナ州知事であったヒューイ・P・ロングという人物です。
そのあたりは細かい話になるのでよいとして、
「善は悪からも生まれる」というキャッチも示すように
本作は理想に燃えた政治家がいかに腐敗していくか、
あるいは善いことを実現するために悪が介在するジレンマを描くものです。

政治家は話が上手いこともあってか一人の話をじっくり聞くと
国のこと人民のことを考え、熱い理想と闘志に燃えていると感じます。
しかし、それが多数の議員、多数の資金の流れに交わると
妥協、譲歩、ときには決裂、プラスマイナスの差額を考えたり
あるいは義理や人情によってルールからずれたりしていきます。

厳しい面が敵を作り、善が偽善と言われるようにもなります。
日本でも全ての人から諸手を挙げて歓迎された政治家はいないでしょう。
方向性が統一されぬ自由な社会は全ての声を叶えることはできず、
多数決では少数が切り捨てられ、
多くを救済しようとすると徐々に一貫性が無くなっていく。
政治家はそれを何とかバランスをとって全ての底を挙げていくものです。

ウィリーは民のためと思うことに手段を選ぶことを止めました。
やがて純粋な青年アダムと信念を異にしたことで彼の銃弾に倒れます。
アダムもまたボディガードに撃たれ、ウィリーとアダムの
床に流れた血が一つに融け合う最期は、
その理想と善意の起源は同じであることを象徴します。

我々は政治を糾弾する際に「何故そうなったか?」を考え、
ルール以外に非常に人間臭い視点からも検証する必要がないでしょうか。
それが戒めとするか同情するか、それもまた問です。

この一連のドラマは新聞記者ジャックの視点から見つめられます。
彼の立ち位置は近作の「ラストキング・オブ・スコットランド」の
アミン直属の青年医師に似ていると思いますが、
あの青年がアミンの本性に恐れ戦き主人を狂気の悪と見做したのに対し、
ジャックはウィリーが善人か悪人なのか分からないと言った風です。
ウィリーの葬儀で虚空を見つめ回想するジャックの目からは
「どこから道を間違えていったのだろう?」という問が感じられます。

ウィリー役のショーン・ペンの芸立者ぶりは今更言うこともありません。
今回注目はジャックを演じるジュード・ロウではないかと。
ジュード・ロウは出演も話題作が多く、悪くは無い役者ですが
どうも役柄の印象も薄く、演技力を感じることは少ない感触でした。
「アビエイター」「コールドマウンテン」「ロード・トゥ・パーティション」
これらでジュード・ロウの話にはあまりなりません。
「AI」のアンドロイドや「スターリングラード」のスナイパーは
印象的、というより他にスターがあまりいない。
「スカイキャプテン」は共演女優二人の個性に負けます。

そんなジュード・ロウの微妙なラインを逆手に取って持ち味にしたのか、
ウィリーの変貌や父親代わりの判事の死に心情が揺れても
感情の変化をあまり表に出さない静かな語り手を演じます。
前述のウィリーの葬儀での表情は彼の技が出た場面だと思います。

ケイト・ウィンスレットやアンソニー・ホプキンスら実力派も揃い
ずしりと重みのあるドラマが展開する、面白い作品なのに
仙台ではわずか一週間の上映であります。
他の公開作とのタイミングが悪いとは言え、憤っている次第です。
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