黒い恐ろしいもの ― 2008年09月12日 23時28分00秒

この半年ばかりのブログを見直してみて、
改めて更新頻度が酷すぎると思った次第。
9月はこれから毎日つけることにします。
さて、先日「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」を
DVDで改めて鑑賞致しました。
やはり何度観ても別格であり私の中では
アカデミー作品賞受賞でもいいと思います。
今回の第80回米アカデミー賞での
受賞は主演男優賞/ダニエル・デイ・ルイス、
撮影賞の2部門受賞でありました。
<物語>
1900年代初めのカリフォルニアの砂漠地帯。
来る日も来る日も男達が無言で穴を掘り続けている。
やがて彼らは、いや彼は燃える黒い液体-石油を掘り当てる。
彼-ダニエル・プレインビューは言葉巧みに住民から土地を買い、
石油を採掘することを生業とし有力者の地位も築いていく。
ある日、サンデー牧場周辺に石油が埋蔵されているとの情報を得、
彼は付近一帯の土地を買い占めていく。
巨大なパイプライン建造構想を練り、富と権力を握る彼の前に、
サンデー牧場の息子で神父のイーライが立ち塞がり、
彼の中の怪物が目覚めていくのである。
まず、冒頭の石油を掘り当てるまでの、一切のセリフを廃した
映像と音楽のみのシーンのなんと重く邪悪が渦巻いていることよ。
この10数分のシーンで全体のカラーは決定付けられるどころか、
物語が進行するごとにその邪悪な念が、
まさに滾々と湧き出る石油のどす黒さのように画を支配します。
何しろ、ダニエルという男、極度の人間嫌いで人を信用することはなく、
自分の幼い息子をいつも寄り添わせているのは
相手の態度を軟化させるための交渉道具としてのこと。
それでも最初はいびつながらも愛情を注いでいたものの、
息子が事故により難聴になり情緒不安定になり、
ついに家に火をつけるに至ると、1人列車に乗せ遠くへ捨て、
後に成人して共同事業を申し出ると親子関係を絶ってしまいます。
(余談ですが、この無言・無表情の屈折した息子H.W.を観ていると、
「オーメン」の悪魔の子ダミアンを連想してしまいます)
そして彼に対抗する、神父イーライもまた狂気の泉と化す怪物です。
一見彼は信仰を重んじ、ダニエルの事業に理解を示し、
教会への援助と求め、石油事業への洗礼を行います。
しかし、それはあくまでダニエルをも自分の支配下に置くための
教会の権力と自己に陶酔し歪んだ狂信者の利己的な行いです。
それはヒステリックにダニエルに懺悔を求める時に爆発します。
リリー・フランキーが「ブラックレイン」の松田優作を指して
「純度の高い悪は美しい」と評したことがありますが、
(リリーの松田優作へのやや盲信的な崇拝がありますが)
このダニエル・デイ・ルイス演じるプレインビューは、
邪悪の純度は高いものの、決して美しいものではありません。
ドン・コルレオーネのような強権の中の親父の情愛など微塵もない。
本作と賞を争った「ノーカントリー」のハビエル・バルデム演じる
殺人鬼もまた純度の高い悪でしたが、
一切の感情を廃して無表情に黙々と相手を殺し続ける様は、
殺人という行為を行うのみのマシーンであり、
これも美しいとは言いがたいものです。
そのルックスを差し引いても。
プレインビューは美学やハードボイルドに徹することもなく、
相手が権力者であろうと肉親であろうと、
感情や欲望をストレートに発露していきます。
しかし、野卑でありながら矮小さを感じさせないのは、
女の介入がゼロに近いほど排除されているからでしょうか。
普通、これほどの権力を身につけたら愛人などゴロゴロ登場しそう。
そして物語後半で大邸宅に暮らしているものの、
(本物の石油王、故エドワード・ドニヒーのグレイストーン邸を使用)
金銀宝石で飾り立てるような成金趣味の下品さは無い。
この2点はプレインビューと本作の
格調を高めることに貢献しているのではないでしょうか。
強大な怪物がイーライを呑み込むラストの10数分は屈指のシーン。
暴走した狂気がぶつかりあい、相手を無慈悲に叩き潰す。
「終わった・・・!」と呟き、不協和音が主旋律となり
登場人物の歪みを強調していくことが中心だった本作の音楽に、
初めて高らかに祝福を謳うエンディングテーマが流れます。
その祝福は誰に向けられたものか、
あるいは逆説的な憐れみの歌なのか。
いずれにしてもその明るいテーマによって解放されることはなく、
遠い昔に深層心理に刻み込まれた畏怖のように、
映画は私の心に深淵の暗闇を残していくのです。
改めて更新頻度が酷すぎると思った次第。
9月はこれから毎日つけることにします。
さて、先日「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」を
DVDで改めて鑑賞致しました。
やはり何度観ても別格であり私の中では
アカデミー作品賞受賞でもいいと思います。
今回の第80回米アカデミー賞での
受賞は主演男優賞/ダニエル・デイ・ルイス、
撮影賞の2部門受賞でありました。
<物語>
1900年代初めのカリフォルニアの砂漠地帯。
来る日も来る日も男達が無言で穴を掘り続けている。
やがて彼らは、いや彼は燃える黒い液体-石油を掘り当てる。
彼-ダニエル・プレインビューは言葉巧みに住民から土地を買い、
石油を採掘することを生業とし有力者の地位も築いていく。
ある日、サンデー牧場周辺に石油が埋蔵されているとの情報を得、
彼は付近一帯の土地を買い占めていく。
巨大なパイプライン建造構想を練り、富と権力を握る彼の前に、
サンデー牧場の息子で神父のイーライが立ち塞がり、
彼の中の怪物が目覚めていくのである。
まず、冒頭の石油を掘り当てるまでの、一切のセリフを廃した
映像と音楽のみのシーンのなんと重く邪悪が渦巻いていることよ。
この10数分のシーンで全体のカラーは決定付けられるどころか、
物語が進行するごとにその邪悪な念が、
まさに滾々と湧き出る石油のどす黒さのように画を支配します。
何しろ、ダニエルという男、極度の人間嫌いで人を信用することはなく、
自分の幼い息子をいつも寄り添わせているのは
相手の態度を軟化させるための交渉道具としてのこと。
それでも最初はいびつながらも愛情を注いでいたものの、
息子が事故により難聴になり情緒不安定になり、
ついに家に火をつけるに至ると、1人列車に乗せ遠くへ捨て、
後に成人して共同事業を申し出ると親子関係を絶ってしまいます。
(余談ですが、この無言・無表情の屈折した息子H.W.を観ていると、
「オーメン」の悪魔の子ダミアンを連想してしまいます)
そして彼に対抗する、神父イーライもまた狂気の泉と化す怪物です。
一見彼は信仰を重んじ、ダニエルの事業に理解を示し、
教会への援助と求め、石油事業への洗礼を行います。
しかし、それはあくまでダニエルをも自分の支配下に置くための
教会の権力と自己に陶酔し歪んだ狂信者の利己的な行いです。
それはヒステリックにダニエルに懺悔を求める時に爆発します。
リリー・フランキーが「ブラックレイン」の松田優作を指して
「純度の高い悪は美しい」と評したことがありますが、
(リリーの松田優作へのやや盲信的な崇拝がありますが)
このダニエル・デイ・ルイス演じるプレインビューは、
邪悪の純度は高いものの、決して美しいものではありません。
ドン・コルレオーネのような強権の中の親父の情愛など微塵もない。
本作と賞を争った「ノーカントリー」のハビエル・バルデム演じる
殺人鬼もまた純度の高い悪でしたが、
一切の感情を廃して無表情に黙々と相手を殺し続ける様は、
殺人という行為を行うのみのマシーンであり、
これも美しいとは言いがたいものです。
そのルックスを差し引いても。
プレインビューは美学やハードボイルドに徹することもなく、
相手が権力者であろうと肉親であろうと、
感情や欲望をストレートに発露していきます。
しかし、野卑でありながら矮小さを感じさせないのは、
女の介入がゼロに近いほど排除されているからでしょうか。
普通、これほどの権力を身につけたら愛人などゴロゴロ登場しそう。
そして物語後半で大邸宅に暮らしているものの、
(本物の石油王、故エドワード・ドニヒーのグレイストーン邸を使用)
金銀宝石で飾り立てるような成金趣味の下品さは無い。
この2点はプレインビューと本作の
格調を高めることに貢献しているのではないでしょうか。
強大な怪物がイーライを呑み込むラストの10数分は屈指のシーン。
暴走した狂気がぶつかりあい、相手を無慈悲に叩き潰す。
「終わった・・・!」と呟き、不協和音が主旋律となり
登場人物の歪みを強調していくことが中心だった本作の音楽に、
初めて高らかに祝福を謳うエンディングテーマが流れます。
その祝福は誰に向けられたものか、
あるいは逆説的な憐れみの歌なのか。
いずれにしてもその明るいテーマによって解放されることはなく、
遠い昔に深層心理に刻み込まれた畏怖のように、
映画は私の心に深淵の暗闇を残していくのです。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://crystallog.asablo.jp/blog/2008/09/12/3760361/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。