耐えたものを守りぬく2011年06月08日 23時32分33秒

宮城県石巻市の門脇町という地域があります。
仙石線石巻駅よりもさらに海寄りの、旧北上川河口のすぐ西側です。

ここも津波の猛威を受け多くの建物が壊されてしまった地域です。
しかしその瓦礫のなかに、奇跡的に現在も立っているひとつの土蔵があります。
これは個人の自宅の庭にあった土蔵で、明治の三陸沖大地震の翌年、
1897年に建てられたということで、それだけでも長い年月を生きてきたと言えます。

この土蔵を現在、「石巻若宮丸漂流民の会」と「石巻千石船の会」という会の皆様、
僕が震災からのことを通じて知り合った方々が、
震災の記憶、後世へ残す知恵、そして人々の希望として保存しようと
「石巻震災土蔵メモリアル基金」を設立して呼びかけています。
下記のホームページに詳細が書かれております。

■若宮丸漂流民の会 石巻震災土蔵メモリアル基金
 http://homepage2.nifty.com/deracine/wakamiya/info22.htm

ここから旧北上川を北上すると直ぐに石ノ森萬画館があり、
石巻駅の周辺には津波に耐えた仮面ライダーの像があり、
それもまた復興のシンボルとなるだろうと考えられています。

長町に建った仮設住宅をテレビで見ましたが、玄関先には花々が、
住宅の前には木のベンチやテーブルなどの交流の場があるそうです。
人が生きていくためには、生活のための直接的な支援の他にも、
やはり必要なものがあると思います。

様々な人達が自分にできることを行動に移しています。
それは今は独立した個々の動きですが、復興の後には
その力で他の人々を助けられる様な輪になっていくことを信じます。
自分達が立ち上がったところで終わりではないはずです。

今回の震災では、中越地震を経験した新潟や、
阪神大震災を経験した神戸の反応は当初から違っていたと言います。
復興していく地域の人々から広がる輪もあると思います。

最近、思います。
東に助けを求めているAさんがいる。
西にはそれを助けられるBさんがいる。
しかし、その二人が上手く出会うことができないのが世の中だと思います。

自分が助けられないならば、せめてAさんをBさんのところまで、
手を引っ張っていく、より遠くに助けを求める声を届ける、
メッセンジャーであったり橋渡し役であったり、
それも一人ひとりができる支援なのではないでしょうか。
Loading