"人間らしい心"の呼び起し ~フロスト×ニクソン ― 2009年05月06日 23時03分59秒

さきの第81回アカデミー賞で
作品賞・監督賞・主演男優賞他にノミネートされた
「フロスト×ニクソン」についてのこと。
本作は、イギリスのTV司会者デヴィッド・フロストが
退陣後のリチャード・ニクソン元大統領へインタビュー
を行った1977年に放送された番組を元に、
ピーター・モーガンにより舞台化された舞台版をベースに、
「ダヴィンチ・コード」「アポロ13」等の監督、
ロン・ハワードによって映画にされたものです。
なお、ニクソン役のフランク・ランジェラ、
フロスト役のマイケル・シーンは共に、
舞台版でも同じ役を演じています。
ニクソンがいわずと知れたウォーターゲート事件で
任期中に責任を取る形で辞職をしたのは1974年。
このインタビュー番組も1977年の放送であり、
パンフによるとアメリカ番組史上高視聴率を獲得。
今でも伝説化されているとのことですが、
1978年生まれの私には遠い出来事で、
番組の中でニクソンの謝罪を引き出したということの、
どこからどこまでが脚色なのかはよく分かりません。
私がニクソンの名を初めて知ったのは
小学校高学年ぐらいだと思いますが、その頃は
ベトナム戦争集結や中国国交回復を成したものの、
ウォーターゲート事件やニクソン・ショックなどで、
マイナスイメージを強く押し出されていたように思えます。
また、私が子供の頃はロッキードやらリクルートやらの
政治の怪しげな響きとウォーターゲートの響きだけで、
「どうも怪しげだ」などと決めていました。
しかし、時代の経過によりニクソンの評価も変化し、
「当時のニクソンには目立った失政はなかった」と、
ウォーターゲート事件以外には肯定的なものもある様です。
それでも不支持率がジョージ・ブッシュの71%に次ぐ
66%を記録したというのだから、当時のアメリカ国民には
かなり不評だったということでしょう。
その要因はやはり謝罪しなかったことにあるのでしょうか。
一概には比較できないものの、スキャンダルで弾劾にかけられた
ビル・クリントンの支持率は高いままでした。
そのニクソンから謝罪の言葉を、
TVの場で引き出すことに燃えたデヴィッド・フロスト。
パンフにはデヴィッド・フロストのインタビューが載っていますが、
その人となりはよく分からないので、映画だけで見ると、
最初は結構なお調子者セレブとしての印象で登場。
コメディアン出身で全米進出の野望に燃えこのインタビューを企画。
とは言え、その交渉の道中の傍らで女の子をナンパして
そのまま恋人にしてしまう様な、もみあげの長いチャラ助です。
思わず、ウィル・ファレル主演のコメディ映画
「俺たちニュースキャスター」を連想してしまいます。
ニクソンや代理人そして彼のブレーンと出演料や方針を交渉し、
その間に仲間達はインタビューのシミュレーションを開始。
フロストは金策とスポンサー探しに走り回る。
しかし、敵は中流以下の環境からのし上がり
アメリカと世界の政治の頂点で腕を鳴らして来た、
今は政界復帰を狙う強者。
フランク・ランジェラが出演した「グッドナイト&グッドラック」の
主人公、エドワード・R・マローならいざ知らず。
高視聴率獲得で全米に進出したいなどという理由で、
ロクに打ち合わせもできずに口の上手いだけでは叶うはずがない。
圧倒的に巧みな話術と余裕で組み伏せられるフロストに、
4回収録の最終回前夜に状況に風穴をあける物事が起こる。
そこからフロストの逆襲が始まるのですが、この瞬間から、
フロストの中でも心情の変化が起こっているように思えます。
最初は数字と名声の獲得が目的のための謝罪の引き出しだった、
それが、ニクソンに対する怒りと憐れみがこみ上げ、
何より逆境に追い込まれた男の意地とプライドが燃え上がり、
自分と憲法と国民のために謝罪を引き出そうと決意する、
すなわち、目的と手段の逆転。
それは不実に対して人間が成さなければならないことは何か、
さらにジャーナリズムが成すべきことは何かという問いかけ。
この緊張感高まる言葉の応酬の場面で連想したのは、
全然違う作品ですが、森村誠一の小説「人間の証明」です。
ただし、1977年他の映像作品ではなく、1976年刊行の小説版です。
自分の未来と現在の環境を守るために、
過去を呼び覚ます自分の生き別れの息子を殺した母親に、
取調室で刑事が自供を迫る場面。
確たる証拠が無いが限りなく黒である犯人に対して、
最後の賭けは犯人の中の"人間らしい心"を呼び起すこと。
この場面とほぼ同じく、フロストがニクソンの中の
"人間らしい心"を目覚めさせるため心の扉をこじ開けようとする熱意、
言葉に熱がこもり、瞳に炎が光り、
情熱の汗が流れ、緊張が場を支配する。
その一つ一つの衝撃に圧倒され、ニクソンは遂に・・・。
この時のフランク・ランジェラの表情は神がかり的な演技です。
自責と虚脱と回想と後悔と・・・その時、人はこんな顔をするのかと。
その後、ニクソンは公職復帰は成さなかったものの、
存命中にある程度名誉を回復させることには成功した様です。
自分を見つめ直し悔やみ謝ること、当たり前ですが
やはり人間として前進するにはそれが不可欠なようです。
それはフロストの側にとってもそうであったでしょう。
そして、私も。
第81回アカデミー賞作品賞ノミネートの5作品のうち、
「愛を読む人」のみ、6月の公開のためまだ未見ですが、
私は昔のアカデミーならばこの作品が受賞したと思います。
"私の今年の洋画10本"に間違いなくノミネート決定です。
ニクソンの右腕を演じるケヴィン・ベーコンも素晴らしい。
第79回のアカデミー賞作品賞ノミネートの「クィーン」に
印象が似ていると思ったらこれもピーター・モーガン脚本でした。
パンフの情報によると、日本人キャストによる
舞台版リメイクが決定しているとのこと。
それによると、ニクソンが北大路欣也、フロストは仲村トオル。
創作劇ならともかく実話ベースを日本人キャストで、
という違和感は多大にあるものの、
この二人ならばあの緊張感も出せるかもと期待が高まります。
作品賞・監督賞・主演男優賞他にノミネートされた
「フロスト×ニクソン」についてのこと。
本作は、イギリスのTV司会者デヴィッド・フロストが
退陣後のリチャード・ニクソン元大統領へインタビュー
を行った1977年に放送された番組を元に、
ピーター・モーガンにより舞台化された舞台版をベースに、
「ダヴィンチ・コード」「アポロ13」等の監督、
ロン・ハワードによって映画にされたものです。
なお、ニクソン役のフランク・ランジェラ、
フロスト役のマイケル・シーンは共に、
舞台版でも同じ役を演じています。
ニクソンがいわずと知れたウォーターゲート事件で
任期中に責任を取る形で辞職をしたのは1974年。
このインタビュー番組も1977年の放送であり、
パンフによるとアメリカ番組史上高視聴率を獲得。
今でも伝説化されているとのことですが、
1978年生まれの私には遠い出来事で、
番組の中でニクソンの謝罪を引き出したということの、
どこからどこまでが脚色なのかはよく分かりません。
私がニクソンの名を初めて知ったのは
小学校高学年ぐらいだと思いますが、その頃は
ベトナム戦争集結や中国国交回復を成したものの、
ウォーターゲート事件やニクソン・ショックなどで、
マイナスイメージを強く押し出されていたように思えます。
また、私が子供の頃はロッキードやらリクルートやらの
政治の怪しげな響きとウォーターゲートの響きだけで、
「どうも怪しげだ」などと決めていました。
しかし、時代の経過によりニクソンの評価も変化し、
「当時のニクソンには目立った失政はなかった」と、
ウォーターゲート事件以外には肯定的なものもある様です。
それでも不支持率がジョージ・ブッシュの71%に次ぐ
66%を記録したというのだから、当時のアメリカ国民には
かなり不評だったということでしょう。
その要因はやはり謝罪しなかったことにあるのでしょうか。
一概には比較できないものの、スキャンダルで弾劾にかけられた
ビル・クリントンの支持率は高いままでした。
そのニクソンから謝罪の言葉を、
TVの場で引き出すことに燃えたデヴィッド・フロスト。
パンフにはデヴィッド・フロストのインタビューが載っていますが、
その人となりはよく分からないので、映画だけで見ると、
最初は結構なお調子者セレブとしての印象で登場。
コメディアン出身で全米進出の野望に燃えこのインタビューを企画。
とは言え、その交渉の道中の傍らで女の子をナンパして
そのまま恋人にしてしまう様な、もみあげの長いチャラ助です。
思わず、ウィル・ファレル主演のコメディ映画
「俺たちニュースキャスター」を連想してしまいます。
ニクソンや代理人そして彼のブレーンと出演料や方針を交渉し、
その間に仲間達はインタビューのシミュレーションを開始。
フロストは金策とスポンサー探しに走り回る。
しかし、敵は中流以下の環境からのし上がり
アメリカと世界の政治の頂点で腕を鳴らして来た、
今は政界復帰を狙う強者。
フランク・ランジェラが出演した「グッドナイト&グッドラック」の
主人公、エドワード・R・マローならいざ知らず。
高視聴率獲得で全米に進出したいなどという理由で、
ロクに打ち合わせもできずに口の上手いだけでは叶うはずがない。
圧倒的に巧みな話術と余裕で組み伏せられるフロストに、
4回収録の最終回前夜に状況に風穴をあける物事が起こる。
そこからフロストの逆襲が始まるのですが、この瞬間から、
フロストの中でも心情の変化が起こっているように思えます。
最初は数字と名声の獲得が目的のための謝罪の引き出しだった、
それが、ニクソンに対する怒りと憐れみがこみ上げ、
何より逆境に追い込まれた男の意地とプライドが燃え上がり、
自分と憲法と国民のために謝罪を引き出そうと決意する、
すなわち、目的と手段の逆転。
それは不実に対して人間が成さなければならないことは何か、
さらにジャーナリズムが成すべきことは何かという問いかけ。
この緊張感高まる言葉の応酬の場面で連想したのは、
全然違う作品ですが、森村誠一の小説「人間の証明」です。
ただし、1977年他の映像作品ではなく、1976年刊行の小説版です。
自分の未来と現在の環境を守るために、
過去を呼び覚ます自分の生き別れの息子を殺した母親に、
取調室で刑事が自供を迫る場面。
確たる証拠が無いが限りなく黒である犯人に対して、
最後の賭けは犯人の中の"人間らしい心"を呼び起すこと。
この場面とほぼ同じく、フロストがニクソンの中の
"人間らしい心"を目覚めさせるため心の扉をこじ開けようとする熱意、
言葉に熱がこもり、瞳に炎が光り、
情熱の汗が流れ、緊張が場を支配する。
その一つ一つの衝撃に圧倒され、ニクソンは遂に・・・。
この時のフランク・ランジェラの表情は神がかり的な演技です。
自責と虚脱と回想と後悔と・・・その時、人はこんな顔をするのかと。
その後、ニクソンは公職復帰は成さなかったものの、
存命中にある程度名誉を回復させることには成功した様です。
自分を見つめ直し悔やみ謝ること、当たり前ですが
やはり人間として前進するにはそれが不可欠なようです。
それはフロストの側にとってもそうであったでしょう。
そして、私も。
第81回アカデミー賞作品賞ノミネートの5作品のうち、
「愛を読む人」のみ、6月の公開のためまだ未見ですが、
私は昔のアカデミーならばこの作品が受賞したと思います。
"私の今年の洋画10本"に間違いなくノミネート決定です。
ニクソンの右腕を演じるケヴィン・ベーコンも素晴らしい。
第79回のアカデミー賞作品賞ノミネートの「クィーン」に
印象が似ていると思ったらこれもピーター・モーガン脚本でした。
パンフの情報によると、日本人キャストによる
舞台版リメイクが決定しているとのこと。
それによると、ニクソンが北大路欣也、フロストは仲村トオル。
創作劇ならともかく実話ベースを日本人キャストで、
という違和感は多大にあるものの、
この二人ならばあの緊張感も出せるかもと期待が高まります。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://crystallog.asablo.jp/blog/2009/05/06/4290002/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。