闇の子供たち ― 2008年09月23日 23時12分52秒

娯楽作から一変し、凄まじい力を持った社会派作品へ。
坂本順治監督による、梁石日の原作小説の映画化。
「闇の子供たち/値段のついた命」についてのこと。
<物語>
タイ、バンコク。ジャーナリストの南部(江口洋介)は
東京からの情報で、子供の人身売買と不正臓器移植を追っている。
事件を追ううち、子供は生きたまま臓器を摘出され、
移植者が助かる変わりに命が犠牲になることを知る。
NGOの新人職員の音羽(宮崎あおい)は、
現地の子供が行方不明になっていることを知り、
その子供が書いた、売春宿に捕まっていることを知らせる手紙から
仲間達とともに捜索を開始する。
これまで演じた役柄の代表作がそうであるように、
江口洋介は本質的に善意の側の人なのだと思います。
ただ、彼の魅力が最大限に発揮されるのは、
それに対立する人間・権力・社会が強力に立ちはだかる時であり、
その受け手が弱いと江口の存在そのものが浮き上がって
綺麗事だけが放たれて見えてしまう様に感じます。
成功例が唐沢寿明が強大に拮抗した「白い巨塔」、
他の共演者が暑苦しさをしかと受け止めた「ひとつ屋根の下」であり、
対して受け手が弱すぎたため、結果、作品として振るわなかったのは
「東京ラブ・シネマ」「逃亡者/RUNAWAY」等だったと思います。
今回、江口に拮抗するのは幼児売春、臓器不正移植という犯罪、
子供の命のためにタイの幼児の臓器を買う佐藤浩市演じる父親、
そして命が不当に扱われているのに助けることができない
もどかしさと苦渋という形の無い暗闇です。
江口は裏社会を見通して来た者の強さと弱さが混在する
複雑な役を演じる一方で、宮崎あおいは良い意味で純粋、
悪い意味で世間知らずの、力の無い善意を空回りさせます。
それはある意味では、周囲から浮いた役の江口の投影にも見えます。
思えば宮崎あおいも現在はすっかり純で無垢な美少女と一体となり、
「篤姫」などはそのイメージが先行したキャスティングですが、
それを逆手にとった形の配役が見事です。
そして、江口演じる南部には実はさらに深い心の闇があり、
苦境の中で一握りの正義感を原動力としている様に見えた彼が、
その心の闇に慟哭の中で押しつぶされるとともに、
現実を肌で感じた宮崎が瞳に力を籠め毅然とした態度で、
今度は精神に伴う行動へと駆け出すところで両者は逆転します。
その南部の姿は、自分はこいつらとは違う、良い人間だと思いこみ
無意識の内に犯罪の隙を作る人間を奈落に叩き落とします。
一方で何も分かっちゃいないと小馬鹿にしていた音羽こそ、
子供たちを救う希望であることをまざまざと突きつけられます。
これは繰り返しますが、配役の妙であります。
そして決してスター映画では無い。
さらにドラマはどこまでも深く、重いです。
売買の仲介人も過去に売買された子供の生残りであるということ。
青臭い音羽を馬鹿にする女性職員もまた、
過去に虐待を受けたらしい傷をもっていること。
臓器移植を待つ父親と母親の、命を天秤にかけたことを
心の奥底に封印した苦渋と葛藤があったであろうこと。
南部の言う、断つべき本はどこか?
経済問題は我々には巨大な壁かもしれませんが、
子供を買い取りネットで流す変質者の出現が
民間の意識レベルの弱さの問題であることは明らか。
坂本監督の言葉を借りれば、断罪されるべきなのです。
既に今年も10月に手が届く時にきましたが、
今年の邦画の中で間違いなく避けて通れない1作であり、
最も問題意識を呼び起す作品であります。
桑田佳祐がテーマ曲を捧げていますが、
彼がこんな曲を作れるとは、初めて感服致しました。
坂本順治監督による、梁石日の原作小説の映画化。
「闇の子供たち/値段のついた命」についてのこと。
<物語>
タイ、バンコク。ジャーナリストの南部(江口洋介)は
東京からの情報で、子供の人身売買と不正臓器移植を追っている。
事件を追ううち、子供は生きたまま臓器を摘出され、
移植者が助かる変わりに命が犠牲になることを知る。
NGOの新人職員の音羽(宮崎あおい)は、
現地の子供が行方不明になっていることを知り、
その子供が書いた、売春宿に捕まっていることを知らせる手紙から
仲間達とともに捜索を開始する。
これまで演じた役柄の代表作がそうであるように、
江口洋介は本質的に善意の側の人なのだと思います。
ただ、彼の魅力が最大限に発揮されるのは、
それに対立する人間・権力・社会が強力に立ちはだかる時であり、
その受け手が弱いと江口の存在そのものが浮き上がって
綺麗事だけが放たれて見えてしまう様に感じます。
成功例が唐沢寿明が強大に拮抗した「白い巨塔」、
他の共演者が暑苦しさをしかと受け止めた「ひとつ屋根の下」であり、
対して受け手が弱すぎたため、結果、作品として振るわなかったのは
「東京ラブ・シネマ」「逃亡者/RUNAWAY」等だったと思います。
今回、江口に拮抗するのは幼児売春、臓器不正移植という犯罪、
子供の命のためにタイの幼児の臓器を買う佐藤浩市演じる父親、
そして命が不当に扱われているのに助けることができない
もどかしさと苦渋という形の無い暗闇です。
江口は裏社会を見通して来た者の強さと弱さが混在する
複雑な役を演じる一方で、宮崎あおいは良い意味で純粋、
悪い意味で世間知らずの、力の無い善意を空回りさせます。
それはある意味では、周囲から浮いた役の江口の投影にも見えます。
思えば宮崎あおいも現在はすっかり純で無垢な美少女と一体となり、
「篤姫」などはそのイメージが先行したキャスティングですが、
それを逆手にとった形の配役が見事です。
そして、江口演じる南部には実はさらに深い心の闇があり、
苦境の中で一握りの正義感を原動力としている様に見えた彼が、
その心の闇に慟哭の中で押しつぶされるとともに、
現実を肌で感じた宮崎が瞳に力を籠め毅然とした態度で、
今度は精神に伴う行動へと駆け出すところで両者は逆転します。
その南部の姿は、自分はこいつらとは違う、良い人間だと思いこみ
無意識の内に犯罪の隙を作る人間を奈落に叩き落とします。
一方で何も分かっちゃいないと小馬鹿にしていた音羽こそ、
子供たちを救う希望であることをまざまざと突きつけられます。
これは繰り返しますが、配役の妙であります。
そして決してスター映画では無い。
さらにドラマはどこまでも深く、重いです。
売買の仲介人も過去に売買された子供の生残りであるということ。
青臭い音羽を馬鹿にする女性職員もまた、
過去に虐待を受けたらしい傷をもっていること。
臓器移植を待つ父親と母親の、命を天秤にかけたことを
心の奥底に封印した苦渋と葛藤があったであろうこと。
南部の言う、断つべき本はどこか?
経済問題は我々には巨大な壁かもしれませんが、
子供を買い取りネットで流す変質者の出現が
民間の意識レベルの弱さの問題であることは明らか。
坂本監督の言葉を借りれば、断罪されるべきなのです。
既に今年も10月に手が届く時にきましたが、
今年の邦画の中で間違いなく避けて通れない1作であり、
最も問題意識を呼び起す作品であります。
桑田佳祐がテーマ曲を捧げていますが、
彼がこんな曲を作れるとは、初めて感服致しました。
最近のコメント