孤独への慣れ2007年08月20日 22時58分10秒

映画は観るけれどもTVはほとんど観なくなったこの頃ですが、
NHKの終戦企画、東京裁判についてのA級戦犯と
パール判事について語った番組はなかなか興味深いものでした。
その先日に小林正樹監督のドキュメンタリー映画「東京裁判」を
観たこともありかなり考えされられる、認識を改められる点もありました。
今後も追って行きたい題材です。

さて今夜は
フィンランドの名匠アキ・カリウスマキ監督作品
「街のあかり」です。
同監督作品の「浮雲」「過去のない男」に続く
敗者三部作と称された本作は孤独がテーマとのことです。
耳慣れたカリウスマキ好みの哀愁のメロディが心地よいです。

<物語>
フィンランドのヘルシンキで警備会社に勤める男。
友人も家族も恋人もいなかったが自分で会社を興す夢があった。
しかし彼は海辺でソーセージ屋を営む女の愛情には気づかなかった。
ある日、彼の前に一人の女が現れ、彼は恋をする。
だが彼女は警備会社のセキュリティ情報を盗む強盗の放った一味であり、彼は利用されて罪を着せられてしまうのだった。

孤独な状況とは
その人は悪く無いのに世の中で生きるには不器用だったり
ハンディがあったりして周りから距離を置かれる場合、
あるいはその人自身が周囲を得てして低く見ていたり
自分から距離を置くコミュニケーション不全の場合、
と大体二者があるように思えます。

「街のあかり」の主人公は正に後者であり、
職場の仲間を「あんな奴ら、いつか俺の会社でこきつかってやる」
「こんなところで終わる俺じゃない」などど、
根拠の無い自信で自分から回りを遠ざけており、
その結果周りからも疎まれている悪循環にあります。

しかし自分の会社を興したい恋をしたいの渇望はある、
人間関係無しでは成り立たないのに人間を見極められない男は
悪い女にころりと騙され、あまつさえ彼女をかばって刑務所行きです。
それで振り向いてくれるわけでもないというのに。

出所後ささやかな抵抗を試みた男はボコボコにされますが、
ソーセージ屋の女主人が手を差し伸べます。
実際の世は自身が心を開いていかなければ
皆にほっとかれて通り過ぎられてしまうのですが、、
幸いなことに相手の方から彼を探し出してくれました。
監督が語る「この男にとって幸運だったのは、監督が優しかったことだ」
という言葉にはそういう意味があるのだと思います。

孤独になる、ではなく孤独を作っている男が人間関係を取り戻すこと。
とにかく境界線に囲まれて生きる現代に普遍の願いではないでしょうか。
Loading