芸術と人間2006年10月26日 02時48分29秒

年末も近づいた今日この頃。
米アカデミー賞の話題も薄れましたが、
やっと日本公開されたアカデミー作品が公開されました。
主演男優賞受賞・フィリップ・シーモア・ホフマン主演
「カポーティ」です。

アメリカ近代文学に名を残す作家・トルーマン・カポーティ。
カンザス州の小村で起こった一家惨殺事件に興味を抱いた
カポーティは現地に事件の取材に訪れ、
事件を題材にした小説「冷血」の執筆を始める。
やがて犯人ペリーとヒコックが逮捕され、
刑務所でペリーと対面しての取材を進めるうち、
彼らの間に奇妙な友情が生まれていく。
その感情はカポーティ自身を次第に苦しめていくのである。


不勉強なものでトルーマンと聞いたときに
米大統領しか思い浮かびませんでしたが、
あの「ティファニーで朝食を」の原作者なんですな。
原作の雰囲気は映画と全然違うようですが。

カポーティがもっとドライな人間で職業作家であれば、
「冷血」も一つの通過点に過ぎなかったでしょう。
さらりと取材を終了し、いざとなれば創作で自分なりの結末を
でっち上げることも、才能があれば可能だったでしょう。
しかし、芸術家としての探究心・好奇心が深入りさせ、
作品に対する妥協を許せなかった。
しかも、ゲイであったこともあって彼はペリーに友情と愛情を抱き、
心の深い場所で繋がりあってしまった。

悪いことに二つの思いの終着点は相反するものでした。
作品が完璧となるためにはペリーの死刑を見届ける必要があり、
その結果は無二の親友を失うこととなる。

ペリーを騙したりずるいところもありましたが、
悩み苦しみ再起不能となったのは、やはりカポーティが
作家として人間として繊細で純粋だったのではと思います。

欲しいものは二つは手に入らず、
一つを手にしたとしても一つを失った迷いと悔恨が残る。
人は常に求めながら生き、二者択一も三者択一も迫られます。
これから求める人への警告であり、
既に何か手にした人への戒めでもあるのではないでしょうか。
特に、他者が犠牲になることは心に留めておくべきでしょう。


ホフマンの怪演は一見の価値有り。
「M:i:3」の敵役とは完全に別人です。
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