目で感じ 心で見る ― 2010年03月04日 20時55分56秒
髭を整えに行ったら「肌のハリが良いね」と言われました。
うーん、規則正しい生活と、水分もずいぶん補給してますしね。
肌は心身両方の健康状態がもろに現れると言いますから、
(まさに"表面化"する様に)肌が良いというのは
自分自身の心身がともにわりと良い状態にあるということですかな。
あなうれしや。
さて、今日は病院に行く日でございました。
今日はいつもの内科ではなく、眼科で診察を受けてきました。
でもこれも腎臓絡みの検査のひとつ。
現在服用しているステロイド剤の副作用のひとつで、
白内障が進んだり、眼圧に影響がでて緑内障は発症したりと、
そんなところにも影響が出てしまうのです。
ステロイド剤の量を増やして既に半年が経過しようとしているので、
その副作用が現れていないかを検査してきたのであります。
久し振りに目に「ポシュッ!」という風を当てたり、
「C」型の穴の開いた方向を当てたり(←当てずっぽうでどうする)
暗いカーテンの中で眼科の先生の診察を受けてきました。
眼科の先生は他の科の先生と違い、あんな暗く、
パソコンや医療機器の光のみに照らされる空間に日常的にいて、
体内時計が狂ってしまわないのか?と余計な心配をしてしまう。
暗闇の中では本来、人間は眠るものなのだと思います。
これまで、僕は夜寝るときに豆電球をつけて寝ていましたが、
最近になってそれをやめて真っ暗にして寝る様にしました。
すると、まあ不思議。夜の途中で目が覚めることもなく、
朝までぐぐっと深く眠れるようになってすこぶる調子が良い。
やはり人間、暗いところではあまり活動すべきでは無い。
待ち合わせもしてはなりません。
ところであの目に空気を当てる「ポシュ!」という
非常に風圧の威力のない空気ピストルのようなもの。
あれが「ノーカントリー」のハビエル・バルデムが持っている
殺傷兵器並みの威力があったら僕はこの世にいないでしょう。
なんの心配してるんだか。
なんの話か分からなくなってきたので、元に戻すと。
検査結果はまあ良し。
少し視力が低いですが、眼圧はとくに問題なし、
白内障に関してはとりあえず様子見、
まだそれほど心配するような影響は見られない、と。
やれやれ。
とはいえ、自分でも気をつけて予防できることをね。
眼球の運動や水分補給、十分な睡眠も気をつけるようにしてますよ。
こうしてパソコンを打つときもモニタの照明はできるだけ落として、
目の負担にならないようにしていかないと。
もちろん、映画好きにとっても視力の低下は重要な問題です。
もしも、映像の無い日々を想像すると・・・・。うーむ。
北野武版「座頭市」ではラストシーン、盲目ではなかった市が
目を開けて歩いているのに小石にけ躓き、
「目を開けていても見えないものもあるんだよな」と呟く。
ヒッチコックの「逃走迷路」では無実の罪をきせられて逃げる
主人公の潔白を盲目の老人が感覚で感じ取る。
爆笑問題のニッポンの教養の福島智先生の回は、
伊集院光も語るように、良い回でした。
もし見えなくなっても、そんな人に僕はなりたい。
もちろん、目が見えているときも。
まだ遥かに遠いけれども。
では進め。前へ前へ。いらぬ想像してる暇はないぞ
別に、現在は普通の状態なのだから。
眼科のあと、すぐに映画観に行きましたし(笑)。
--------------------------------------------------------
今日のおまけ
昨日は3月3日につき、年中行事を重んじる僕の実家は
ちらし寿司と桜餅を用意しました。
良いねー。エビがぷりぷり。
でも最近、桜餅の塩気があがっている気がします。なして?
うーん、規則正しい生活と、水分もずいぶん補給してますしね。
肌は心身両方の健康状態がもろに現れると言いますから、
(まさに"表面化"する様に)肌が良いというのは
自分自身の心身がともにわりと良い状態にあるということですかな。
あなうれしや。
さて、今日は病院に行く日でございました。
今日はいつもの内科ではなく、眼科で診察を受けてきました。
でもこれも腎臓絡みの検査のひとつ。
現在服用しているステロイド剤の副作用のひとつで、
白内障が進んだり、眼圧に影響がでて緑内障は発症したりと、
そんなところにも影響が出てしまうのです。
ステロイド剤の量を増やして既に半年が経過しようとしているので、
その副作用が現れていないかを検査してきたのであります。
久し振りに目に「ポシュッ!」という風を当てたり、
「C」型の穴の開いた方向を当てたり(←当てずっぽうでどうする)
暗いカーテンの中で眼科の先生の診察を受けてきました。
眼科の先生は他の科の先生と違い、あんな暗く、
パソコンや医療機器の光のみに照らされる空間に日常的にいて、
体内時計が狂ってしまわないのか?と余計な心配をしてしまう。
暗闇の中では本来、人間は眠るものなのだと思います。
これまで、僕は夜寝るときに豆電球をつけて寝ていましたが、
最近になってそれをやめて真っ暗にして寝る様にしました。
すると、まあ不思議。夜の途中で目が覚めることもなく、
朝までぐぐっと深く眠れるようになってすこぶる調子が良い。
やはり人間、暗いところではあまり活動すべきでは無い。
待ち合わせもしてはなりません。
ところであの目に空気を当てる「ポシュ!」という
非常に風圧の威力のない空気ピストルのようなもの。
あれが「ノーカントリー」のハビエル・バルデムが持っている
殺傷兵器並みの威力があったら僕はこの世にいないでしょう。
なんの心配してるんだか。
なんの話か分からなくなってきたので、元に戻すと。
検査結果はまあ良し。
少し視力が低いですが、眼圧はとくに問題なし、
白内障に関してはとりあえず様子見、
まだそれほど心配するような影響は見られない、と。
やれやれ。
とはいえ、自分でも気をつけて予防できることをね。
眼球の運動や水分補給、十分な睡眠も気をつけるようにしてますよ。
こうしてパソコンを打つときもモニタの照明はできるだけ落として、
目の負担にならないようにしていかないと。
もちろん、映画好きにとっても視力の低下は重要な問題です。
もしも、映像の無い日々を想像すると・・・・。うーむ。
北野武版「座頭市」ではラストシーン、盲目ではなかった市が
目を開けて歩いているのに小石にけ躓き、
「目を開けていても見えないものもあるんだよな」と呟く。
ヒッチコックの「逃走迷路」では無実の罪をきせられて逃げる
主人公の潔白を盲目の老人が感覚で感じ取る。
爆笑問題のニッポンの教養の福島智先生の回は、
伊集院光も語るように、良い回でした。
もし見えなくなっても、そんな人に僕はなりたい。
もちろん、目が見えているときも。
まだ遥かに遠いけれども。
では進め。前へ前へ。いらぬ想像してる暇はないぞ
別に、現在は普通の状態なのだから。
眼科のあと、すぐに映画観に行きましたし(笑)。
--------------------------------------------------------
今日のおまけ
昨日は3月3日につき、年中行事を重んじる僕の実家は
ちらし寿司と桜餅を用意しました。
良いねー。エビがぷりぷり。
でも最近、桜餅の塩気があがっている気がします。なして?


新しいこと ― 2010年03月18日 23時36分33秒
久し振りの更新でございますが、サボっていたわけではありません。
最近、他のところでもブログを書き始めたもので。
既にこのブログの左側メニューに在りますように、
仙台短篇映画祭にて活動しておりますが、
その公式サイトでのスタッフブログにも書いております。
今後、当ブログとバランスを取りながら執筆していきます。
さてさて。
こちらのブログの更新が止まった直後からはかなり忙しい日々でした。
映画祭の活動として県外遠征と数度のミーティング等々、
歯医者が3回と件の腎臓病の通院が1回。
歯医者に関しては元々は口内炎ができて通院を再開したのですが、
そこから虫歯も発見されるという予想通りの展開で、
気づかぬうちに前歯にギアナ高地よろしく大穴が開いていました。
まー、せっかくですから体を全て綺麗にしましょうというわけで、
差し歯ブリッジにしてしまったのですが、9000円以上かかりました。
涼しい顔でさらりと支払いましたが、なかなか重いパンチでしたよ。
腎臓病の方はといいますと、また薬が減量になりました。
最大時に8錠服用していたステロイド剤は現在、4.5錠。
僕の場合は1錠で正常値なので、
これで病状は折り返し点に来たことになります。
昨年11月の退院から4ヶ月。
その間も色々なことがありましたが、元気でやっております。
懸念されていた風邪によるぶり返しの心配も、
この冬から春への季節の変わり目を乗り切ればなんとかなりそうです。
僕の場合、季節の真っ只中よりも変わり目に弱いもので。
しかし、活力と目標があるうちは大丈夫でしょう。
薬で低下している免疫力は十分にカバーされていると信じています。
毎日、得るものがあり、日々前進しようとしています。
ではまた、次回以降は映画のお話で。
最近、他のところでもブログを書き始めたもので。
既にこのブログの左側メニューに在りますように、
仙台短篇映画祭にて活動しておりますが、
その公式サイトでのスタッフブログにも書いております。
今後、当ブログとバランスを取りながら執筆していきます。
さてさて。
こちらのブログの更新が止まった直後からはかなり忙しい日々でした。
映画祭の活動として県外遠征と数度のミーティング等々、
歯医者が3回と件の腎臓病の通院が1回。
歯医者に関しては元々は口内炎ができて通院を再開したのですが、
そこから虫歯も発見されるという予想通りの展開で、
気づかぬうちに前歯にギアナ高地よろしく大穴が開いていました。
まー、せっかくですから体を全て綺麗にしましょうというわけで、
差し歯ブリッジにしてしまったのですが、9000円以上かかりました。
涼しい顔でさらりと支払いましたが、なかなか重いパンチでしたよ。
腎臓病の方はといいますと、また薬が減量になりました。
最大時に8錠服用していたステロイド剤は現在、4.5錠。
僕の場合は1錠で正常値なので、
これで病状は折り返し点に来たことになります。
昨年11月の退院から4ヶ月。
その間も色々なことがありましたが、元気でやっております。
懸念されていた風邪によるぶり返しの心配も、
この冬から春への季節の変わり目を乗り切ればなんとかなりそうです。
僕の場合、季節の真っ只中よりも変わり目に弱いもので。
しかし、活力と目標があるうちは大丈夫でしょう。
薬で低下している免疫力は十分にカバーされていると信じています。
毎日、得るものがあり、日々前進しようとしています。
ではまた、次回以降は映画のお話で。
いつか巡り来るとき ~「戦場でワルツを」 ― 2010年03月20日 23時23分01秒

その際、「アニメーションで製作された戦争ドキュメンタリー」
という様な紹介のされ方をされていたけれども、
実際に見てもそれが正確な表現かはわからない。
これはドキュメンタリーなのか?を議論し始めると、
そもそもドキュメンタリーとは何ぞや、
果ては純然たるドキュメンタリー等がそもそも存在しうるのか、
という問題に及んでしまい終わりがなくなるものだし、
何故そんなことになるのかを説明するにも膨大な情報が必要となる。
ので、その点はここではほとんど触れないことにする。
という様な紹介のされ方をされていたけれども、
実際に見てもそれが正確な表現かはわからない。
これはドキュメンタリーなのか?を議論し始めると、
そもそもドキュメンタリーとは何ぞや、
果ては純然たるドキュメンタリー等がそもそも存在しうるのか、
という問題に及んでしまい終わりがなくなるものだし、
何故そんなことになるのかを説明するにも膨大な情報が必要となる。
ので、その点はここではほとんど触れないことにする。
この作品は本作の監督、アリ・フォルマンが兵士として参加した
1982年のレバノン侵攻の、自分の中で失われた記憶を辿るため、
当時の戦友達に話を聴きに行くという形式で主に構成されている。
主にそこがドキュメンタリーと呼ばれる所以だ。
普通ならばインタビュー映像と記録映像を中心に、
必要なデータ資料を交えながら実写作品として製作されるところを、
本作はイマジネーションを含んだアニメーションで描く。
「戦場でワルツを」。原題は「バシールとワルツを」。
バシールとは1982年に爆殺された、レバノンのバシール・ジェマイエルを指す。
いずれにしても題名に含まれる「ワルツ」は、侵攻当時に
アリの上官・フレンケルがベイルートに向かう路上で襲撃を受けたとき、
機関銃の打ち方が気がふれたようにワルツを踊るように見えたことから取られている。
戦争・ワルツ・アニメといえば日本のアニメオタクとしては
「新機動戦記ガンダムW Endless Waltz」において、
「・・・・例えるなら、歴史は終わらないワルツのようなものです。
戦争、平和、革命の三拍子がいつまでも続く………」
というマリーメイア・クシュリナーダの台詞が想起されてしまう。
別にワルツ自体が終わりのないものではないのだけれども、
「会議は踊る、されど進まず」というように
終わりのないという表現で用いられやすいため、どうしても思考が離れない。
この映画の場合も、終わりの無いかの地の戦争はもちろんのこと、
戦闘から身を引いた後も様々な形での後遺症に精神を蝕まれる元兵士達の、
"終わり無く繰り返される"状態をも「ワルツ」が示しているように思える。
世界では鮮烈であっても、そのガンダムの例を出すまでもなく、
日本においては戦争をアニメで描いてきたことは以前からある。
しかしながら今日、日本のそれの多くは空想世界の域を出ず、
現実の自分の戦争体験(実戦に参加した兵士をしての)を描いている、
身を削るような思いで描かれる作品は全体からすればごく少数のはずだ。
生きるため守るためという思想が一切無く、
血で汚れた手で作られたという生々しい感覚が宿り、
その点においてどんなに忠実に考証を重ねたけれども、
戦争を肌で知らない世代が作った戦争ドラマが遠く及ばない高みに
「戦場でワルツを」は達している。
戦争の被災者の体験に基づく作品ともまた視点が異なる。
現実の自分の戦争体験(実戦に参加した兵士をしての)を描いている、
身を削るような思いで描かれる作品は全体からすればごく少数のはずだ。
生きるため守るためという思想が一切無く、
血で汚れた手で作られたという生々しい感覚が宿り、
その点においてどんなに忠実に考証を重ねたけれども、
戦争を肌で知らない世代が作った戦争ドラマが遠く及ばない高みに
「戦場でワルツを」は達している。
戦争の被災者の体験に基づく作品ともまた視点が異なる。
実戦に参加した兵士達の体験を元にしてですらも、
「俺は誰かの起こした戦争でこんな酷い目に合わされた」という
恨み節を感じさせる作品が多い中で、本作はその対極にある。
前述の様に物語(そんな風に語られるように進む)は、
アリが精神科医の勧めで戦友達を順々に訪ねていくが、
一人目と二人目に聴いたときの反応がやや鈍いように思えるのに対し、
三人目に出会った後、記憶の蘇りに加速がかかるのが興味深い。
ワルツを踊った三人目のフレンケルは戦場では仲間に自分の位置を示すため、
自分の体に香りの強いオイルを塗っており、それを引退した現在も塗っている。
当然、フォアマンはその同じ匂いを嗅いでいる。
匂いの記憶は時に、視覚や聴覚の記憶よりも深く刻み込まれ、
忘れた記憶を呼びさますトリガーになるとも聴いたことがある。
フォアマンは作品中でも特に深く言及はしていないが、
オイルの匂いこそ、封印した記憶の扉を開く鍵になったのではないか。
硝煙の匂いを嗅ぐと不思議と懐かしさを感じる、
多くの戦争を題材とした小説のそんな文章が定着しているなか、
フォアマンにとってはそれが戦友のオイルの匂いで強烈に刻まれた。
忌まわしい暗黒の記憶を呼び起こし自分自身と対峙し、
この作品を作り上げた監督はどんな人物なのか。
パンフの写真を見る限り、使命感に突き動かされた険しい皺は無く、
むしろその表情は瞳まで温和な老人にさえ見える。
しかし、その瞳は果てしなく深く、底を窺い知ることはできない。
自分の罪と向きあうこと、他人の罪をも背負うこと、
巨大なものと戦い続けること、決して屈しないこと。
様々なものを飲み込んだ者だけが持つ顔をこの監督は持っている。
その作品もまた、表面はポップで美しく幻想的でありながら、
深淵を覗き込めば闇と禁忌が広がっている。
向き合わなければならない。決して美化はされない。
作品の最後で僕達はそれを突きつけられる。
ワルツが終わりなく繰り返されるものならば、
逃げ出してもいつか向き合うときが巡って来る。
逃げ出してもいつか向き合うときが巡って来る。

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