出会い、交差し、また別れ ~映画は映画だ ― 2009年05月25日 23時41分53秒

韓国映画で脳裏に焼きつくほどに印象の強い作品は、
恋人、敵味方、相棒、兄弟などなど、
個性の強い二人の人間を力強く描き出したものだと思います。
カン・ジファン、ソ・ジソブ主演映画、
「映画は映画だ」もまた、
互いの立場は対立しつつもその道が交差し、
壮絶な奮闘に身を投じざるを得ない二人の男のドラマです。
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映画俳優になりたかったヤクザのガンペは
ある日、高級クラブで好きな俳優のスタと出会う。
サインを貰いにスタと会ったガンペは
自分も俳優を目指していたことを言い、
スタは「短い人生、無駄にするな」と言い放つ。
スタは新作のアクション映画に取組んでいたが、
高慢な性格のスタは格闘アクションの相手役に
怪我を負わせ、誰も相手役を引き受けなくなる。
その時、スタの脳裏にガンペが浮び、出演を持ちかける。
ガンペは「自分とも本気で戦うこと」を条件に出演を承諾。
監督もまた演技を超えた体と魂のぶつかり合いを望み、
かくして、男達の壮絶な映画制作が開始される。
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監督は新人のチャン・フンですがこの新人の経歴は
製作・原案を担当した映画監督キム・ギドクの弟子。
キム・ギドクは最近作ではオダギリジョーを主演に起用した
「悲夢」も話題になりましたが、韓流×オダギリというだけで
映画を観に行った人は果たして想像していたものに会えただろうか。
オダギリジョーを注意深く観ていれば分かるように、
彼が海外まで行って仕事をするのだから常識の映画・監督ではない。
キム・ギドクの作品の色は愛の映画が多いもののそれは、
甘い子供の恋愛とも洒落た大人の恋愛とも比較にならない、
観念的でもない、"業"や"罪"あるいは"呪縛"とも言うべき愛。
安らぐような心浮き立つようなものではなく打ちのめされる愛。
そんなキム・ギドクが「悲夢」の中でもこれまでも頭にあった、
「白黒同色」という概念をチャン監督は脚色する上で
ギドク監督の原案から継承させたと言います。
白と黒のように見た目が違うものでも実は同じ色。
善と悪は立場の違いにより逆転する。
幸福を全身に受ける者がいて、不幸に身を裂かれる者がいる。
喜と怒、哀と楽、愛と憎、虚構と現実。
その境界は曖昧であり、どちらもどちらの色も持ち、
あるいはその双方があって成立しているとギドクは述べます。
「映画は映画だ」でも服の色からしてガンペは黒、スタは白。
高慢でマネージャーとも恋人とも上手く行かなくなり、
スキャンダル疑惑にまで悩まされていくスタと、
黒社会から離れての映画の現場で
束の間のかつての夢を実現するガンペ。
しかし、ヤクザの会長と社長が絡む抗争から逃れることが出来ず、
スタのスキャンダル揉み消しにも足を突っ込んでいく。
しかし、白が黒に黒が白に変わりという「大逆転」方式ではなく、
白から黒から白にと螺旋のように交差を繰返していきます。
映画評ではこの終着点をクライマックスの
干潟での泥だらけでの殴りあいシーンに導きだし、
チャン監督自身も白と黒が泥一色の同色になることを語ります。
しかし、実際の映画はその先も話があります。
演技ではない互いの拳と拳を交えて壮絶なシーンを撮り上げ、
映画はめでたくクランクアップし、スタは意気揚々。
数日後、スタはガンペに再会します。
監督が奢ってくれるぞ、などと戦友のように話しかけます。
ガンペは断り、「映画を撮りに行く。カメラはお前だ。」と、
スタを連れて街を歩いていきます。
辿り着いた路地にいたのはガンペを陥れた社長。
その場でガンペは社長が購入した骨董品の仏像で殴り殺す。
これでもかと社長の頭を殴打するガンペ。
飛び散る返り血の血飛沫に染まるガンペの服。
そして、顔も一面に血に染めたガンペがスタを一瞥。
ソ・ジソブの自慢の流し目の威力が存分に発揮される名場面です。
彼と「殺人の追憶」の容疑者を演じたパク・ヘイルの目の力は、
韓国映画界の至宝といっても過言ではありません。
ガンペはその場で警察に取り押さえられ車で連行される。
車に乗った彼は頭突きで窓を叩き割り、ニヤリと嘲笑する。
一部始終を驚愕の表情で観ていたスタ。
一言も発さないガンペの一瞥は「お前と俺は違うんだ」と語り、
友情が築かれたと勘違いし馴れ合おうとしたスタを叩き落します。
束の間、同色となった白と黒は虚構から現実へ、また離れていく。
それこそが「映画は映画だ」なのではないでしょうか。
ナイフのような切れ味を持ちつつ物憂げな眼差しで
深い地下水の如く静かな魅力を湛えるソ・ジソブが素晴らしい。
2007年までの兵役のブランク後の復活作にも関わらず、
その演技と佇まいは研ぎ澄まされています。
いや、兵役を経験したからこそ深みを増したナイーブさでしょうか。
恋人、敵味方、相棒、兄弟などなど、
個性の強い二人の人間を力強く描き出したものだと思います。
カン・ジファン、ソ・ジソブ主演映画、
「映画は映画だ」もまた、
互いの立場は対立しつつもその道が交差し、
壮絶な奮闘に身を投じざるを得ない二人の男のドラマです。
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映画俳優になりたかったヤクザのガンペは
ある日、高級クラブで好きな俳優のスタと出会う。
サインを貰いにスタと会ったガンペは
自分も俳優を目指していたことを言い、
スタは「短い人生、無駄にするな」と言い放つ。
スタは新作のアクション映画に取組んでいたが、
高慢な性格のスタは格闘アクションの相手役に
怪我を負わせ、誰も相手役を引き受けなくなる。
その時、スタの脳裏にガンペが浮び、出演を持ちかける。
ガンペは「自分とも本気で戦うこと」を条件に出演を承諾。
監督もまた演技を超えた体と魂のぶつかり合いを望み、
かくして、男達の壮絶な映画制作が開始される。
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監督は新人のチャン・フンですがこの新人の経歴は
製作・原案を担当した映画監督キム・ギドクの弟子。
キム・ギドクは最近作ではオダギリジョーを主演に起用した
「悲夢」も話題になりましたが、韓流×オダギリというだけで
映画を観に行った人は果たして想像していたものに会えただろうか。
オダギリジョーを注意深く観ていれば分かるように、
彼が海外まで行って仕事をするのだから常識の映画・監督ではない。
キム・ギドクの作品の色は愛の映画が多いもののそれは、
甘い子供の恋愛とも洒落た大人の恋愛とも比較にならない、
観念的でもない、"業"や"罪"あるいは"呪縛"とも言うべき愛。
安らぐような心浮き立つようなものではなく打ちのめされる愛。
そんなキム・ギドクが「悲夢」の中でもこれまでも頭にあった、
「白黒同色」という概念をチャン監督は脚色する上で
ギドク監督の原案から継承させたと言います。
白と黒のように見た目が違うものでも実は同じ色。
善と悪は立場の違いにより逆転する。
幸福を全身に受ける者がいて、不幸に身を裂かれる者がいる。
喜と怒、哀と楽、愛と憎、虚構と現実。
その境界は曖昧であり、どちらもどちらの色も持ち、
あるいはその双方があって成立しているとギドクは述べます。
「映画は映画だ」でも服の色からしてガンペは黒、スタは白。
高慢でマネージャーとも恋人とも上手く行かなくなり、
スキャンダル疑惑にまで悩まされていくスタと、
黒社会から離れての映画の現場で
束の間のかつての夢を実現するガンペ。
しかし、ヤクザの会長と社長が絡む抗争から逃れることが出来ず、
スタのスキャンダル揉み消しにも足を突っ込んでいく。
しかし、白が黒に黒が白に変わりという「大逆転」方式ではなく、
白から黒から白にと螺旋のように交差を繰返していきます。
映画評ではこの終着点をクライマックスの
干潟での泥だらけでの殴りあいシーンに導きだし、
チャン監督自身も白と黒が泥一色の同色になることを語ります。
しかし、実際の映画はその先も話があります。
演技ではない互いの拳と拳を交えて壮絶なシーンを撮り上げ、
映画はめでたくクランクアップし、スタは意気揚々。
数日後、スタはガンペに再会します。
監督が奢ってくれるぞ、などと戦友のように話しかけます。
ガンペは断り、「映画を撮りに行く。カメラはお前だ。」と、
スタを連れて街を歩いていきます。
辿り着いた路地にいたのはガンペを陥れた社長。
その場でガンペは社長が購入した骨董品の仏像で殴り殺す。
これでもかと社長の頭を殴打するガンペ。
飛び散る返り血の血飛沫に染まるガンペの服。
そして、顔も一面に血に染めたガンペがスタを一瞥。
ソ・ジソブの自慢の流し目の威力が存分に発揮される名場面です。
彼と「殺人の追憶」の容疑者を演じたパク・ヘイルの目の力は、
韓国映画界の至宝といっても過言ではありません。
ガンペはその場で警察に取り押さえられ車で連行される。
車に乗った彼は頭突きで窓を叩き割り、ニヤリと嘲笑する。
一部始終を驚愕の表情で観ていたスタ。
一言も発さないガンペの一瞥は「お前と俺は違うんだ」と語り、
友情が築かれたと勘違いし馴れ合おうとしたスタを叩き落します。
束の間、同色となった白と黒は虚構から現実へ、また離れていく。
それこそが「映画は映画だ」なのではないでしょうか。
ナイフのような切れ味を持ちつつ物憂げな眼差しで
深い地下水の如く静かな魅力を湛えるソ・ジソブが素晴らしい。
2007年までの兵役のブランク後の復活作にも関わらず、
その演技と佇まいは研ぎ澄まされています。
いや、兵役を経験したからこそ深みを増したナイーブさでしょうか。
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